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#414

清水宏保(スピードスケート長野五輪金メダリスト)

ゲスト×インタビュアー
清水宏保(スピードスケート長野五輪金メダリスト)× 宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

1974年2月27日、北海道帯広市に生まれる。4人兄弟の末っ子。喘息で体が弱く、体力づくりの為に3歳でスケートを始める。清水にスケートを教え、付きっきりで厳しくコーチをしていたのは父親。「清水!」と呼ばれ、厳しいトレーニングを強いられていた。その背景には、余命宣告を受けた父の想いがあったという。父が亡くなった後、お金がかかるスケートを辞めるか悩んだが、「スケートを続けて欲しい」と引き止めたのは母親だった。大学へ通わせる為、母親は土木現場で稼ぎ、兄や2人の姉からも仕送りをもらっていた。
その後、世界で活躍する選手となった清水は、長野五輪開催の2年半前に出場を内定される。金メダルに一番近い選手として異例中の異例の出来事だった。しかし意外にも、手放して喜べないことがあったという…。
1998年の長野五輪で、清水はアクシデントに襲われる。前のレースが中断され、スケジュールが大幅に遅れたのだ。しかしその直後、見事金メダルを獲得。集中力を途切らせない為に清水がとったある行動とは!
2010年、36歳で現役引退。第2の人生を歩みはじめる。しかし待っていたのは挫折の日々だった。結婚するも離婚、選挙に出馬するが落選。栄光から一気に転落していった。東京から札幌に戻り、無職で収入もない。しかし意外にも、当時は「ゼロでもいいのではないか」と思ったのだという。
2013年、整骨院を開業する。その後リハビリを目的とした高齢者向けの介護施設・訪問看護の運営、フィットネススタジオ開設と次々に成功を収める。医療とスポーツの融合を目指すという清水流の経営術とは。そして、経営者になった理由…そこにはスポーツへの熱い想いがあった。