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#330

山田邦子(タレント)

ゲスト×インタビュアー
山田邦子(タレント)×吉永みち子(作家)

1960年、東京荒川区生まれ。厳格な父のもと、中学から短大まで、お嬢様学校といわれる女子校に通う。成績はオール5。小学校から短大まで、学級委員を務めた。学校では、ファンクラブができるほどの人気者。その原点となったのは、幼いころに抱えていたあるコンプレックスが影響したという。それは一体何だったのか?
中学時代の夢は、落語家。短大に進むと、早稲田大学の寄席演芸研究会に入り、素人参加番組に片っ端から応募する。人気番組「笑ってる場合ですよ!」の勝ち抜きコーナーでチャンピオンとなり、アマチュアでありながらテレビ業界では知られた存在に。おなじみのバスガイドのネタは、学生時代に作ったものだという。
1981年にデビューし、本格的に芸能活動を始めた山田は、「オレたちひょうきん族」のレギュラーとして活躍。「ひょうきん絵描き歌」のコーナーで一気にブレークした。その後も、コントやモノマネでも才能を遺憾なく発揮していく。そして1989年、自身の名前がついた冠番組を持つまでに。さらに、NHKの好感度タレントランキングでは8年連続1位に輝いた。当時の月収は1億円を超えたという。
山田に転機が訪れたのは10年前。46歳の時に乳がんが発覚したのだ。3つの腫瘍摘出のため、2度の手術を余儀なくされ、放射線治療やホルモン剤治療と予断を許さなかった。それまで大病を患ったことなどなかった山田。しかし、“がん友”と呼ばれるがん患者仲間との交流を機に、人生観が大きく変わったという。手術から1年後の2008年、「がんに立ち向かう人たち、家族を勇気づけたい」「がんの早期発見治療の大切さを伝えたい」その思いを実現するため、著名人が参加する「スター混成合唱団」を自ら結成。参加者はボランティアでノーギャラ。マネージャーも同行しない。団長の山田は参加者集めから、移動手段、宿泊施設の予約、スケジュール作成まで、事務作業を一手に引き受けている。活動にかける山田の思いとは?
今年1月には、プロレス大会をプロデュースした。実は、山田は年間70試合以上観戦するという筋金入りのプロレスファン。乳がんを患って10年がたち、快気祝いとしてプロレス団体「NOAH」の協力で、大会を開催したのだという。
また、プロレスのほか取り組んでいるのが、農業。新潟県の畑で大好きなスイカの栽培をしている。釣りはスポーツ新聞に連載を持つほどの腕前だ。さらに、三味線、リカちゃん人形の収集…と多忙な日々を送る。現在56歳、再発の恐怖と闘いながら、人生を謳歌(おうか)する山田邦子。その素顔に迫る!