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#130

熱中ゲスト:ものまねタレント コロッケ(後編)

ゲストは芸能生活38周年を迎えたものまねタレントのコロッケさん。前編では、300種類あるレパートリーの誕生秘話。ものまねの極意をどうやって若手に伝えていこうと思っているのか。また、東日本大震災、そして、熊本地震の被災地を訪れ、実感したものまねを続ける意味について聞きました。
後編となる今回は19歳で熊本から上京し、味わった挫折に迫ります。また、スタジオでは司会の2人がものまねに挑戦。さらに、ものまねを封印し、本名で挑んだ初主演映画について熱く語りました。

波乱に満ちた人生 貫き通した“信念”

19歳でお笑いタレントを目指して熊本から上京。若手芸人の登竜門、『お笑いスター誕生』で5週連続勝ち抜き、華々しい芸能界デビューを果たします。しかし、持ちネタがあまりなかったため、しばらくするとテレビの世界から声がかからなくなりました。そして、25歳のときに出演した『ものまね王座決定戦』。「ものまね四天王」として人気、実力ともに不動のものとしました。ところが、人気絶頂期のときに自ら番組を降板。その壮絶な人生に隠された強い信念とは…。

美川憲一さんが明かす素顔

30年以上の友人だという美川憲一さん。インタビューでは、コロッケさんのことを「ものまねの天才」とその才能を高く評価。忘れられないという二人の出逢いについて。さらには、自分にとってどんな存在かについて赤裸々に語ってくれました。スタジオでは、コロッケさんが番組での初共演シーンの裏話を明かしてくれます。

司会の二人がものまねに挑戦

コロッケさんが最新ネタを特別に披露。平昌五輪を見ていて、ある競技の選手らが美川憲一さんと森進一さんに見えたといいます。その競技とは・・・。そして、司会の二人がものまねに挑戦。悪戦苦闘しながらも必死にコロッケさんの熱い指導のもと、あるお笑いタレントと女優のものまねに挑みますが・・・果たして結果は!?

ものまねを封印して挑んだ初主演映画

本名の滝川広志で初主演を務めた映画「ゆずりは」。笑いやものまねを封印し、感情の起伏を失った男という難しい役に挑んだコロッケさん。最初に、映画のオファーを受けたときの心境。葬儀という難しいテーマを扱った感想。さらには、“ものまねタレント”と“俳優”という二足の草鞋を履いたときの苦労話も披露します。

思い出に残る1974年のヒット曲

熱中世代に聞いた1974年のヒット曲。山口百恵さんや沢田研二さんの曲はいまでも根強い人気があります。あなたにとって聴くだけで、当時の思い出がよみがえる曲はなんですか?コロッケさんは、当時まだ中学生で、「学園」をテーマにしたテレビ番組が大好きだったそうです。懐かしい学園ドラマのワンシーンが思わず浮かんできそうな一曲を選んでくれました。

ものまねタレント コロッケ
1980年8月、NTV「お笑いスター誕生」でデビュー。TV・ラジオ等に出演する傍ら、全国各地でのものまねコンサート及び、東京/明治座、名古屋/御園座、大阪/新歌舞伎座、福岡/博多座などの大劇場での座長公演を定期的に務める。現在のものまねレパートリーは300種類以上となり、ロボットバージョンやヒップホップダンスとの融合、落語にものまねを取り入れた「ものまね楽語」、さらにはオペラやオーケストラとのコラボなどエンターテイナーとして常に新境地を開拓している。海外においても、アメリカ・ラスベガスをはじめ、全米各地、中国、韓国、オーストラリアでの公演で大成功を収めた。浅草芸能大賞・新人賞、ゴールデンアロー賞・大賞及び芸能賞、‘13年には松尾芸能賞・演劇優秀賞を受賞し、映画やドラマなど俳優としての円熟度を増し、アニメや海外ドラマの声優としても活躍の場を広げている。永年にわたり、ものまねタレントとして芸術文化の振興に貢献した功績が認められ、‘14年文化庁長官表彰を受賞。’16年には「ものまねタレントの代名詞的な存在になり、唯一の特徴をデフォルメする独特のパフォーマンスはピカソの領域にまで達した」と、日本芸能大賞を受賞した。また、芸能活動の傍ら、東日本大震災の被災地支援活動を精力的に行い、’12年防衛省防衛大臣特別感謝状を授与された。