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#340

杉田二郎(フォークシンガー)

ゲスト×インタビュアー
杉田二郎(フォークシンガー)×宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

杉田は、終戦の翌年の1946年に京都で生まれた。幼少時代は、音楽にはまるで興味がなかったという。音楽と出会ったのは、高校2年生の時。文化祭で歌を披露するため、アメリカフォークソング「風に吹かれて」などを英語で練習する友人に衝撃を受けた。そして、音楽を通して新しい仲間と交流できることに、音楽の力を感じたという。
大学入学後、アマチュアグループ「ジローズ」を結成、コンサートでアメリカフォークソングのコピー演奏をしていた。そして、「帰ってきたヨッパライ」や「イムジン河」など、オリジナル曲を制作する「ザ・フォーク・クルセダーズ」に触発され、曲作りにのめり込んでいく。
1968年「あなただけに」でデビューを果たすが、この時アマチュア「ジローズ」は解散。杉田は、はしだのりひこ、井上博、おちゆうじと共に、「はしだのりひことシューベルツ」を結成した。しかし、結成からわずか1年、メンバーの井上博が病死し、解散することに。若くして亡くなった井上への思いを杉田が明かす。さらに今回、グループのデビュー曲「風」を熱唱。杉田が、歌い終わってから語ったメッセージとは…。
1970年、大阪万博のアマチュアコンサート用に作曲したのが、北山修と共作した「戦争を知らない子供たち」。初めてこの歌詞を読んだ時の気持ちや作曲の秘話も明かす。そして、1971年に「戦争知らない子供たち」を世に送り出すと、大ヒットを記録する。しかし、戦争をテーマにした楽曲には、賛否両論があった。コンサートでは応援してくれる人もいれば、「戦死者を侮辱するな」「帰れ」と罵倒を浴びることも。しかし、杉田は悩みながらも歌い続けたという。当時の杉田の思いとは?
杉田には、忘れられないコンサートがある。それは、沖縄返還から3年経った1975年、沖縄でのコンサート。罵倒されるかもしれない…という恐怖の中で、アンコールで歌った「戦争を知らない子供たち」…杉田が目にしたのは歓声と大合唱だった。当時の光景を涙ながらに語る。
今年、デビュー50周年を迎えた杉田。50周年コンサートでは堀内孝雄、イルカ、森山良子など、17組の豪華ゲストがお祝いに駆けつけた。「みんなと一緒に歌う」ことが楽しいという杉田が、親交の深いアーティストとの交流や思い出を語る。コンサートでの爆笑エピソードや名曲の数々もたっぷりと!