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#421

鈴木雅之(ボーカリスト)

ゲスト×インタビュアー
鈴木雅之(ボーカリスト)× 小島慶子(タレント、エッセイスト)

1956年生まれ。東京湾にほど近い東京・大森で育ち、町工場を営んでいた父、そして4歳上の姉は、無類の音楽好きだったという。鈴木がいかにして音楽に、そしてソウルミュージックに魅せられていったのか…その原点は少し意外なものだった。
1975年、幼なじみたちとシャネルズを結成。彼らが選んだのは、リズミカルなコーラスがからむ“ドゥーワップ”という音楽だった。日本にまだなじみがなかったバンドのスタイルはその後、グループの強烈な個性となっていく。シャネルズは次第に音楽好きの間で知られる存在となり、アマチュアにも関わらず、ライブには大滝詠一や山下達郎の姿もあったという。
鈴木にとって音楽は、仲間たちと楽しむための趣味だった。しかし23歳の時、運命が変わる。1980年、シャネルズが「ランナウェイ」でプロデビュー。作詞を湯川れい子、作曲を井上大輔が手がけた楽曲は、デビュー作にも関わらず日本を席巻した。シャネルズの結成からずっと応援していた鈴木の父親は、この成功を心の底から喜んでくれたという。鈴木はうれしそうに父とのエピソードを明かしてくれた。
1983年、グループはラッツ&スターと名を変え、「め組のひと」で再び一大旋風を巻き起こす。時代は音楽番組が華やかだった80年代。当時の忘れられない思い出とは…? サザンオールスターズやTHE ALFEEとも、意外な接点があったという。
そして1986年、ソロ活動をスタートし、現在まで数多くの名曲を世に送り出している。順調だったグループに区切りをつけ、ソロ活動を始めた理由は何だったのか? その舞台裏には、あるアーティストとの出会いがあった。
鈴木雅之の音楽活動を語る上で欠かせないものがある。それは、数々の女性と生み出してきたデュエットソング。その原点は、姉・鈴木聖美と歌って大ヒットした「ロンリー・チャップリン」だ。鈴木はデュエットソングに隠された秘密や極意を教えてくれた。
今年3月13日、鈴木雅之は3年ぶりとなるアルバム「Funky Flag」を発表。THE ALFEEの高見沢俊彦、元ピチカート・ファイヴの小西康陽、布袋寅泰など、1曲ごとに異なるプロデューサーを迎え、ボーカリスト・鈴木雅之の新たな魅力を引き出している。自信作というこのアルバムのレコーディングの舞台裏を聞かせてくれた。
還暦を過ぎ、まだまだ意気盛んな62歳。音楽に対する真摯な想い、音楽が繋いでくれた人々との大切な出会い…。鈴木の魅力的な歌声がどのように生まれるのか――、その答えがちりばめられたインタビューとなった。