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エンタメ・音楽
「汐留〜浜松町」編
#121
バナナマン日村が歩く! ウォーキングのひむ太郎
2024年4月23日(火)よる10:00~10:30
旅・くらし
石巻発 震災で逝った姉との約束 居酒屋女将の再出発
#209
ウチ、“断捨離”しました!
2024年4月23日(火)よる9:00~9:54
迷宮グルメ 異郷の駅前食堂 インドネシア・モジョケルト駅
#298
迷宮グルメ 異郷の駅前食堂
2024年4月23日(火)よる10:30~11:00
オネスティーズ 前篇
#51
ウェルビーイング、みつけた
2024年4月22日(月)よる8:54~9:00
スポーツ
浜松シーサイドゴルフクラブ(後編)
#118
極上!ゴルフ場探訪
2024年4月22日(月)よる10:00~10:30
地方創生DX
「発信」と「体験」 知る人ぞ知る地方の魅力にフォーカス。
Fresh Faces ~アタラシイヒト~
YouTubeで本編のバックナンバーをご覧いただけます。
「フェラーリ特集回」全28話を配信
最新話以外の「カーグラフィックTV」を配信で視聴できるのは「U-NEXT」だけ!
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ゲスト×インタビュアー 鹿賀丈史(俳優)× 下平さやか(テレビ朝日アナウンサー)
少年時代から合唱団に入り、コーラスの名門高校に進学、卒業後はプロの声楽家を目指していたという鹿賀。しかし、とあるきっかけで劇団四季へ入団。その顛末を語る。 劇団四季では浅利慶太に早くから見出され、2年目にはミュージカルで主演デビュー。その舞台で共演したのが同期生、市村正親だった。鹿賀にしか語ることができない、どこか微笑ましい浅利と市村の意外なエピソードとは? 劇団四季在籍中に薫陶を受けた1人が昭和の大スター、越路吹雪。越路は自らのそばに鹿賀をおき、芸とは何か、演じることとは何かを教え続けてくれたという。 そして四季退団後、映画に挑戦。その第一作目が「野獣死すべし」。あの松田優作が主演の作品だった。当時すでに大スターだった松田からかけられた言葉は今も鹿賀の胸に深く刻まれていた。 その後、大河ドラマ「翔ぶが如く」に出演。大河ドラマ史上最高のコンビと評された西郷隆盛役の西田敏行と大久保利通を演じた鹿賀。作品からは知ることのできない二人の意外な関係性とは? さらに、テレビ史に残るバラエティー番組「料理の鉄人」では、美食アカデミー主宰という役を演じた。鹿賀が自身でアイデアを出したという衣装、そして「私の記憶が確かなら…」というフレーズの秘密まで明かす。 今年3月から、思い入れ深い作品、ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」に挑む鹿賀。コンビを組むのは劇団四季時代からの盟友、市村正親だ。市村とコンビを組んで10年目となるこの作品の見どころを鹿賀は嬉しそうに語ってくれた。 インタビューは「ラ・カージュ・オ・フォール」を上演する日生劇場で行われた。昭和38年に開場した歴史あるこの劇場は、鹿賀曰く「自分が最も多く舞台を踏んだ場所」。鹿賀がどのように俳優人生を歩み、人とのつながりを大切にしてきたのか? 軽やかに、爽やかに語る鹿賀丈史の言葉から、その答えが見えてくる。
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ゲスト×インタビュアー
鹿賀丈史(俳優)× 下平さやか(テレビ朝日アナウンサー)
少年時代から合唱団に入り、コーラスの名門高校に進学、卒業後はプロの声楽家を目指していたという鹿賀。しかし、とあるきっかけで劇団四季へ入団。その顛末を語る。
劇団四季では浅利慶太に早くから見出され、2年目にはミュージカルで主演デビュー。その舞台で共演したのが同期生、市村正親だった。鹿賀にしか語ることができない、どこか微笑ましい浅利と市村の意外なエピソードとは?
劇団四季在籍中に薫陶を受けた1人が昭和の大スター、越路吹雪。越路は自らのそばに鹿賀をおき、芸とは何か、演じることとは何かを教え続けてくれたという。
そして四季退団後、映画に挑戦。その第一作目が「野獣死すべし」。あの松田優作が主演の作品だった。当時すでに大スターだった松田からかけられた言葉は今も鹿賀の胸に深く刻まれていた。
その後、大河ドラマ「翔ぶが如く」に出演。大河ドラマ史上最高のコンビと評された西郷隆盛役の西田敏行と大久保利通を演じた鹿賀。作品からは知ることのできない二人の意外な関係性とは?
さらに、テレビ史に残るバラエティー番組「料理の鉄人」では、美食アカデミー主宰という役を演じた。鹿賀が自身でアイデアを出したという衣装、そして「私の記憶が確かなら…」というフレーズの秘密まで明かす。
今年3月から、思い入れ深い作品、ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」に挑む鹿賀。コンビを組むのは劇団四季時代からの盟友、市村正親だ。市村とコンビを組んで10年目となるこの作品の見どころを鹿賀は嬉しそうに語ってくれた。
インタビューは「ラ・カージュ・オ・フォール」を上演する日生劇場で行われた。昭和38年に開場した歴史あるこの劇場は、鹿賀曰く「自分が最も多く舞台を踏んだ場所」。鹿賀がどのように俳優人生を歩み、人とのつながりを大切にしてきたのか? 軽やかに、爽やかに語る鹿賀丈史の言葉から、その答えが見えてくる。