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”Athlete” 田中愛美(車いすテニス 日本ランキング4位/世界ランキング27位)
”With” 岩野耕筰(関東事業部部長 兼 コーチ)

1970年代に始まり、1992年バルセロナ大会からパラリンピック正式競技となった車いすテニス。

使用するコートのサイズ、ネットの高さ、ボールは一般のテニスと同じ。
ルールは返球がツーバウンドまで認められているなど一部違いはあるが、
一般のテニスとほとんど変わらない。

今回のリオパラリンピックでは上地結衣選手がシングルスで銅メダルを獲得するなど、
日本人選手も世界で活躍している。

そして今、その上地結衣選手も認める2020年東京パラリンピック期待の選手が田中愛美(20)だ。

彼女は高校1年の冬、凍結していたマンションの外階段から転落し腰椎を骨折、
下肢に麻痺が残り歩く事が出来なくなった。

中学から仲間と続けてきたテニス部に戻るために退院後、車いすテニスを始める。

本格的に車いすテニスを始めてからはまだ3年足らずだが、毎年順位は上がり続け、
現在では国内ランキングでは4位。世界ランキングは27位まで上昇した。

そんな田中を支えているのが岩野耕筰(44)。
田中が車いすテニスを始めてから一番多くの時間、一緒に過ごしている人物。
テニス選手として、あまり成績を残せていなかった田中を強い選手に育てるため、
厳しい練習を課している。

コーチの指導の成果もあり、ただの女子高生だった田中はアスリートへと成長していく。

叱咤激励ありながらも共に成長し歩んでいく2人に密着した。

田中愛美(20)

所属:ブリヂストンスポーツアリーナ株式会社
1996年6月10日生まれ
高校1年の冬にマンションの凍結した階段から転落、下半身不随に。
中学の頃から続けているテニス部に戻るため車いすテニスを始める。

岩野耕筰(44)

所属:ブリヂストンスポーツアリーナ株式会社
1972年10月20日生まれ
ブリヂストンスポーツアリーナのコーチ。
車いすテニスの指導経験は無かったが、田中を指導し成長させた。