戦いが聴こえた ~ラジオが伝えた太平洋戦争~

戦いが聴こえた ~ラジオが伝えた太平洋戦争~

番組概要

太平洋戦争当時、最強かつ最先端のメディアだったラジオ。

太平洋戦争が始まった昭和16年。
ラジオの生産台数はピークに達した。
国家が統制情報を伝えることを目的に普及・促進を図ったためである。国民は1日中ラジオをつけたままにしておくよう指示されていた。
太平洋戦争でもさまざまな局面で利用された。
そして戦争終結を告げた玉音放送…
残酷な兵器にも、和平交渉の窓口にもなったラジオ。
当時の貴重な音源を手がかりに、ラジオを使った知られざる太平洋戦争の真実に迫る。

放送内容

特攻隊員たちがラジオに残した遺言

開戦から時間がたち戦況が悪化するにつれて、「勝利の記録」のような威勢のいい番組は姿を消していった。そうした状況の中、戦争末期に放送された番組がある。
内容は歌や演芸、戦地から家族への手紙の朗読など。
特攻隊の1人としてフィリピン沖に散った牧野顕吉少佐は出撃前、このラジオ放送で、最愛の弟に宛てたメッセージを残した。

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和平交渉にも使われたラジオ

ラジオは国民の戦意高揚のためだけに使われたわけではない。海外向け短波放送は“姿なき爆弾”でもあった。「東京ローズ」に代表される、ラジオトウキョウの謀略放送。その音源には、謀略合戦の一挙手一投足が克明に記録されていた。その一方で、短波放送を使って戦争を終わらせようとした男がいた。

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終戦を伝えたラジオ 玉音放送の仕掛け人

8月6日広島、8月9日長崎。
日本に立て続けに原爆が落とされた。御前会議を開き降伏を決断した首脳陣はただちに中立国スイスを通じて連合国側に降伏を伝えようとした。
しかし、いつ3発目の原爆が落とされるかわからない中、電報では時間がかかりすぎる。そこで考えられたのが、ラジオを使っての降伏の伝達だった。

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