With チャレンジド・アスリート 未来を拓くキズナ 年末スペシャル

With チャレンジド・アスリート 未来を拓くキズナ 年末スペシャル

お知らせ

【放送日時】
2016年12月31日(土)午後4:00~4:55放送

番組概要

以前番組で紹介し、 見事夢を叶えたメダリストたちを長島三奈が直撃取材!
メダル獲得までの舞台裏と、2020年への新たな歩みに迫る!

放送内容

■視覚障害者柔道 廣瀬順子 × 夫・廣瀬悠
■ウィルチェアーラグビー日本代表 官野一彦 × メカニック 三山慧
■水泳 津川拓也 × 母・津川智江

【視覚障害者柔道 廣瀬順子 × 夫・廣瀬悠】

パラリンピックの正式種目の一つ、視覚障害者柔道。
ルールは基本的に健常者のものと同じだが、互いに組み合ってから開始すること、場外規定がないなど、全盲・弱視の選手が一緒に競い合えるように工夫されている。
視覚障害者柔道の女子57㎏級日本代表としてリオパラリンピックで、女子柔道初のメダルを獲得した廣瀬順子(26)。

小学校5年生から柔道を始め、高校時代はインターハイに出場。
19歳で病気のため、視野の中心部分を失い柔道から離れるが、その後、視覚障害者柔道と出会い、再び畳の上へと戻ってきた。

そんな彼女の活躍をすぐそばで支える一人の人物が夫の廣瀬悠(はるか)(37)。
同じ視覚障害者柔道の選手で、順子と共にリオパラリンピック出場を決めた。

視覚障害者柔道を通して出会った二人は昨年12月に結婚。
それまで順子は東京を拠点に練習していたが、「自分が一番幸せな場所にいた方が強くなれると思った」と、結婚後すぐに悠の住む愛媛県松山市に移住した。

悠さんと共に、世界を意識したトレーニングに励んできた。

そして、夫婦で挑んだ夢のパラリンピックの舞台。
悠は、一回戦で敗退。順子は準決勝で敗れメダルを懸けて3位決定戦挑んだ。
「悠さんに教えてもらってきた事を、思い出してから試合に行きました」
試合では、悠さんと練習した寝技を武器に、日本女子柔道初の銅メダルを獲得した。

快挙の裏は、試合前悠からかけたれた、意外な言葉があった。

現在は、愛媛に戻り、トレーニングを再開した2人と半年ぶりの再会。
「2人で金メダル」2020年東京パラリンピックへ向けて、これまで以上の 過酷な練習に励んでいる2人に迫った!


【ウィルチェアーラグビー日本代表 官野一彦 × メカニック 三山慧】

ウィルチェアーラグビーとは、
四肢に障がいのある者がチームスポーツを行う機会を得るために1977年カナダで考案され、欧米で広く普及している車椅子に乗って行われるラグビー。
ルールではタックルにより相手の攻撃や防御を阻止することが認められており、その激しさから「マーダーボール(殺人球技)」と呼ばれるほど、過酷な競技。

リオパラリンピックの精神的主柱は、元代表キャプテンの官野一彦(35)。
4年前のロンドンパラリンピックで、4位に終わった日本代表。
この時のスタメンとして、メダルを逃し悔しい思いを味わった。

「今の世代でメダルを獲らないと、東京では絶対に獲れない!」官野は後に続く世代のためにも、強い想いでリオに挑んでいた。

そんな官野を影で支える人物がいる。
日本代表メカニックの三山慧(けい)(30)だ。
普段はサラリーマンとして車いす関係の会社で営業の仕事をしながら、約8年間、無償で日本代表のメカニックを務めている。
官野とは、お互いがウィルチェアーラグビーに関わる前からの友人。
共に、代表に入り日本を支えてきた。
リオで戦うために、官野と新しい車いすを作り準備してきた。

そして、リオパラリンピックではロンドン大会と同じく、3位決定戦に挑み、日本代表チーム一丸となった戦いで、銅メダルを獲得。
試合後、官野は三山にメダルをかけて、影でチームを支えた三山を称えた。

実はその決戦前夜、チームの心を一つにする知られざるミーティングがあった。

官野、そして代表のエース・池崎大輔、守りの要・今井友明を交え、リオの舞台裏、そして2020年への熱き想いを聞いた!


【水泳 津川拓也 × 母・津川智江】

パラリンピックの水泳競技は、競技の公平性を保つため、「肢体不自由(上下肢障がい)」「視覚障がい」「知的障がい」3つの分類があり、障がいの程度や運動機能に応じ14のクラスに分かれてタイムを競う。
そんな中知的障がいのクラスで、ロンドンパラリンピック・100m背泳ぎで6位入賞したのが、津川拓也(24)だ。

「自閉症」と併発しやすい「精神発達遅滞」という障がいがあるスイマーだ。
「自閉症」は発達障がいの一種。先天性の脳機能障がいで、社会性の障がいが強く、人とコミュニケーションをとることが困難であることが大きな特徴。
「精神発達遅滞」は、知的機能が全般的に平均よりも低く、環境に適応することが困難で、日常生活において何らかの援助や介助が必要となる知的障がい。

幼い頃から津川を支え続けるのは、母・智江(53)。
お風呂に入っている時の表情を見て、水泳に挑戦させたところ夢中に。
その後、水泳に打ち込む津川を様々な側面から支え続けていた。

実は、水泳一家である津川家。
母だけでなく父や姉、弟と共に家族ぐるみで津川の練習に励んできた。

そして、リオパラリンピックで100m背泳ぎと200m個人メドレーに出場。
100m背泳ぎで、悲願の初メダル獲得を果たした、津川。
その観客席には、レースを見守る家族の姿があった。

津川が得意とする絵を交えながら、リオでの戦いを振り返り、2020年東京パラリンピックへ向けて新たな練習を始めた姿に密着した!


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