BS朝日

バックナンバー

#314

財津和夫(シンガーソングライター)

ゲスト×インタビュアー
財津和夫(シンガーソングライター)×ヤン ヨンヒ(映画監督)

1948年、5人兄弟の末っ子として福岡県に生まれる。米軍基地の近くで育ち、米軍関係者向けのラジオ放送を聞けたため、物心ついたころから洋楽に親しんでいたという。ミュージシャンとしての道を歩むきっかけとなったのは、高校生の時に見た映画「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」。ビートルズのとりことなった財津は、大学に入ると本格的にバンド活動を始めた。後にチューリップとなるこのバンドは、アマチュアバンドコンテストで好成績をおさめ、次第に地元・福岡で人気を集めていく。
1972年に上京し、「魔法の黄色い靴」でメジャーデビュー。しかし、しばらくは、レコードが売れない日々が続いた。崖っぷちに追い込まれる中、1973年に発表した3枚目のシングル「心の旅」がヒットチャート1位を獲得し、80万枚を超えるヒットを記録。チューリップは一躍、スターへの階段を駆け上がっていく。しかしその一方で、この時、財津は人知れず挫折感を味わっていた。その理由とは?
1970年代の中ごろから後半にかけて「青春の影」「虹とスニーカーの頃」など次々と名曲を生み出し、ニューミュージックの中心的バンドとして、チューリップはその地位を確立していく。しかし、存在が大きくなるにつれプレッシャーは増し、苦しい時期が続いた、と財津は当時を振り返る。
1989年、チューリップは18年の歴史に終止符を打ち解散。その決断の裏側にあったものとは? そして、この時財津が抱いていた思いとは?
1997年以降、かつての仲間が集まり期間限定で再結成を果たしているチューリップ。今年はデビュー45周年を記念して、7回目の再結成ツアーで全国を回っている。解散前とは違い、気負うことなくコンサートを楽しんでいるという財津。その心境の変化とは?
今回のインタビュアーは、映画監督のヤン ヨンヒ。音楽と映画、ともに作品を作り、世に送り出す立場として、ヤンはどのような視点から財津の素顔を引き出していくのか? 財津和夫の知られざるミュージシャン人生に、鋭く迫る!