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#312

研ナオコ(歌手)

ゲスト×インタビュアー
研ナオコ(歌手)×小島慶子(タレント、エッセイスト)

1953年、静岡県の農家に生まれる。築百年以上のわらぶき屋根の家に育ち、汗水たらして働く両親の姿を見て、研は子ども心にある決心をしていた。それは「歌手になってお金を稼ぎ、両親に楽をさせてやりたい」。
1970年、高校を1年で中退して上京。翌年「大都会のやさぐれ女」でデビューするも待っていたのは全国のスナックやキャバレーを回る日々だった。ミニスカートで冬の北海道を回り、2カ月間風呂に入ることもできなかったという。レコードを手売りしていた、当時の心境とは?
その明るいキャラクターから、研は歌手以上にバラエティー番組で脚光を浴びるようになっていく。特に「カックラキン大放送!!」では独特なキャラクターを演じ、大人から子どもまで、お茶の間の人気者となった。番組の舞台裏や“ナオコ婆ちゃん”誕生秘話を語る。
バラエティー番組やドラマへの出演で、「歌との向き合い方が変わった」と自身が語るとおり、さらなる躍進を遂げた研は、1975年、作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童の「愚図」を発表。宇崎が歌うデモテープを聞いた時、研は衝撃を受けたという。そしてこの歌が売れなければ、「歌手を辞める」と決意していた。名曲「愚図」との出会い、宇崎竜童との交流秘話とは?
研には、心からほれ込んだ一人の女性がいる。それは、歌手・中島みゆき。中島のデビュー曲を聞いた時、研は「曲をつくってほしい」と願ったという。そして、名曲「あばよ」が誕生。レコーディングの時、初めて会ったという、中島みゆきへの熱い思いとは? 「LA-LA-LA」「かもめはかもめ」などを含む、16曲を提供してもらった中島の世界観を、研が深く語る。
1987年、34歳の時に結婚し、2人の子どもを授かった。仕事に追われていた研は、この時、ベビーシッターを雇う。しかし、仕事に出かける時、子どもたちが泣く姿を見て異変に気付いた。そこにはベビーシッターの暴力があった…。真実を知った研は、子どもたちが心配で仕事をセーブしたという。この時の子どもたちへの反省と愛を、涙ながらに語る。さらに、今年歌手生活47年を迎える研ナオコが抱く夢…、その根底には95歳になる母に親孝行したいという、強い思いがあった。
インタビュアーは、タレント、エッセイストの小島慶子。小島は、インタビューの前にコンサートに足を運び、研の歌声を聞いた。何度か番組で共演した際には、その優しさに胸を打たれたという。向き合って話をするのは初めて、という小島が研ナオコの歌人生に迫る!