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#477

元谷芙美子(アパホテル社長)

ゲスト×インタビュアー
元谷芙美子(アパホテル社長)× 石原正康(編集者)

今回のインタビュー場所は、東京・赤坂にある元谷の看板を掲げる建物内の一室。
1947年、福井県福井市生まれ。三姉妹の長女。学生時代は生徒会長を務め、部活動も放送部、陸上部、弁論部にも所属するという活発な少女だった。福井県内一の進学校にも進学し、将来は「教師」になるのを夢見ていた。しかし、高校時代、印刷工場の工場長だった父親が、鉛中毒で倒れ、三人姉妹の長女として、自分が大学進学をすれば、妹たちが高校に行けなくなってしまう…と進学を断念し、地元の信用金庫へ就職。

そんな中、金融機関の労働組合の会合で、生涯をともにすることになるベストパートナー・元谷外志雄(現アパグループ代表)と出会うことに。サングラスに黒いスーツ、足で戸を開ける豪快な男性。お茶を出す時に緊張のあまり「小指」が立っていた健気な元谷の仕草に惚れたのだという。
後に二人は結婚。元谷が22歳の時だった。

1971年、夫・外志雄が「信金開発株式会社(現アパグループ)」を立ち上げる。起業当初、第一子を妊娠中だったが、経理や事務職をして手伝い、出産後は営業にも出た。すると営業成績は、トップに。実力で取締役となる。その後、営業手腕を買われ、「ホテルでお客をもてなすのは女将や」と、代表である夫に指名され、1994年、アパホテル社長に就任する。
そして、あの元谷の広告が誕生する。「史上最悪の広告」「やめてくれ」「公共の福祉に反する」と非難の抗議が沸いたが、逆にそれだけの反響があった証拠、世に浸透した結果と思ったという。
アパホテルは、ホテル業界では、先駆けのサービスを提供することにより、他との差別化を図ってきた。駅から徒歩3分以内で、宿泊料も安く、大浴場もあって、朝食が美味しい。評判もあって、着実に人気を重ねてきた。

2007年、耐震強度不足問題が発覚した際の複雑な心境も語る。京都のホテル2棟で勧告を受け、ホテルは営業停止。マスコミからは叩かれ大騒動になった。銀行からは融資の全額返済を要求されたが、マンションの建設予定地をいくつも売却し、何とか危機を切り抜けた。その時「リーマン・ショック」が起き、資金繰りの為に土地を売り余っていた資金で、今度は、都心の一等地を底値で買い入れて、ホテルを次々に作る。これが現在の大躍進へのきっかけとなった。

二人の息子の母親である元谷の教育方針は、「勉強するな」である。難関大学に行っても大成しない。勉強はただ記憶力の強い子をつくるだけ。トップの経営者になるには、人を引きつける魅力と精神力が必要だと教えてきたという。
妻としての元谷の顔は…「夫婦喧嘩はしない」という。夫の意見には反対せず、夫を最大限に立てる。夜は「クラブふみふみ 」を開店し、手料理と、焼酎で夫をねぎらう。
仕事もプライベートも全力。小さな体から溢れ出る元谷のチカラの源とは?

インタビュアーは、編集者 石原正康