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#34

“Athlete” 藤本 聰(ふじもとさとし) (柔道家)  “With”稲垣宗員(いながきひろかず)(トレーナ)

「目指すは金のみ それがなかったらやってられないですね」男は力強く断言した。

藤本聰(43) 柔道家。得意の背負い投げを武器にパラリンピックで金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得。その輝かしい戦積と共に視覚障害者柔道の第一人者として長きに渡って活躍してきた。まさにレジェンドの呼称がふさわしい男だ。

来年に開催される東京パラリンピック。その至高の舞台で一番の高みを目指し鍛錬を重ねる藤本。圧倒的な練習量と確かなキャリアに裏打ちされた彼の発言は傲岸不遜でないことが窺い知れる。

だがそんな彼の柔(やわら)の道は決して順風満帆ではなかった…

3連覇を果たした後、藤本は両手首のじん帯を断裂する大怪我を負う。3回手術するも、完治はせず。2012年のロンドンパラリンピックの前、代表選考会でライバルに敗退を喫し5大会連続出場の記録は絶たれる。…藤本の柔道は変革を迫られていた

窮地に喘ぐ藤本を再起に導いた人物…稲垣宗員(41)

トレーナーとしてプロ野球選手をはじめ様々な競技のアスリート達を指導する稲垣が着手したのは肉体改造。藤本にラグビーのスクラムを応用した体幹強化のフィジカルトレーニングを施していく。

併せて粘り強い柔道をスローガンに寝技の強化を図る藤本。ブラジリアン柔術の道場に通いスキルを磨いていった。投げ技から寝技へ。スタイルの変節は藤本の柔道への執念を物語っている。

稲垣との二人三脚で臨んだ2016年のリオデジャネイロパラリンピック。結果は3位入賞。藤本は8年ぶりに表彰台に立ち視覚障害者柔道界にレジェンド復活を印象付ける。

番組では2020年での引退を宣言した藤本に密着。来るべき東京パラリンピックに向けて稲垣との過酷なトレーニング、東京大会出場の重要な位置づけとなる全日本選手権を追っていく。

藤本 聰(ふじもとさとし)※写真左

1975年8月2日徳島県徳島市生まれ
生まれつき視神経に障がいがあり、視力は左目ほぼ0、右目は矯正して0.1程度。両親の勧めで5歳から柔道を習い始める。中学高校では柔道部に所属。高校卒業後、視覚障害者柔道の道へ。2004年のアテネ大会でパラリンピック三連覇を達成。以降、北京で銀、リオで銅と5つのメダルを獲得した視覚障害者柔道のレジェンド。普段は徳島県立徳島視覚支援学校に勤務しながら、4つ目の金メダル獲得を目指し徳島で練習に励んでいる。

稲垣宗員(いながきひろかず)※写真右

1977年8月18日徳島県生まれ
サムライスタビリティ。福岡大学体育学部卒業(ラグビー部)後、中学校教員を経てストレングストレーナーに。ボートレースや競輪選手、プロ野球選手をはじめ、高校や大学のラグビー、バスケットボール、漕艇部などで指導。サムライの姿勢を現代人に応用した姿勢矯正エクササイズ「サムライスタビリティ」を主宰。怪我に喘ぐ藤本にラグビーを応用した体幹強化のフィジカルトレーニングを施し再起の礎を築く。