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#309

カルメン・マキ(歌手)

ゲスト×インタビュアー
カルメン・マキ(歌手)×石原正康(編集者)

1951年、神奈川県鎌倉市で生まれる。父はアメリカ人、母は日本人。生まれて間もなく、父が帰国することになるが、肺結核を患っていた母とマキは、日本に残ることに。マキが物心つく前に父と離れてしまい、会った記憶はないという。
マキは、母方の祖父母がいる東京都大田区で育った。周囲からは、「父親のいないハーフの子」と、冷めた目で見られ、内気で暗い少女時代を過ごす。
高校中退後の1968年、小劇場ブームを巻き起こした、故・寺山修司氏主宰の劇団「天井桟敷」に飛び込む。寺山氏が作詞した「時には母のない子のように」は、重い旋律が時代の雰囲気と合致して、累計100万枚を超える売り上げを記録した。
その後も、個性的なキャラクターと確かな歌唱力でヒットを飛ばしてきたマキ。しかし、世間から求められる姿は、生身の自分とはかけ離れていた。「本当に言いたいことが言えない」「芸能界はつまらない」そんな時に出会ったのが、ジョニス・ジョップリンの歌う「ロック」だった。「ロックが歌いたい!」この時、マキは築き上げられたフォークシンガーとしての地位を投げ捨て、ロック歌手に転身する。
38歳の時、娘を授かる。10代で顔も名前も知れ渡ってしまった自分にも“歌手ではない人生”“平凡な幸せ”が手に入ると感じ、子育てと家事に専念しようと決断した。その時は「本当に歌手をやめようと思った」という。それなのに、気がつくと歌っている。「それは宿命なんですね…」マキは語る。
1993年、子守歌をテーマにしたアルバムを制作することになり、再び歌手として歩み始める。2014年にはデビュー45周年を迎え、自身が選曲を行なったベストアルバム「GOOD TIMES,BAD TIMES」を発売。今年3月にリリースされる新曲の「デラシネ」は、このころ感じていた違和感を、根無し草を意味するフランス語「デラシネ」という言葉に込めて、作詞した。最近の演奏活動も「デラシネライブ」と呼ぶ。絶望的な時代に抗したいという思いだ。
インタビュアーは、編集者・石原正康。歌手・カルメン・マキは、これまで何を思い、どのような人生を歩んできたのか? その波瀾(はらん)万丈の人生を、ベストアルバムに収められた名曲とともに振り返る。