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#81

山口洋子・平尾昌晃

歌謡曲黄金時代ともいわれる昭和40年代。作詞家・山口洋子と作曲家・平尾昌晃はコンビを組み、五木ひろし「よこはまたそがれ」「長崎から船に乗って」「ふるさと」「夜空」、中条きよし「うそ」などの曲でヒットを飛ばし続けた。東映のニューフェイスを経て、銀座の人気クラブのママとなり、作詞家としても活躍した山口洋子。人気絶頂のロカビリー歌手から苦難と病苦を乗り越え、作曲家として輝きを増した平尾昌晃。異色の経歴を持つ山口と平尾は、ある時はコンビを組み、見事に時代を捉えてヒット曲を連発した。

・銀座の最年少ママ
クラブ「姫」で養った感性を作詞に生かした山口洋子。極貧のため10代で夜の街へ。映画女優を経て、銀座に城を持った女の覚悟とは…。そして昭和45年、作曲家・猪俣公章と組んで内山田洋とクール・ファイブ「噂の女」でヒット。クール・ファイブにとっては「長崎は今日も雨だった」「逢わずに愛して」に次ぐヒットとなった。同年、歌手デビューした野村真樹「一度だけなら」も、山口と猪俣が組んでヒット曲に。昭和50年、山口・猪俣コンビで五木ひろしが歌った「千曲川」も大ヒット。そんなヒット曲誕生の秘話とは…。

・平尾昌晃、ロカビリー歌手の挫折と覚悟
超人気ロカビリー歌手としての人気に陰りが…。肺結核で長期の療養。絶望の果てに、作曲家への道を見出すその道のりとは…。 作曲家として「霧の摩周湖」「草原の輝き」「二人でお酒を」「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」などヒット曲を連発。

・平尾昌晃と山口洋子の出会い
審査員として同席したテレビ番組で、スター歌手の誕生に立ち会う2人。昭和46年、2人がコンビを組んで作った五木ひろし「よこはまたそがれ」が大ヒット。ポップスのテイストを盛り込んで生み出した新感覚の曲が、多くの人たちに支持された。さらに昭和48年、五木ひろしは、山口・平尾コンビの「夜空」でレコード大賞を受賞。数々のヒット曲が誕生していく。

・山口洋子は、作家の道へ
山口の書くエッセイや小説が高く評価され、昭和60年に「演歌の虫」「老梅」で直木賞を受賞、直木賞作家に。しかし受賞後、高血圧脳症とうつ病で入院。過酷な闘病生活を送ることになる。多くの芸能人、スポーツ選手、作家に愛された銀座の人気クラブ「姫」の経営は…。

異彩を放った作詞家・山口洋子と作曲家・平尾昌晃の、波乱の人生の軌跡、ヒット曲誕生のマル秘話に迫る!