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#458

冨士眞奈美(女優・俳人)

ゲスト×インタビュアー
冨士眞奈美(女優・俳人)× 舘野晴彦(編集者)

女優・俳人、冨士眞奈美。
静岡県三島市で生まれた冨士は、外では男の子に混じって野球で遊ぶ一方で、新聞記者だった父親の影響で幼い頃から読書に親しんだという。高校3年生の時、劇団民藝の「アンネの日記」のオーディションを受けることになり、これが女優の道に進むキッカケとなった。しかし当時、女優になろうと考えたことはなかったという。
アンネ役には選ばれなかったが、劇団民藝の推薦で、NHKのドラマのオーディションを受ける事に。演技の経験は全くなかったため蝶々夫人の「ある晴れた日に」を原語で歌うと、これが審査員の目にとまり、18歳でドラマ「この瞳」主役でデビュー。NHK専属女優第一号になるが、撮影では失敗続きだったという。その舞台裏とは? そして当時、ルームシェアをしていたのが、のちに声優としてもブレイクする大山のぶ代。一緒に食事や銭湯に通っていたという大山のぶ代との青春を懐かしく語る。
清純派女優として注目された冨士は、美しい顔立ちから化粧品の専属モデルにも抜擢される。活躍の場を広げ、車を買って一軒家に住み、順風満帆にみえたが、胸中では女優を辞めて父親のような記者や編集者になろうと考えていた。その矢先、ある出来事が…。
1970年、32歳でドラマ「細うで繁盛記」に出演。旅館に嫁いできた兄嫁をいびる小姑役だった。これまでのような清純派ではなく、憎まれ役は初挑戦だったが、強烈な印象を残して評判に。その後ホームドラマのオファーが殺到した。とりわけ石立鉄男との共演が多く、「パパと呼ばないで」「雑居時代」などで共演。“可愛い弟”だという石立鉄男との秘話を語ってくれた。
仕事も順調だった1974年、脚本家と結婚し、家庭に入るために女優を引退する。2年後に娘が誕生し、子育ては戸惑いの連続だったという。やがて結婚生活は1984年に終わりを迎える。これを機に女優に復帰したが、当時の冨士の心境とは?
俳人の顔も持つ冨士は月に一度、句会に参加している。仲間の岸田今日子や吉行和子は、3人で海外旅行を楽しむほどプライベートでも親しい間柄。俳句の魅力、友人たちとの交友秘話を語る。
インタビューは、冨士がアジトと言うほど通い詰めてきた、東京・新宿の老舗居酒屋「どん底」で行われた。60年以上の馴染みの場所でオリジナルカクテルを味わいながら、じっくりと半生を振り返る。