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エンタメ・音楽
大ピンチを乗り越えろ!父の想いを受け継ぐ酪農兄弟
#73
工藤阿須加が行く 農業始めちゃいました
2024年4月24日(水)よる10:00~10:30
魚が食べたい!#170 愛媛県宮窪(みやくぼ)漁港(10ノットダイ)
#170
魚が食べたい!-地魚さがして3000港-
2024年4月24日(水)よる9:00~9:54
映画・アニメ
シーズン1 リバイバル4話 みんなで豊かになるには?
#4
湖池屋SDGs劇場サスとテナ
2024年4月24日(水)よる8:54~9:00
三毳山(みかもやま)後編
#98
そこに山があるから
2024年4月24日(水)よる10:30~10:54
「汐留〜浜松町」編
#121
バナナマン日村が歩く! ウォーキングのひむ太郎
2024年4月23日(火)よる10:00~10:30
マルチチャンネル編成
2024年4月からメインチャンネル(151ch)とサブチャンネル(152ch)で番組を同時に放送する「マルチチャンネル編成」を開始します。
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ゲスト×インタビュアー 布施明(歌手)×石原正康(編集者) 1947年12月18日、東京都生まれ。4人兄弟の末っ子。音楽に興味を持つキッカケとなったのは、中学生の時に見たコンサート。そこで「九ちゃんのズンタタッタ」を歌う坂本九の姿に衝撃を受けた。その後、高校在学中にオーディション番組に合格。しかし合格の理由は、歌声でなく意外な理由だった。その理由とは…!? 1965年、17歳の時「君に涙とほほえみを」でレコードデビュー。その後、レギュラー出演した音楽番組の共演者・植木等から音楽について多くを学んだという。声の出し方から音楽に対する姿勢まで教えてくれ、尊敬しているという植木等との知られざるエピソードとは。 1966年、平尾昌晃作曲の「霧の摩周湖」がヒット。当時、あまり知られていなかった摩周湖が観光地になるほどのブームとなるが、元々は「海」をテーマに作った曲だという。ヒット曲「霧の摩周湖」の誕生秘話、そして師匠・平尾昌晃への想いを語る。 ヒットを飛ばす一方で、実は歌手を辞めたい、と悩んでいた布施。音楽の基礎を学んでこなかった事で、歌手としての自信が無かったからだという。事務所に休みを申し出ると「あと2曲出して、ヒットしなければ休んでいい」と言われ、次の曲として届いたのが、のちにミリオンセラーの大ヒットとなる「シクラメンのかほり」だった。初めて曲を聞いた時、布施は売れないと思っていたという。名曲誕生の舞台裏とは。 結婚を機にアメリカで歌のレッスンを受け、コンプレックスだった音楽の基礎を学ぶが、帰国後の音楽祭は上手くいかず、音程や声の幅はそこまで重要ではないことを実感した、と当時を振り返る。そして今も、人を感動させる「歌」を届けるために模索し続けているのだという。 今年3月、声帯にポリープが見つかる。コンサートが残っており、スタッフは延期しようとしていたが、布施は舞台に立つことを決意し、発声を一から見つめ直しながら治療を受けていた。そして、手術前の検診に行くと、ポリープがなくなっていたという。しかし、これを機に発声を一から見つめ直したことで、やっと自分の歌い方が分かってきたと語る。 来年、歌手生活55周年を迎える布施。71歳の今、歌へのパワーの源は「悔しさ」だというが、その意味とは…?そこには、音楽を突き詰めるために歌い続ける姿があった。 インタビューは、布施がレコーディングで利用しており、居心地が良くてお気に入りの場所だという音楽スタジオで行われた。数々の名曲と共に、布施明の歌と歩んできた半生に迫る。
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ゲスト×インタビュアー
布施明(歌手)×石原正康(編集者)
1947年12月18日、東京都生まれ。4人兄弟の末っ子。音楽に興味を持つキッカケとなったのは、中学生の時に見たコンサート。そこで「九ちゃんのズンタタッタ」を歌う坂本九の姿に衝撃を受けた。その後、高校在学中にオーディション番組に合格。しかし合格の理由は、歌声でなく意外な理由だった。その理由とは…!?
1965年、17歳の時「君に涙とほほえみを」でレコードデビュー。その後、レギュラー出演した音楽番組の共演者・植木等から音楽について多くを学んだという。声の出し方から音楽に対する姿勢まで教えてくれ、尊敬しているという植木等との知られざるエピソードとは。
1966年、平尾昌晃作曲の「霧の摩周湖」がヒット。当時、あまり知られていなかった摩周湖が観光地になるほどのブームとなるが、元々は「海」をテーマに作った曲だという。ヒット曲「霧の摩周湖」の誕生秘話、そして師匠・平尾昌晃への想いを語る。
ヒットを飛ばす一方で、実は歌手を辞めたい、と悩んでいた布施。音楽の基礎を学んでこなかった事で、歌手としての自信が無かったからだという。事務所に休みを申し出ると「あと2曲出して、ヒットしなければ休んでいい」と言われ、次の曲として届いたのが、のちにミリオンセラーの大ヒットとなる「シクラメンのかほり」だった。初めて曲を聞いた時、布施は売れないと思っていたという。名曲誕生の舞台裏とは。
結婚を機にアメリカで歌のレッスンを受け、コンプレックスだった音楽の基礎を学ぶが、帰国後の音楽祭は上手くいかず、音程や声の幅はそこまで重要ではないことを実感した、と当時を振り返る。そして今も、人を感動させる「歌」を届けるために模索し続けているのだという。
今年3月、声帯にポリープが見つかる。コンサートが残っており、スタッフは延期しようとしていたが、布施は舞台に立つことを決意し、発声を一から見つめ直しながら治療を受けていた。そして、手術前の検診に行くと、ポリープがなくなっていたという。しかし、これを機に発声を一から見つめ直したことで、やっと自分の歌い方が分かってきたと語る。
来年、歌手生活55周年を迎える布施。71歳の今、歌へのパワーの源は「悔しさ」だというが、その意味とは…?そこには、音楽を突き詰めるために歌い続ける姿があった。
インタビューは、布施がレコーディングで利用しており、居心地が良くてお気に入りの場所だという音楽スタジオで行われた。数々の名曲と共に、布施明の歌と歩んできた半生に迫る。