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#495

小林亜星(作曲家)

ゲスト×インタビュアー
小林亜星(作曲家)× 小島慶子(タレント、エッセイスト)

東京都幡ヶ谷生まれ。父は逓信省の役人、母は築地小劇場の役者、下には妹が1人。音楽に目覚めたのは5歳の時。新宿のバーで聞いたジャズ「アラビアの唄」に感銘を受ける。中学生になると、ギターを購入し仲間と進駐軍クラブに出演し、子供が演奏するバンドだと評判となったのだが、学校に見つかり停学処分となる。怒った父親に、ギターを風呂の薪として燃やされてしまったという。亜星には「医者」になって欲しいというのが両親の望みだった。

その両親の意思を汲み、慶應大学の医学部に入学。だがこの当時、亜星は再び、バンド活動を始め、医学よりもバンド活動の方が楽しくなり、大学3年の時には、親にも言わず勝手に転部してしまう。

卒業後は銀座にあった「製紙会社」に就職するも、本当にやりたいことではない…。
人間、好きなことをして生きていくのが一番だと、改めて「音楽」の存在に気づき。
音楽の道へと歩み出す。

正式に音楽を習ったことがない亜星は、当時ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」などの主題歌を作曲していた、「服部正」に弟子入りする。服部の元で修行する傍ら、テレビ局で、音楽番組のアレンジ(編曲)の仕事をするが、アレンジばかりしていると、作曲ができなくなると思い、アレンジの仕事を全て降板。

そして1961年、亜星に転機が訪れる。妹が勤めていたレナウンがコマーシャルを作るため、白羽の矢が!ひょんな運の良さで作ったのがCMソングデビュー作の「ワンサカ娘」。この曲では作詞も担当し、新宿でバスを待っているときにワンサカ人が出てきたので「♪ワンサカ ワンサカ」のくだりが出来上がったという。

アニメソングでは「魔法使いサリー」や「花の子ルンルン」の主題歌を手掛ける亜星。
作曲するときには「なりきる」ことが大事だという。少女漫画の作詞や作曲では、少女亜星になりきって作り出す。

8000曲以上の作品を世に送り出した小林亜星が、今回特別に「ヒット曲の法則」を教えてくれる。

「寺内貫太郎一家」では、小林亜星演じる、怒りやすいが情にもろい…頑固親父がハマり役だった。役者もやったとことがない亜星が選ばれた理由は、脚本家の向田邦子が意外なものを求めていたから…衝撃の理由とは?
そして、ドラマの名物シーン、長男役だった西城秀樹との乱闘で、当時トップアイドルだった秀樹にケガを負わせてしまった!それを知った秀樹ファンから送られてきた恐怖の手紙とは!?

作曲家・小林亜星の盟友は、昭和の偉大な作詞家・阿久悠だった。累計200万枚を売り上げた「ピンポンパン体操」。紅白歌合戦で初!2年連続で歌われた名曲「北の宿から」。そして、カップヌードルが世に初めて出たときのC Mソングもこのコンビによるもの。

昭和のテレビを飾る誰もが知るメロディを送り出してきた亜星の半生に迫る。
インタビュアーは、タレント、エッセイスト 小島慶子