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#331

稲垣潤一(歌手)

ゲスト×インタビュアー
稲垣潤一(歌手)×森下康樹(編集者)

インタビューの舞台は、稲垣が古くからオーナーと親交があるという、東京・新宿にある小さなライブハウス。インタビュアーは、編集者・森下康樹が務める。稲垣よりちょうど10歳下の森下は、18歳で上京した時にテレビで歌う姿に鮮烈な印象を受け、以来、ずっとファンだという。そんな森下が引き出す、稲垣の素顔とは?
1953年、宮城県生まれ。榴ヶ岡駅にある商店街で洋品店を営んでいた両親は、大の洋楽好き。幼少のころから家のラジオで音楽を聞いて育った稲垣は、中学1年生の時、友人たちとバンドを結成、ドラムを担当することになる。初めて人前で演奏した時から、すでにドラムをたたきながら歌うというスタイルだった。「なぜ、ギターやベースではなく、ドラムを選んだのか?」「ドラムをたたきながら歌うのは、大変では?」さまざまな質問をぶつける森下に対し、稲垣は実際にドラムをたたきながら、現在のスタイルがどのように誕生したのか、を語っていく。
高校でもバンド三昧の日々を送り、卒業後はいったん就職するも、わずか1日で辞め、クラブやキャバレーなどで演奏する“ハコバン”生活に入る。米軍キャンプやビアガーデン、ディスコ、さまざまな場所で演奏するが、客の目的は酒やホステスであり、バンドはあくまでBGM。金銭的な待遇も悪く、多くのバンド仲間たちが“ハコバン”生活から去っていく中、稲垣はプロのバンド演奏者として約9年間活動を続けた。その甘い歌声は話題となり、「仙台に稲垣あり」といわれるまでに。そしてついには東京からスカウトが訪れ、1982年「雨のリグレット」で世に出たのは、28歳の時。プロになった稲垣は、歌や音楽と向き合う姿勢が大きく変わったという。その心境の変化とは? その後、「夏のクラクション」「ロングバージョン」など次々とヒットを飛ばし、いつしか大人向けのロック、いわゆるAOR(Adult-oriented Rock)を代表するミュージシャンと呼ばれるように。
デビュー3曲目の「ドラマティック・レイン」がヒットし、一躍スターに。そしてデビュー10年目の1992年、今も歌い継がれるクリスマス曲の定番「クリスマスキャロルの頃には」が誕生、ミリオンヒットとなった。作詞は、秋元康。この曲がヒットした要因の一つに、秋元の作詞の妙があるという。果たして大ヒットの理由とは? 貴重なライブ映像をみながら、その秘密をひもといていく。
デビュー35周年、さまざまな記念ライブやコンサートが開かれる中、プライベートでは中学時代に友人たちと組んだバンドを再び結成。2008年からは、中森明菜、太田裕美、柴咲コウなど、さまざまな女性ボーカルとデュエットしたカバーアルバム「男と女」をシリーズで発売。デュエットという新ジャンルを開拓し、最近では人気アイドルNMB48の山本彩との “40歳差”デュエットも大きな注目を集めた。60代にして今なお挑戦し続けるミュージシャン稲垣潤一は、これまでどのような思いで音楽と向き合ってきたのか? 「音を楽しんでこそ、音楽」と語る稲垣の足跡を、ヒット曲と共にたどる!