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#419

有森裕子(元マラソン選手)

ゲスト×インタビュアー
有森裕子(元マラソン選手)× 宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

1966年岡山県岡山市生まれ。生まれつき足の付け根の関節が外れていたため、幼い頃は両足に矯正バンドをつけていたという有森。
さらに小学校2年生の時にはダンプカーに足首を轢かれるなど、身体のバランスが悪くランナーになる要素は全く持っていなかったという。
そんな有森が、「陸上をやりたい」と思うキッカケになったある出来事とは・・・

大学までは国体、インターハイにも出場したことが無い無名の選手。
“駄馬”と呼ばれた時代もあった。
そんな彼女は卒業後、名伯楽・小出義雄監督率いる社会人チームリクルートの門を叩く。
実績もなかった彼女が、小出監督を振り向かせたある方法とは。

小出監督の下で指導を受けた有森の才能は一気に開花。
マラソンを始めて1年、大阪国際女子で初マラソン日本最高記録。
翌年、2回目のマラソンで2時間28分1秒の日本最高記録を叩きだした。

そして1992年、バルセロナ五輪で銀メダルを獲得。4年後のアトランタでは銅メダル。2大会連続、五輪でメダル獲得という女子陸上界初の快挙を成し遂げた。
まさに『日本女子マラソン界のパイオニア』。
しかし、銀メダルを獲得したレース当日朝、有森をある悲劇が襲っていたという。
その悲劇とは、そしてどう乗り越えたのか・・・。

2007年に現役を引退。自らのキャリアを生かし、走ることを通して知的障がい者や地雷で手足を失った人たちへの支援活動を行っている。
多岐にわたるスポーツへの貢献は、国際オリンピック委員会からも称えられ、2010年、日本人として初めてIOC女性スポーツ賞を受賞した。
そんな有森、15年近く日本記録が更新されていない日本女子マラソン界に、思わず喝を入れる一面も・・・

インタビューの舞台は、有森が行きつけだというパティシエ鎧塚利彦の店。
大好物のリンゴを使ったスイーツを食しながら、本音で語った1時間。