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#78

新時代「令和」での象徴天皇制 受け継がれるもの

新たな時代「令和が」5月1日から始まり、4日の一般参賀には14万人もの人々が訪れました。2019年5月5日のBS朝日『日曜スクープ』は、新たな時代の象徴天皇のあり方はどういうことなのか?そして、天皇、皇后両陛下が受け継がれるものとは?昭和史の研究を積み重ねてきたノンフィクション作家の保阪正康さん、元NHKキャスターで『ワイド!スクランブル』MCを務めた橋本大二郎さんとともに考えました。

■「令和」初の一般参賀には14万人

山口

天皇陛下の即位に際しまして、これからの象徴天皇のあり方、そして女性天皇など皇室の今後のあり方などについて識者の皆さんと議論していきたいと思います。今日のゲストの方をお迎えいたします。日本の近現代史の研究の第一人者でノンフィクション作家の保阪正康さんです。宜しくお願い致します。

保阪

宜しくお願い致します。

山口

保阪さんは最近「平成史」という本を出されまして、非常にわかりやすくて目から鱗のところが沢山ある本でした。宜しくお願い致します。そして、昭和天皇の闘病そして平成の始まりを当時NHKのニュースキャスターとして伝えました橋本大二郎さんです。橋本さんにも今日は特別出演して頂きます。宜しくお願い致します。

橋本

宜しくお願い致します。

山口

きょう、新しい映像が入って来ました。上皇さまは退位後、初めて上皇后さまと一緒に皇居の外に出られました。東京・港区のテニスクラブを訪問されました。上皇さま上皇后さまご夫妻、午後5時過ぎの映像です。お住まいの皇居を車で出発されまして沿道の人達には手を振られました。そして、テニスコートを訪問されているところですね。上皇さまになられてから皇居の外に出られたのは今回が初めてだということです。保阪さんは上皇ご夫妻と複数回直接お会いされていると伺っています。今日のご夫妻の表情を見てどのようにお感じになりますか?

保阪

表情がお二人とも、柔らかい感じですね。何か大きな役割から解き放れたというお顔ではないでしょうか。

山口

普段から朗らかな上皇さまご夫妻ですが今日はより一層、自由になった身というかそういう所を感じますよね。

保阪

表情を良く見ていますと常に緊張すると言いますか、表情がそれほど変わらないですが今日の映像は、よく表情が変わりますね。

山口

大二郎さんもずっと取材されていてテニスクラブのこともご存じですか。

橋本

行って取材した事もあります。お二人にとっては出会いであった軽井沢会のテニスコートと並んで非常に縁の深いテニスコートですので、楽しい色々なお仲間とお話ができたのではないでしょうか。

山口

大二郎さんはこの映像から見る上皇さま、上皇后さまの表情をどのようにご覧になりますか?

橋本

ご公務で動かれている時と同じ柔和な表情でも、ちょっと違うなという気がしますよね、いい意味で。

山口

昨日(5月4日)の天皇の即位を祝う一般参賀には14万人以上の方々が訪れました。保阪さんに伺いたいのですが、昨日の一般参賀での盛り上がりをどのように受け止めていますか?

保阪

今回の代替わりというのは崩御がなく生前譲位ということで、今まで近代日本では崩御と即位というのは一緒だったのですが、当然ながら即位というのは、新しい天皇の元号の誕生で祝うべきところもありますけれど、崩御が前提になっていますから、おのずから自粛した儀式が必要だったと思いますね。今回は崩御がないということで、むしろお祝いと言いますか、儀式が前面に出てきていますから、国民の了解が得られたのではないか、同時に、この機会は天皇という制度はどういう制度なんだろうか、私たちにとってどういう意味を持つのかという事を客観的にきちんと議論する時間にもなりますね。

山口

ここまで多くの方々が天皇陛下の事について考える時間というのはあまり無かったですよね。

保阪

今回の盛り上がりというのは、いい機会になるのではないかと思います。

山口

大二郎さんは昭和天皇崩御の際にNHKでニュースキャスターとしてお伝えしていましたよね。上皇さまが即位された後の平成2年の一般参賀の時にも取材していたと思うのですが、今回の一般参賀についてはどのように感じますか?

