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#493

伊藤みどり(フィギュアスケーター)

ゲスト×インタビュアー
伊藤みどり(フィギュアスケーター)× 宮嶋泰子(スポーツ文化ジャーナリスト)

1969年、愛知県名古屋市生まれ。初めてスケートをしたのは4歳の時。小学校に上がる頃、後に浅田真央や宇野昌磨を輩出する名コーチ・山田満知子に見出され、
指導を受ける。山田が伊藤にトリプルアクセルを習得させようとしたのは、中学3年の時。当時、トリプルアクセルを跳んでいたのは、世界トップクラスの男子選手わずか
数人。女子には永久に不可能と言われていた超高度な技だった。それでも習得させようとしたのには、ある理由があった。

19歳の時、女子選手で世界初となるトリプルアクセルを、日本公式戦で成功。
最大の武器を手に入れた伊藤は、2度目のオリンピック、アルベールビルに挑む。
しかしこの時、天才少女はこの時、ジャンプが跳べなくなるほど、大きな悩みを抱いていた。ショートプログラムは、安全策をとりあえてトリプルアクセルを入れずに3回転ジャンプ。しかしまさかの転倒。結果は4位、金メダルが遠のく。
だが、迎えたフリー。伊藤はトリプルアクセルを1度失敗するものの、後半に再び挑戦し、見事に成功。こうしてオリンピック史上女子初のトリプルアクセルを決めた。同時に日本フィギュア界初となるメダルも獲得。伊藤は、どのようにしてドン底から立ち直ったのか?
1992年、伊藤みどりは22歳で現役を引退。その後、“アイスショーを日本で広めたい”とプロスケーターの道を歩んだ。だが、引退から3年。25歳で突然の現役復帰。実はどうしても出たい大会があったという。

2011年から伊藤みどりは、国際スケート連盟が主宰の「アダルト競技会」に定期的に出場。2年前、48歳にしてダイナミックなダブルアクセルを成功させ、スケート界を驚かせた。今もスケートに魅了されるその理由とは?

インタビュアーは、スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋泰子