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#5

”Athlete” 高田千明(陸上走り幅跳びT11クラス日本代表)
”With” 大森盛一(コーラー・伴走者・コーチ)

パラリンピックの陸上競技は、障害の種類と程度によってクラス分けされる。
クラスはT:トラック競技(走競技、跳躍競技)、
もしくはF:フィールド競技(投てき競技)のアルファベット1文字と、
障害の種類・程度を示す二けたの数字によって細かく分類されている。

その中でも、視覚障害のT11クラスで走り幅跳びの選手として活躍するのが
高田千明(31)だ。

現在(2016年8月時点)の日本記録保持者であり、リオパラリンピック日本代表
でもある高田は、かつては100mを専門とする選手だった。

2008年には100mで北京パラリンピック代表候補にもなったが、落選。
その後2012年のロンドンパラリンピックでも落選すると、走り幅跳びへ転向する。
すぐに頭角を現した高田は、2016年には日本記録を樹立。
遂に念願のパラリンピック出場を決めた。

高田のパラリンピック出場の裏には、一人の人物の支えがあった。
それが、コーラーであり、コーチを務める大森盛一(しげかず)だ。

コーラーとは、視覚障害者が走り幅跳びをする際のいわばガイド役。
目の見えない選手に代わり、手拍子と声で助走や跳躍のタイミングを知らせる。

元オリンピック選手(400m)でもある大森は、高田が100m専門の時代から
10年に渡り指導を続けてきたコーチでもある。
高田が走り幅跳びに転向したのも、大森のアドバイスがきっかけだった。

高田には、他にも大きな支えとなっている人物がいる。
夫の裕士(31)、さん、そして息子の諭樹(さとき:7)くん。

聴覚障害者であり、互いの障害を補い合うようにしてきた夫の裕士さん、
そしてそんな二人の間に生まれた息子。健常者である諭樹くんは、幼いながら
普段高田の目、裕士さんの耳となり2人を支えている。
「陸上も、ママとしても、息子がいるから頑張れる」
愛する息子の首にメダルをかけるため、リオの舞台へと臨む。

いくつもの絆を力に変え、世界の頂を目指す高田の挑戦を追った。

高田千明(31)

所属:ほけんの窓口グループ株式会社
1984年10月14日生まれ
先天性の弱視ながら、幼いころから走るのが好きで陸上の選手として健常者の大会にも出場。徐々に視力が低下し、18歳の頃に全盲に。その後21歳で視覚障害者陸上競技を本格的に始める。2016年2月にはT11(全盲クラス)走り幅跳びで4m41㎝の日本記録を樹立。
リオパラリンピック日本代表に選出された。

大森盛一(44)

所属:アスリートフォレストT.C
1972年7月9日生まれ
92年バルセロナオリンピック4×400m日本代表、96年アトランタオリンピックでは
400m出場、4×400mでは5位入賞を果たす。選手引退後は指導者として活動。
高田のコーチであり、走り幅跳びではコーラー、短距離では伴走者を務める。
世界ユース陸上競技選手権100m・200mで優勝したサニブラウン・ハキームも
小学生時代、大森の指導を受けていた。