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#126

熱中ゲスト:俳優 津川雅彦(前編)

幅広い役柄、圧倒的な演技力で多くの人を魅了し続ける俳優・津川雅彦さん。1940年、京都生まれ。華やかな芸能一家に育ち、子役時代を経て、16歳の時に「狂った果実」で本格的に映画デビュー。日活のアイドルスターとして人気を得るも、移籍問題や恋愛スキャンダルなど、不遇の時代も経験した。 そんな津川さんの役者人生の原点にもなった転機とは。そして、34歳の津川さんを襲った愛娘の誘拐事件の裏側…さらに、妻・朝丘雪路さんとの不思議な夫婦関係をざっくばらんに語りつくす。役者として、映画監督と、父親として、様々な顔をもつ津川さんのエネルギッシュな生き方を2週にわたって伺う。

華麗なる芸能一家に生まれて…

1940年、俳優・澤村國太郎と、女優・マキノ智子との間に生まれた津川さん。父方の祖父には、狂言作者の加藤伝太郎、叔父には、俳優・加東大介と女優・沢村貞子。母方の祖父には、「日本映画の父」と言われた映画監督・マキノ省三、叔父には映画監督・マキノ雅弘を持ち、文字通りの「芸能一家」に育った。幼い頃から子役として、阪東妻三郎や田中絹代、長谷川一夫と共演。 端正な顔立ちゆえに、「父親の後を継ぐのは雅彦だ」と期待され、5つ年上の兄・長門裕之よりも一目置かれる存在だった。しかし、中学の時に志した夢は、役者ではなかったという…

16歳で本格デビュー 映画「狂った果実」撮影秘話

1956年、津川さんは映画「狂った果実」(原作:石原慎太郎)の主役に抜擢され、本格的に映画デビュー。16歳で一躍日活のアイドルスターに。役者を目指していなかったにも関わらず、何故その道を歩んだのか…そこには、兄・長門裕之の思惑があった。共演者・北原三枝への恋心や初々しいエピソードや石原裕次郎との関係も…名作の撮影秘話をたっぷりと。

移籍トラブルに恋愛スキャンダル…不遇の時代を救った助言

アイドルスターとして人気絶頂のころ、突如日活から松竹への移籍を発表した津川さん。この移籍は後に、引き抜きを禁じた映画会社の協定に違反したとして大問題に発展…ようやく松竹へと移籍し、1作目から巨匠・木下恵介監督作「惜春鳥」で主役に挑戦するも、映画はヒットせず、その後も当たり役には恵まれなかった。一方、兄・長門裕之は、持ち前の演技力で26歳の時にブルーリボン賞主演男優賞を受賞。また1本の映画出演を背景に、兄弟が激しく対立したことも…さらに、ある方との恋愛スキャンダルが報じられ、仕事が激減…役者として不遇の時代を迎える。そんな窮地を救ったのは友人の助言であった。

人生で最もつらかった長女誘拐事件の裏側

1973年、津川さんは33歳の時に、女優・朝丘雪路さんと結婚。翌年には、愛娘の真由子さんが誕生し、親子3人での新たな生活が始まった。津川さん自らミルクを与え、おむつも交換、懸命に育児に励んでいたが…1974年8月15日午前3時、生後5か月の真由子さんが自宅から誘拐されるという事件が起きる。警察に通報した直後に、犯人から身代金要求の電話があるが、その後連絡は途絶えた。奇跡的に保護された娘の誘拐事件の裏側と、当時の心境を振り返る。

世界一の父親に…38歳で設立したおもちゃ専門店「グランパパ」

誘拐事件を機に、娘にとって「世界一の父親」になると宣言した津川さん。娘に与える木製のおしゃぶりを購入するため、デパートや百貨店を訪れたが、当時、日本では木製のおもちゃが入手しづらかった。ドイツから安全で上質な木製のおしゃぶりを取り寄せたことが契機となり、1978年、おもちゃ専門店「グランパパ」を設立。津川さんのこだわりが詰まったおもちゃの数々を愛娘・真由子さんが紹介。娘から見た両親の姿とは。

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懐かしい日本の遊び 人気かるたベスト5

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今回は店が所蔵する中で一番古いという貴重な百人一首も見せてもらった。
そんな遊びにあふれた奥野かるた店で人気のかるたベスト5を伝える。
頭脳を使うものから意外なユニークかるたまで登場。果たしてベスト1は…。

俳優・津川雅彦

生年月日:1940年1月2日
出身地:京都府
身長:171cm
特技:乗馬、茶道
デビュー:1956年「狂った果実」中平康監督(日活)