古都・長安は秦の始皇帝の時代から900年以上も中国の都として栄えた。中でも712~765年は盛唐と言われ、世界最大の都市としてあらゆる文物、富が集まってきた。日本の平城京もこの都をモデルとしている。
平城京時代、長安には日本でも広く知られ、今なお愛され続ける一人の女性がいた。それが、世界三大美女の一人、楊貴妃だ。
中国の歴史の中で最も勢力のあった唐王朝の絶頂期を生きた第6代玄宗皇帝(在位712~756年)の寵愛を一身に受け、その情熱的なロマンスは、今も世界中で語り継がれている。

玄宗は息子の妻であった楊貴妃を自分の妃とした。しかしそれはかの詩人、李白に歌われるほどの類まれなる美貌であるが故だけではなさそうだ。
一般には後宮に3000人と言われるほど、多くの女性たちが皇帝の寵愛を受けるためにいた。しかし、玄宗は楊貴妃と出会って以来彼女が亡くなるまで愛を注いでいた。皇帝を独り占めにした楊貴妃とはどんな女性だったのか。
芸術を愛し機知にとんだと言われるその実像にせまるのは藤原紀香。
そして現在の西安に古都、長安の面影を探すのは瀬戸カトリーヌ。
2人の女優が西安、古の長安を旅する。

番組シーン

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玄宗・楊貴妃が生きた都、長安

中国、西安市。今なお市内には明代の城壁が残っている。
長安には宮殿だけで3つある。1つは都の中心部にある太極宮。3代皇帝・高宗(在位649~683年)以降、皇帝の住居であり政治の中心であった大明宮。そして、楊貴妃を愛した玄宗皇帝は城内の東に位置する興慶宮で政務をおこなった。興慶宮は現在、公園となり楊貴妃と玄宗が過ごしたといわれる沈香亭や玄宗の執務室、勤政務本楼遺跡などが残されている。旅人、藤原紀香、瀬戸カトリーヌが宮殿跡を訪ねる。
西安の周りには多くの墳墓が残されている。そこから発掘されたものから唐の長安の様子を知ることが出来る。例えば、中国の国宝、唐三彩のラクダの陶器、その上では多くの中国人が楽器を奏でている。ラクダは当時、西アジアなどに生息し、シルクロードの運送などで使われていた。その背に乗る中国人たちは何千キロの旅を終え、長安に戻ってきた喜びを表しているといわれている。また、黒人やアラブ人の陶器の人形やヨーロッパの金貨なども数多く発見されている。これらは当時長安がいかに国際的な都市であったかを示している。
今なお発掘が続けられる大明宮、唐の時代に使われた様々な美しい宝飾品などから楊貴妃の生きた時代、そして古都長安を探る。

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初公開!唐代の美人壁画

唐の皇帝が埋葬されている陵は山をそのまま使った巨大なものが多い。何百体と並ぶ家臣らの石像、そして地下には、当時の生活の様子を表したものが数多く眠っている。
壁画もその一つだ。壁画は埋葬された人の生前の生活を表しているといわれる。狩りを楽しむ様子やポロのようなスポーツをしているところ、また、海外からの賓客をもてなす姿などが生き生きと描かれている。
これらの壁画を修復、研究を行っている中心的な機関が陝西省考古研究院だ。
藤原紀香が取材で考古研を訪れた時は隋代の壁画を修復中。失敗が許されない細かな作業を見守るうち特別にまだどこのテレビ局も映像にしたことがないある壁画の撮影が許された。
そこに描かれていたのは女性。しかも楊貴妃と同年代のしかもかなり身分の高い人だという。当時の美人とはどのようなものなのか。

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楊貴妃はどんな女性?

2010年、中国で放送されたドラマ「楊貴妃秘史」。このドラマで楊貴妃を好演した女優殷桃さん。
藤原紀香が彼女と対談。日中の女優が時代に翻弄された美女、楊貴妃について語り合う。

藤原「楊貴妃を演じたことで彼女の印象は変わりましたか?」
殷桃「大きく変わりました。楊貴妃は粘り強く、善良で、寛容な、可愛らしい女性だったと思います。」
藤原「殷桃さんは楊貴妃のように男性を愛することができますか?」
殷桃「そんな風に愛せるようになりたいですね…。」

女優の目線から見た唐代の女性とは、楊貴妃とは?
そして一人の女性として男性に深く愛されることまで。
日本、中国を代表する女優たちの本音トーク。

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いにしえより続く西安の今とは…?

唐の時代、西域からの文化が流入するとともに、多くの外国人がこの地に移り住んだ。そのため、西安は中東や中央アジアの雰囲気が街の中に存在している。現在西安に5万人生活しているという回族。彼らは回教(イスラム教)を信仰し、豚肉を忌避し羊料理を食べる。顔のほりが深く、どこかエキゾチックな雰囲気を醸し出す。古都長安の時代から今に続くものとは。
また一方経済発展が続く中国、西安も例外ではない。街は建設ラッシュに沸き、人々は活気に満ちている。
古都長安から現代の西安の姿、これらを瀬戸カトリーヌがリポート。

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楊貴妃が食べた古代宮廷料理

唐の宮廷料理を再現した料理に瀬戸と藤原が舌鼓を打つ。西安の高級レストラン、御宴宮の総料理長の王紅彪さんは地元の唐代の料理研究家、王子輝さんとともに、歴史書「旧唐書」「新唐書」などに書かれた宮廷料理を現代風にアレンジしたという。食材には、海の幸山の幸はもちろん、ラクダの肉球も使われていたという。1回の食事で100品以上の料理が並んだという玄宗と楊貴妃の食卓。古代の奇想天外な美食を紹介する。

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楊貴妃、玄宗の真実とは…

玄宗の忠臣と思われていた安禄山は、幽州(北京あたり)で挙兵し、破竹の勢いで長安に迫っていた。挙兵の原因といわれるのが、楊貴妃の一族の出である楊国忠だ。そのため、楊貴妃は玄宗に死を賜ったとされる。
しかし、楊貴妃の墓は皇帝の妃にしてはあまりにも小さく、遺体が見つからなかったなど多くの謎が残されている。また、日本で亡くなったという説もある。
なぜ、楊貴妃は死ななければいけなかったのか。
これほどまで多くの伝説が残っているのはなぜなのか。
そして日本、中国で楊貴妃が愛される理由とは…。
中国を代表する唐、楊貴妃の研究者の言葉とともに長期間、西安を旅し楊貴妃の足跡にふれた藤原紀香が解き明かす。

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