番組表

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放送内容

#126

歌手・南こうせつ/三橋美智也/島倉千代子

昭和の歌謡界にあって、今なお多くの人々の心に輝きを放つ、南こうせつ、島倉千代子、三橋美智也。フォークの世界で若者たちを熱狂させた南こうせつ。壮絶な人生から紡がれる歌声で人々を魅了し続けた島倉千代子。販売枚数1億6千枚という不滅の金字塔を歌謡史に残すほど大衆の心をつかんだ三橋美智也。なぜ3人の歌声は聴く人の胸を震わせるのか。3人の名曲の魅力を探りながら、その波乱の人生に迫る。
 
●原点の4畳半ボロアパート(南こうせつ)
寺の三男に生まれたが、檀家(だんか)が少なく、生計を立てるのに苦労し、家族で野菜を作ってしのいでいた。多感な頃にボブ・ディランに影響を受け、歌手を目指して東京へ。4畳半のアパートで貧乏生活を送りながら曲作りに励み、夢を追いかけた。
 
●フォークソングの精神(南こうせつ)
「かぐや姫」を結成し、24歳の時、「神田川」が大ヒット。「妹」「なごり雪」など多くの名曲を世に送り、吉田拓郎や井上陽水らと共にシーンをけん引し、一世を風靡(ふうび)する。ソロ転向後も「自分が歌いたいことを歌う」というフォーク精神を貫き続ける。
 
●悲劇の少女時代(島倉千代子)
幼少期に戦争を経験し、左腕切断が危ぶまれるほどの大けがを負った。暗かった少女は歌と出合い、羽ばたき始める。16歳の時「この世の花」でデビュー。200万枚を売り上げ、スター歌手に。しかし、失明の危機、離婚、病、借金が島倉を襲う。
 
●美空ひばりとの絆(島倉千代子)
島倉を奮い立たせたのは、歌手を志すきっかけとなった美空ひばり。後年は姉妹のように寄り添い、互いに支え合った。また人生最後の曲「からたちの小径」を手掛けたのは南こうせつ。歌入れの3日後、島倉は息を引き取る。最後まで歌い抜いた生涯だった。
 
●民謡の申し子(三橋美智也)
民謡歌手だった母親の血を引き、たゆまぬ努力で9歳ながら「北海道民謡コンクール」で日本一に。戦中、戦後は全国を巡業し家計を支えた。そして、ボイラーマン、民謡教室の先生として働きながら21歳で高校へ入学。その激動の行く末は、歌手としての道だった。
 
●成功と試練の二人三脚(三橋美智也)
ヒット曲を連発し、スター街道を走り続けた三橋。だがその輝きの影で、家庭不和、病、事業失敗など、さまざまな不幸が襲う。試練に見舞われながらも哀愁の歌声を響かせ続けた三橋は晩年、新曲の完成を見届けるかのようにこの世を去った。