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#441

具志堅用高(元WBA世界ライトフライ級王者)

ゲスト×インタビュアー
具志堅用高(元WBA世界ライトフライ級王者)×宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

1955年、沖縄の石垣島で4人兄弟の3番目に生まれる。子供の頃はやんちゃ少年だったが、ケンカで勝ったことがなかったという。沖縄がまだアメリカの統治下にあった時代。当時の石垣島での生活を語ってくれた。

体が小さかった具志堅は、中学3年の時にあるスポーツに出会い、その面白さに引き込まれた。そのスポーツに魅かれた理由とは?高校進学では、地元の高校を受験するが、あろうことか致命的なミスで不合格に。図らずもその失敗が具志堅をボクシングと引き合わせることになる…。

高校に入学し、ボクシング部に所属する。初めてにもかかわらず、十分すぎる資質に加え、惜しみない努力に結果もついてきた。高校2年で全国大会ベスト4.高校3年では全国大会優勝を成し遂げる。しかし、その裏で石垣島にいる母との間で気がかりなことがあった…。

オリンピックを目指し、ボクシングの名門大学への入学を決めていた。だが、東京で待っていたのはボクシングジムの関係者。予期せぬ形でプロの道へ進むことになる。その衝撃のプロ入り秘話とは!?
協栄ジムに所属し、デビュー戦から負けなしの8連勝。ついた異名は「100年に1人の天才」。1976年、デビューからわずか2年で世界タイトルマッチへ挑戦するチャンスが巡ってくる。相手はドミニカの強豪ファン・ホセ・グスマン。格上相手との死闘の戦いとなった舞台裏が明らかに!

グスマンに勝利し世界王者になり、そこから前人未到の13回連続防衛。しかし、防衛記録を伸ばしていた具志堅もベルトを手放す時がやってくる。敗因は、毎試合欠かさなかったあるルーティンが崩されたことにあった!そのまま現役引退を決意。わずか4年半のボクシング生活に終止符を打つ。

現役引退後、具志堅はボートレーサーを目指した意外な過去も…。しかし、年齢制限であえなく断念。その後、1995年に日本人初のボクシング世界チャンピオン白井義男とスポーツジムを設立。以来、タレント活動をしながら指導者として若手の育成に尽力している。その熱い思いを語る!