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#350

売野雅勇(作詞家)

ゲスト×インタビュアー
売野雅勇(作詞家)×小島慶子(タレント、エッセイスト)

「少女A」「め組のひと」「涙のリクエスト」「2億4千万の瞳」…80年代、日本の音楽シーンを席巻したヒット曲の数々を手掛けた。多くの人々が共感したのは、キャッチーなメロディーと売野が紡いだ言葉だった。
昨年、作詞活動35周年を迎え、多くの人々の記憶に残る売野作品に、再び注目が集まっている。なぜあの時代、売野の紡いだ言葉がなぜ若者たちの支持を得たのか? 幼少期から青春時代まで、売野の作品を日常的に口ずさんでいたというインタビュアーの小島慶子が、その理由を探っていく。
上智大学卒業後は、広告代理店に就職し、広告などに文言を付けるコピーライターとして活躍する。転機は30歳目前、キャッチーな言葉でさまざまな広告を彩っていた売野は、レコード会社のディレクターに「歌詞を書いてみないか?」と声を掛けられる。
1981年、ドゥーワップという歌唱スタイルと独自のスタイルを持ったシャネルズ(後のラッツ&スター)のアルバム曲に詞を提供し、作詞家デビュー。そこから売れっ子作詞家になるまでに、多くの時間はかからなかった。
1982年には、中森明菜の「少女A」が大ヒット。アイドルらしからぬタイトルと、大人びた詞は反響を呼び、中森明菜を一躍トップスターに導いた。売野にとっても大きな転機となったこの楽曲について、作詞家だからこそ語れるエピソードを明かす。そして、デビュー当時から深く関わった、チェッカーズとの交流秘話も。大ヒット曲「涙のリクエスト」の誕生秘話、そして当時のメンバーたちの知られざる素顔とは?
さらに、常識を裏切り、若者たちをとりこにしてきた作詞家の原点にも迫る。栃木県足利市で生まれ育った売野に影響を与えた人物や音楽とは、一体どのようなものだったのか?
また、CDが売れないといわれる現在の音楽シーンを売野が独自に分析! 何が今の歌には足りないのか? 売野の出した、興味深い答えとは…?