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報道・ドキュメンタリー
つながる、ひろがる、地域のわ。わっかフェス~秋田 郷土芸能×音楽のチカラ~
2024年4月28日(日)ひる0:00~0:55
旅・くらし
「別府八湯温泉まつり」
#278
暦に集う
2024年4月28日(日)よる8:54~9:00
ろう者の文化を発信する場所 牧原依里(まきはら・えり)37歳
未来につなぐエール
2024年4月28日(日)よる6:54~7:00
上館誠也 株式会社ShiruBe 代表取締役CEO
#469
fresh faces
2024年4月27日(土)よる8:54~9:00
ワカコさんとマサルくんのお宅は買わないの?? スペシャル
2024年4月27日(土)午後3:00~3:54
マルチチャンネル編成
2024年4月からメインチャンネル(151ch)とサブチャンネル(152ch)で番組を同時に放送する「マルチチャンネル編成」を開始します。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
町山&藤谷のアメTube
エンタメ業界のウラ事情やココだけ話を、“アメ知る”でおなじみの2人がディープに語る!
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ゲスト×インタビュアー 伊藤みどり(フィギュアスケーター)× 宮嶋泰子(スポーツ文化ジャーナリスト) 1969年、愛知県名古屋市生まれ。初めてスケートをしたのは4歳の時。小学校に上がる頃、後に浅田真央や宇野昌磨を輩出する名コーチ・山田満知子に見出され、 指導を受ける。山田が伊藤にトリプルアクセルを習得させようとしたのは、中学3年の時。当時、トリプルアクセルを跳んでいたのは、世界トップクラスの男子選手わずか 数人。女子には永久に不可能と言われていた超高度な技だった。それでも習得させようとしたのには、ある理由があった。 19歳の時、女子選手で世界初となるトリプルアクセルを、日本公式戦で成功。 最大の武器を手に入れた伊藤は、2度目のオリンピック、アルベールビルに挑む。 しかしこの時、天才少女はこの時、ジャンプが跳べなくなるほど、大きな悩みを抱いていた。ショートプログラムは、安全策をとりあえてトリプルアクセルを入れずに3回転ジャンプ。しかしまさかの転倒。結果は4位、金メダルが遠のく。 だが、迎えたフリー。伊藤はトリプルアクセルを1度失敗するものの、後半に再び挑戦し、見事に成功。こうしてオリンピック史上女子初のトリプルアクセルを決めた。同時に日本フィギュア界初となるメダルも獲得。伊藤は、どのようにしてドン底から立ち直ったのか? 1992年、伊藤みどりは22歳で現役を引退。その後、“アイスショーを日本で広めたい”とプロスケーターの道を歩んだ。だが、引退から3年。25歳で突然の現役復帰。実はどうしても出たい大会があったという。 2011年から伊藤みどりは、国際スケート連盟が主宰の「アダルト競技会」に定期的に出場。2年前、48歳にしてダイナミックなダブルアクセルを成功させ、スケート界を驚かせた。今もスケートに魅了されるその理由とは? インタビュアーは、スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋泰子
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ゲスト×インタビュアー
伊藤みどり(フィギュアスケーター)× 宮嶋泰子(スポーツ文化ジャーナリスト)
1969年、愛知県名古屋市生まれ。初めてスケートをしたのは4歳の時。小学校に上がる頃、後に浅田真央や宇野昌磨を輩出する名コーチ・山田満知子に見出され、
指導を受ける。山田が伊藤にトリプルアクセルを習得させようとしたのは、中学3年の時。当時、トリプルアクセルを跳んでいたのは、世界トップクラスの男子選手わずか
数人。女子には永久に不可能と言われていた超高度な技だった。それでも習得させようとしたのには、ある理由があった。
19歳の時、女子選手で世界初となるトリプルアクセルを、日本公式戦で成功。
最大の武器を手に入れた伊藤は、2度目のオリンピック、アルベールビルに挑む。
しかしこの時、天才少女はこの時、ジャンプが跳べなくなるほど、大きな悩みを抱いていた。ショートプログラムは、安全策をとりあえてトリプルアクセルを入れずに3回転ジャンプ。しかしまさかの転倒。結果は4位、金メダルが遠のく。
だが、迎えたフリー。伊藤はトリプルアクセルを1度失敗するものの、後半に再び挑戦し、見事に成功。こうしてオリンピック史上女子初のトリプルアクセルを決めた。同時に日本フィギュア界初となるメダルも獲得。伊藤は、どのようにしてドン底から立ち直ったのか?
1992年、伊藤みどりは22歳で現役を引退。その後、“アイスショーを日本で広めたい”とプロスケーターの道を歩んだ。だが、引退から3年。25歳で突然の現役復帰。実はどうしても出たい大会があったという。
2011年から伊藤みどりは、国際スケート連盟が主宰の「アダルト競技会」に定期的に出場。2年前、48歳にしてダイナミックなダブルアクセルを成功させ、スケート界を驚かせた。今もスケートに魅了されるその理由とは?
インタビュアーは、スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋泰子