番組表
閉じる
メニュー
エンタメ・音楽
オネスティーズ 前篇
#51
ウェルビーイング、みつけた
2024年4月22日(月)よる8:54~9:00
スポーツ
浜松シーサイドゴルフクラブ(後編)
#118
極上!ゴルフ場探訪
2024年4月22日(月)よる10:00~10:30
佐賀県佐賀市 三瀬温泉 やまびこの湯
#174
サウナを愛でたい
2024年4月22日(月)よる10:30~10:54
シーズン14 1回戦 マッチ7
女子ゴルフペアマッチ選手権
2024年4月22日(月)よる9:00~10:00
旅・くらし
「若葉祭」
#277
暦に集う
2024年4月21日(日)よる8:54~9:00
BS朝日エピソード0~コンテンツ開発秘話~
番組ホームページで紹介しきれないウラ話や苦労話、コンテンツ開発秘話などをご紹介していきます。
Fresh Faces ~アタラシイヒト~
YouTubeで本編のバックナンバーをご覧いただけます。
「フェラーリ特集回」全28話を配信
最新話以外の「カーグラフィックTV」を配信で視聴できるのは「U-NEXT」だけ!
広告
ゲスト×インタビュアー 千昌夫(歌手)× 石原正康(編集者) 1947年4月8日、岩手県陸前高田市に生まれる。歌手を志したのは高校生のとき。1960年当時、遠藤実といえば「からたち日記」「アキラのズンドコ節」「高校三年生」など、ヒット曲を連発する新進気鋭の作曲家だった。そんなヒットメーカーに、千はなぜ弟子入りできたのか? そして今だから笑って話せるという、初対面のエピソードとは? 17歳で遠藤実の弟子となった千は、1965年、歌手デビューを果たす。最初のヒットはデビューから2年後、「星影のワルツ」だったが、このヒットの裏には千ならではのエピソードが隠されていた。1年以上をかけてミリオンセラーにまで生まれ変わらせた千昌夫流「ヒット曲の作り方」とは? 歌手・千昌夫の代表曲といえば、1977年、29歳で発表した「北国の春」。作曲はもちろん遠藤実。ヨレヨレのコートにボストンバッグを持ちながら歌ったこの曲で、千は6度もNHK紅白歌合戦に出場している。この名曲の舞台裏を、遠藤が愛した鰻重を食べながら、懐かしそうに明かしてくれた。 多くのヒット曲を歌い続けてきた千昌夫にとっても、歌の存在価値を改めて感じた出来事があるという。それは、2011年の東日本大震災…。千の故郷、岩手県陸前高田市は甚大な被害を受けた。千は何度も故郷に足を運び、自身の歌声で被災地にエールを送り続けている。そこで感じた歌の力とは…? 古希を過ぎた千昌夫。最後に自身の人生を振り返ってもらうと…少し考えた後、千は少し恥ずかしそうにしながらも、本音を語ってくれた。長い歌手人生、いま改めて振り返り、千昌夫が思うこととは…?
前へ
ゲスト×インタビュアー
千昌夫(歌手)× 石原正康(編集者)
1947年4月8日、岩手県陸前高田市に生まれる。歌手を志したのは高校生のとき。1960年当時、遠藤実といえば「からたち日記」「アキラのズンドコ節」「高校三年生」など、ヒット曲を連発する新進気鋭の作曲家だった。そんなヒットメーカーに、千はなぜ弟子入りできたのか? そして今だから笑って話せるという、初対面のエピソードとは?
17歳で遠藤実の弟子となった千は、1965年、歌手デビューを果たす。最初のヒットはデビューから2年後、「星影のワルツ」だったが、このヒットの裏には千ならではのエピソードが隠されていた。1年以上をかけてミリオンセラーにまで生まれ変わらせた千昌夫流「ヒット曲の作り方」とは?
歌手・千昌夫の代表曲といえば、1977年、29歳で発表した「北国の春」。作曲はもちろん遠藤実。ヨレヨレのコートにボストンバッグを持ちながら歌ったこの曲で、千は6度もNHK紅白歌合戦に出場している。この名曲の舞台裏を、遠藤が愛した鰻重を食べながら、懐かしそうに明かしてくれた。
多くのヒット曲を歌い続けてきた千昌夫にとっても、歌の存在価値を改めて感じた出来事があるという。それは、2011年の東日本大震災…。千の故郷、岩手県陸前高田市は甚大な被害を受けた。千は何度も故郷に足を運び、自身の歌声で被災地にエールを送り続けている。そこで感じた歌の力とは…?
古希を過ぎた千昌夫。最後に自身の人生を振り返ってもらうと…少し考えた後、千は少し恥ずかしそうにしながらも、本音を語ってくれた。長い歌手人生、いま改めて振り返り、千昌夫が思うこととは…?