橋本

上皇さま、上皇后さまは今回の一般参賀を見てホッとされたのではないかと思うんです。上皇さまは天皇というお立場上皇統をいかに引き継いでいくか、未来永劫続いて行くものにするかというものを最も大切な課題として考えておられたと思うんです。その時に昭和の終わりと同じ事を繰り返したら、最初から新しい世代が暗い重い物を背負いながらスタートしなければならない。そうならないようにということで譲位という事を考えられ、それを多くの国民に理解してもらうために高齢化の時代、天皇もおのずと歳を取って行く、その時に象徴天皇のあり方とはどうしたら良いのかという問題提起をされて、特例法という形に実を結んだという形になるわけですよね。何より新天皇として皇后雅子さまの笑顔をご覧になって、まず今はホッとされたのではないかと思います。

山口

表情がお二人とも素晴らしかったですよね。川村さんはどんな風にご覧になりましたか?

川村

基本的には平成の天皇としてやってきことをきちんと引き継いでいってもらうということで、まずは何よりホッとしたのではないかと。それを自分が見届ける事が出来たので、今日、テニスコートにも行かれたのではないかという風に思います。ある意味、平成から令和へ繋がって行く歴史をこれからも見て行きたいという思いもあるのではないかと思いますね。

■お言葉に見られる“ご配慮”

山口

そういう意味で良い形で上皇さまから今の天皇陛下へと受け継がれたと言えると思うんですけれど、昨日の一般参賀で天皇陛下が語られたお言葉がありました。大木さんお願いいします。

大木

「このたび剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)および即位後朝見(ちょうけん)の儀を終えて、今日このように皆さんからお祝いいただくことをうれしく思い、深く感謝いたします。ここに皆さんの健康と幸せを祈るとともに、我が国が諸外国と手を携えて世界の平和を求めつつ一層の発展を遂げることを心から願っております。」というお言葉でした。

山口

天皇陛下の一般参賀でのお言葉だったんですが、保阪さんはこのお言葉についてどのような感想をお持ちですか?

保阪

このお言葉は国民向けのお言葉で、どちらかと言うと国内向けのお言葉ですね。国際社会で果たすべき役割が日本にもあるので、それを果たしながら国際社会の中で協調していく。そして、一層のこの国の発展を遂げようという事が本来の狙いでしょうけれども、今回のこのメッセージは国民向けの「我が国が諸外国と手を携えて」と、私たちの国が主語になっていますね。この事は国民に率直にお気持ちを伝えたんだと思います。問題はこれから国際社会の中でどの様な役割を果たすか。これからのメッセージだと思います。

山口

大二郎さんにも伺いたいんですけれども、上皇さまが平成2年の一般参賀で語ったお言葉がありました。平成2年(1990年)11月18日、この時は喪に服していた時期がありましたので、平成2年11月に一般参賀が行われました。その時に上皇さま、こう語っています。

上皇さまの天皇ご在位中のお言葉(平成2年11月18日)

「即位礼正殿の儀、及び関連する諸行事が終わり、今日このようにして国民の祝意を受け、誠にうれしく、深く感謝の意を表します。ここに皆さんの幸せを祈り、我が国が世界の国々とあい携え、人類の平和と福祉を求めつつ、ともに発展することを心より念願致します。」

山口

上皇さまのお言葉と天皇陛下のお言葉、いかがでしょうか?

橋本

上皇さまの即位当時は昭和天皇の60年を引き継いでということになりますので、昭和天皇のなさった色々なお仕事の結果として「我が国は平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました」ということを言われているんです、即位後朝見の儀のときに。それを受けて、その次にどう進むのか、保阪さんがおっしゃったように、これから国際社会と手を携え何をしていくかということを今すぐ示されることはないけれども、これからの新天皇皇后さまの課題として出てくるのではないのかということは改めて思いましたね。

山口

次のお言葉が注目されますね。一般参賀に先立ちます、1日の即位後朝見の儀で天皇陛下は語られました。朝見の儀での天皇陛下のお言葉について保阪さんはどのような感想を持ちましたか?

保阪

色々な解釈が出来るかと思います。私も微妙な表現がいくつかあるかなという感じは正直致しますね。例えば上皇さまは「日本国憲法を守り」と言いましたけど、新天皇は「憲法にのっとり」とおっしゃっています。これは良い、悪いの問題ではないんですね。上皇さまの時代は戦争と対比した意味での憲法で、それは一応、平和を祈念しているということで、それを守りますということで戦争批判というのが前提にあるんですね。新しい天皇陛下は、戦争から距離があります。15年も経って誕生されたわけですから、戦争の理解が上皇さまと違って当然なんですね。ですので、憲法という一般的な用語を使ったことに関して私はそれなりの配慮があってよく理解できますね。ただ「日本憲法を守り」という側に私などはシンパシーを持っていますから、それで言うと物足りないかなという感じはしますけれども、それは世代間の問題であり、あるいは歴史観の問題であるので、若い世代が新しい天皇陛下のもとで、どういうふうに憲法を理解していくかということのスタートに立っている言葉はこうなんだろうなというふうに思いました。もう一つは、「歴代の天皇」というお言葉がありました。「歴代の天皇のなさりように・・・」これは近代の天皇という意味で言えば明治大正昭和の天皇を指すのですが、「歴代の天皇」と言う時は、へたをすると皇祖高宗神武天皇からの天皇を含むというふうに理解する人もいるのではないかと。

山口

神話的な話という事になって来てしまう?

保阪

「歴代の天皇」という言葉は、もう少し何か修飾語が必要なのではないのかと。近代日本の天皇とか、あるいは歴代の意味を限定するような言い方が必要なのではないかと思いました。「歴代の天皇」というのを何も神武天皇のことを含むからどうのと言うのは短兵急な見方だとは思いますけどね。やはり国民の中にはそういう神経を使う人、世代もいますのでそのあたり配慮があれば良いのではないかと私は思いました。

山口

大二郎さんは朝見の儀での天皇陛下のお言葉は?

橋本

私も世代的に「日本国憲法を守り、これに従って」という言葉に強い印象を受けた世代ですので、非常に目立つ部分ですね。上皇さまの朝見の儀の時のお言葉としては目立つ部分をあえて「憲法にのっとり」という、サラッとした表現に変えられた。何かやはり意味がありはしないかと。ここで「日本国憲法を守り」と言うと今、憲法に対する考え方がまた別の意味で注目を受けている時に何か「日本国憲法を守り」と言ったことが新しい天皇陛下は憲法を守ろうと言っているのかと勝手に解釈する人とか色んな人が出てきかねないのでそういう事にも配慮されたのではないかと思いますね。

山口

改憲の議論が出てきていますから、違うのかもしれないけれども間違ったとらえ方をされてしまう恐れもあるのではないかという事ですよね。

橋本

日本の場合はお任せ天皇制的で、戦争になれば天皇陛下の名で行われたんだ、平和になれば天皇陛下が「日本国憲法を守り」とおっしゃっているから、というようなお任せ的なことになる。

保阪

5月1日の関係だと思いますね。5月3日が憲法記念日ですので、いずれにしろ5月1日のお言葉は2日3日と報道されるでしょうから。その時に5月3日の護憲、改憲と言いますか、その時に何らかの動きがあるでしょうから。そういうこととは一線を引くというような思いもあるのではないかと。これは日付の問題ですね、日付の上でのご配慮があったのではないかと感じますね。

■上皇さまのお言葉「入り口と出口に」

山口

保阪さんは、上皇さまの平成元年の即位後朝見の儀と先月30日平成最後の日、退位礼正殿の儀の時のお言葉が入り口と出口になっているという指摘をされていると伺いました。どういう事でしょうか。

保阪

上皇さまが即位された時というのは昭和天皇の色々な形をどのように引き継ぐか。あるいは昭和天皇時代の大きな問題が戦争という事で戦争の結末と言いますか流れをどのような形で次の天皇として引き受けて行くのか。そして、それはどのような形で清算をするのかという事が問われたのだと思います。ですから「日本国憲法を守り」という事は先ほど言いましたように二つの意味があって、一つは大日本帝国憲法と明らかに対立する状態の憲法を守りますと。それは戦争と一線を引くということですね。それからこれは意外に気がつかない指摘かと思うんですけども、明治大正昭和の天皇陛下は国体の下に政体がありました。逆に言うと大日本帝国憲法下で天皇は国家の主権者であると同時に軍の大元帥ですから一本の縦の線ができていて、天皇という中に全ての縦の関係が出来上がっている。その下に政治体制があった。上皇さまのこの言葉は私の解釈ですが政治体制の下に天皇がある、私が居るのですよと。つまり憲法が言っている平和の理念というものを政治体制の下に私天皇は存在するんですと言ったのだと思います。それはかなり近代日本の中ではこういう天皇の形はありませんね。それが入り口の時のご自身に誓った言葉だと思いますね。それを国民に伝えた。昨年のお誕生日の時、あるいは今回の退位の時のお言葉等で平成という時代に戦争がなかったというような事をおっしゃいました。やはりこれは出口の言葉で私はその入り口と出口がキチンと符節が合うという事をおっしゃっているのではないかと思うんです。そのお気持ちというのは、その道筋というのは象徴天皇像を作るという道筋でしたけど入り口で宣言した事を出口で私は確認できたという事をおっしゃったのだと思います。ある意味で言えば、平成の天皇は近代日本の中で例外的なことを幾つもおやりになっている。だから憲法と齟齬をきたす所が無いとは言えないという見方もありますが、しかし、それはある時代の天皇が引き受けなきゃいけない役割、それを引き受けられたのではないか。それが入り口の言葉であり出口の言葉だという風に私は解釈していますね。

山口

昭和天皇が太平洋戦争という大変な経験をされて当然苦悩もあったでしょうし、それを皇太子時代にご覧になって、そこから象徴天皇としてのあり方を導き出された。そして結果を出したという事になりますよね。

保阪

皇太子時代からの象徴天皇とはどういう姿なんだろうという事をよくご勉強されていたんだと思います。補足しておきますと戦後の憲法の中で昭和天皇は国体の下に政体があったわけじゃないという意見があるかと思いますが昭和天皇の回顧録、あるいは側近たちの文章を読むとお気持ちとしては無理がないんですけども13歳から20歳まで帝王学を習いました。そこで大日本帝国の中で天皇というのはどういう役目を果たすかという事を心の底から全部教えられたわけですね。その気持ちは、そう簡単に戦後にあってもなかなか抜けなかった。上皇さまはそういう昭和の天皇のお姿を反面教師としながらご自身の天皇像をお創りになられたという風に言っていいのではないかと思います。

川村

戦争と戦争の間を戦間期という形で日本は明治、大正、昭和と戦争を続けてきたわけです。日清、日露から始まりある意味では第1次世界大戦が大正にあり昭和に第2次世界大戦、満州事変から、そういったものを研究されている保阪さんの今の言葉を考えますと、私はこれで平成の時代戦争が無かった。この次、戦争があるまでの間、無戦間期という見方もできますけれど、つまりは一応明治からの起承転結で収まった訳ですね、入り口と出口が。戦争は無かったという形で自分の象徴天皇としての役割を終えたという事で言えば今度は新たな期の時代に入るのではないか。令和で新しい天皇像を新たな平和に向けてどういう風なご活動されていくのか、そこが非常に興味深いものがあると思います。

橋本

今の流れの話を上皇さま自身の言葉で言うと、結婚50年の時に、象徴天皇というのはいかなるものかという質問に対して、大日本帝国憲法の時の天皇のあり方と、そして、今の日本国憲法下の天皇のあり方というものを比べた時、歴代の長い天皇の歴史としては今の日本国憲法の中でのあり方の方が実際の天皇の歴史にあっていると。つまり本来の形に今が戻っているんだという自信を語られているということだと思うんです。長い歴史の中で天皇の歴史を振り返ってみれば、明治までは基本的に日本国憲法で語られているような象徴天皇的な役割を、そうではない南北朝などの時もありますけど、ずっと送って来たと。それにもう一度戻って第1代目を自分が担わせてもらっているということをある意味、自信を持って語られたのではないかと思います。

■上皇さまが言及された“お務め”・・・国民に寄り添う

山口

新時代の令和では上皇さまが築き上げてきた象徴としての天皇像、これがどう引き継がれていくのかを考えていこうと思います。平成28年(2016年)8月上皇さまが退位の意向を滲ませた、ビデオメッセージの言葉を見ていこうと思います。その中では、象徴としてのお務めについて言及されていました。「国民の安寧と幸せを祈ること」そして「時として人々の傍らに立ちその声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」。まず、この「寄り添う」ことですね。この部分につきまして、保阪さん、どうでしょうか。今、色々お話出てきましたが、国民に寄り添うこと、そこで築き上げてきた象徴天皇像だと言えると思うんですが、どんな事を感じていますか?

保阪

象徴天皇像が何かという事は上皇さまも折にふれ、色々な会見でおっしゃっていると思うんですが、私は基本的な構造は日本の近代日本の天皇という制度は縦なんです。天皇がいて国民がいるという縦の線でした。だけど象徴天皇は国民と共にある、国民に「寄り添う」という事は横の関係にあるんです。つまり国民と共にあるということですね。一緒に目の位置も揃えて、そして追悼、慰霊、それから色々な被災者の方の所に行かれた時の態度によく出ていると思うんですが、目の位置を下し、腰を下ろして、そして会話を交わす。しかも日本の色々な所を回って国民と共にあるという事を現実化する事。それが象徴天皇だと思うんですね。「寄り添う」というのは、そういう言葉だという風に解釈しているんじゃないかと思いますよ。

山口

まさに身をもって体現されて来たという事ですよね。上皇さま、そして美智子さまの慰霊の旅。被災地訪問というのがこれは主なものだけですけれども、平成3年(1991年)の雲仙普賢岳被災地を見舞われました。 ずっとその後を見ていきますと、もちろん阪神淡路大震災の被災地をお見舞いされたこともありました。それからこれは戦没者慰霊ということで沖縄県にも何度も行きまして11回、皇太子時代も含めて沖縄には行かれています。それからヨーロッパなどを訪問されて色々なことも経験されました。その後、中越地震もありましたよね。さらに平成17年(2005年)にはサイパンを訪問されて深くお辞儀をされるということもありました。その後東日本大震災の被災地をお見舞いされて被災者の方々を勇気づけられた。さらにパラオ・ペリリュー島などフィリピンなども訪問された。もちろん熊本地震、九州北部地震北部豪雨、ずっと西日本豪雨とずっと続いていたわけです。大二郎さん、改めて見てくると本当にこの上皇さま上皇后さまが身をもって寄り添ってきた、それによって築き上げてきた国民との信頼感、関係性があると思うんですが、どんな風にご覧になっていますか?

橋本

上皇后さまとお二人での寄り添いということで言いますと、上皇さまが昔、ご結婚が内定した後に詠まれた歌で、「語らいを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓」という歌があって、当時の美智子さまと語り合いを続けているうちに自分の心が開けてきたと。その開けた窓から色んなことを吸収して今の自分があるんだということを言われていて、象徴天皇としての活動がどうあるべきかというのは上皇さまご自身がお考えになったことでしょうが、その時どういう形でそれを進めていくか。そこにやっぱり上皇后さまの色んな知恵というか経験というものがいかされたところはいっぱいあるのではないかと思いますね。

山口

それは上皇さまと上皇后さまの間での信頼関係を高め合ったんでしょうか?

橋本

あると思います。上皇さまとしては先ほどからお話があるように、昭和天皇が残した戦争の傷跡というのをどうやって癒していくかということがあって、特に沖縄についての思いが深かったということを感じますよね。日本人が決して忘れてはいけない、記憶すべき日が四つあるというので、広島・長崎、そして8月15日と6月23日沖縄の戦いの終わりの日というのをあげて、そして広島や8月15日は全国中継がテレビであるのになぜ長崎もないんだけど。沖縄のことは全国中継で触れられないのは何でしょうということを私は宮内庁記者になって初めて当時の皇太子さま皇太子妃の記者会見出た時におっしゃって、ここまでのことをおっしゃるのかと思って印象深く覚えている。そういうことが重なって、このようにあるということを思いますね。

山口

まさにあの上皇さまの皇太子時代に沖縄行かれて火炎瓶を投げられた事件もありました。それでも沖縄にご訪問を続けて沖縄で信頼を勝ち得ていますよね。

■「昭和の軍は押し付け、強要した」

山口

保阪さんは上皇さまのお父様である昭和天皇。昭和天皇が戦争の時に軍部に追い詰められてしまったんだという分析をされていますよね。ここのお話を伺えますか?

保阪

天皇はなぜ在位し皇統を守るかっていうことは、基本的に歴代の皇統天皇の皇統を守っていくことですね、これが目的です。どの天皇も皇統を守ることが目的なんですね。目的があるとすれば手段があるはずです。手段というのはやはり宮中で祈ること、民の安寧を願って祈ること、さらに御製を見てわかるように和歌とかその他伝統芸術、宮中に伝わる芸術を継承していくこと。それから折々の権力との関係の中での約束事が確かにありますから、それは皇室の許す範囲内で守ることが大事なのだと思いますね。それが手段だと思います。問題は昭和10年代に、その手段に軍部が戦争を選んでくださいと。戦争を選ばなければこの国は潰れますと。つまり皇統を守ることはできませんよというようなことを言っているんですね。そういう言葉では語っていません。しかし戦争に至るプロセスを一つずつ御前会議や大本営政府連絡会議とか色々あるんですがそういう時の会議の議事録を丹念に読んでいくと、軍は明らかに「戦争を選択してください」と。そうでないと、この国は潰れますと。具体的には石油がないということを言うんですが、「それでもいいんですか?」というようなことを問うているのだと思いますね。それに対して昭和天皇は「本当に戦争しか手段はないのか?」と。「戦争しか手段がない」、「戦争して勝つのか」、かなり具体的に聞いています。しかし、軍の方は戦争しかありませんが、勝つか負けるかはっきりは言えないけど、勝つという方の意味で戦争を選択するんだということを言っていますね。こういう見方、目的があって、手段の中に戦争を選べというような事を言ったのは昭和の軍なんですね。明治、大正は戦争があったじゃないかと、これよく調べると、違います。明治天皇も大正天皇も戦争にはどちらかといえば消極的、反対ですね。しかし説得します。明治の時代は日清・日露、説得するんですね。どうして必要かということを説得するんです。昭和の軍は押し付けるんです。そして、それを強要するんです。例えば、色んなケースを具体的に語りますけど、嘘をついていますね。この嘘をついているということは、今、公然と資料があるから分かるんですが、嘘は果てしなくついています。そして、それは昭和天皇自身が疑問を持って、そして、あの頃、私は短波(ラジオ)を聞いていたんだよと言っていますね。海外放送聞いていたと。英語のわかる侍従が側に居て海外放送聞いている。つまり、事実が伝わってきていないということですね。そういうこと具体的に考えると、昭和天皇が置かれた立場というのは、軍の大元帥で最高命令者ではありますけど、現実には骨抜きにされている。軍がある意味で言えば好き勝手やったと思います。なぜ天皇という制度は戦争を嫌うかというのは、それは戦争を選択すると君主制が潰れるというようなことは、20世紀の歴史的結果として出ているんですね。20世紀が開けた時に、ヨーロッパで君主制がなかったのはフランスとスイスだけです。第1次世界大戦が終わる、第2次世界大戦が終わる、次々君主制は潰れていきます。色んな悲惨な形での倒壊の仕方もありますね。そういうことは日本の天皇もよく知っているわけですね。民の安寧を願う天皇が戦争という選択をすることは矛盾していますね。だから、明治天皇がいかにも戦争を好んでやっているのかよく調べると、すごく怯えているし、戦争選択することへのためらいを何度も示しています。私はそういう歴史をきちんと理解しなきゃいけないと思います。天皇という制度の下で何がこの現実に壊されていったのか。天皇の権威というものがうまく利用されて権力の側にうまく利用されて、この日本という国策が誤ったのかっていうことを具体的に知らなきゃいけないと思うんですね。上皇さまは、やはり当然ながらそういうふうにお考えだと思います。もっと言いますと、上皇さまの本当のお気持ちは、天皇という名において行われた戦争で多くの犠牲者が出た。あるいは、いろんな国への犠牲の形も出た。それに対して天皇という立場で、昭和天皇の次の天皇として、私はどういうことをすればいいのかということを、本当に真剣にお考えになったのだと思いますね。例えば、追悼とか慰霊とか、それから沖縄へも何度も訪問。それから満蒙開拓団、長野県にあるんですが、長野県に行くと必ず行っていますね。慰問で大事なのは日本の兵隊だけじゃないんですね。現地の人々の慰霊碑、アメリカの兵隊の慰霊碑いろんな人の所の慰霊碑に行って頭を垂れて、つまり、それは戦争そのものへの反省ないし戦争そのものの否定だというふうに私は思いますね。

大木

保阪さんは複数回上皇さまとお会いになっているということなんですけども、具体的に先の大戦に対する思いみたいなものをお聞きになったことはありますか?

保阪

例えば、満州事変のお話をしていたことがあります。満州事変は、昭和6年(1931年)9月から始まりますが、昭和天皇は拡大を望んでいないんです。拡大を望んでいないのにどうして拡大していったのか。軍がどうして、どういう書類で、どういう形で拡大していったのか?というようなことには、ご興味がおありになるんじゃないでしょうか?私も半藤一利さんと一緒にお会いした際に満州事変の話が出たんですが、満州事変で軍が何個か師団を増加して満州へ送りたいっていうような書類を出すんです。昭和天皇はそれが分からないで判を押してしまったことがある。それで気づいて、こんなことしたら拡大にしていくだけだったので、あわてて軍の責任者を呼んで取り消してほしいと思う。あれは私も考え違いであるということを言っています。軍は本来であるなら、天皇は最高命令者であるとして受け入れて取り消さなきゃいけないですね。兵を呼び戻さなきゃいけない。一度動いている兵を呼び戻すことはできませんと言っているんですね。こういうことを軍は昭和6年(1931年)から昭和20年(1945年)の間にいくつもやっています。そういうことが史実としてやはり確認していくこと、そして、そのことによって、天皇という制度のもとで、戦争というのはどういう形で行われたのかということを、やっぱり検証していくというのが陛下もお勧めになっていたことなのではないかと思います。

山口

昭和天皇が軍部にある意味利用されて、使われてしまった面もあったと思うんです。それを戦後悩まれていた、それを皇太子の立場で上皇さまは見ていらっしゃって、その苦悩を受け止めて、それがおそらく上皇さまのあの活動になられたというのがありますよね。

保阪

どういう風に追悼と慰霊を進めていくべきかというのは上皇さまのお考えですからね。そのお考えをご自身でお作りになり、上皇后さまがそれを支えて、そして形を作っていったんだと思います。私は昭和天皇が在位60年の時の記者会見で、昭和61年(1986年)だったと思いますが「在位期間の中で一番の記憶に残っていることは何ですか?」ということを問われて、それはしばらく沈黙の後それは何と言っても「あの大戦ですね」と言いましたね。そしたらそれは新聞記者たちの表現、あるいはカメラマン何かが見ているんですが涙をこぼしましたね。それがやはり昭和天皇にとって戦後どうしてああいう戦争になったんだと。私のどこがまずかった、どういう所がおかしかったのかと。ずっと検証したんだと思います。それでいくつかのことがやっぱりわかったんだと思います。昭和天皇はそれを表向きには言いません。あの記者会見でも、「あの戦争についてどういう所が問題だったのでしょうか?」と言われたら、「私は個人の名前をあげることになるのでそれは言えません」と言いましたね。しかしお心の中にはですね、軍が天皇に対してどれほどひどい情報を入れ誤った情報を入れ、そして天皇を困惑させていたかということを、私は史実の上で十分語ることできますね。3年8ヶ月続いた太平洋戦争で昭和天皇は同じ気持ちで「日本軍頑張れ!」と言っていたわけじゃないんですね。独り言を言い、政務室を歩き、どうしてこうなったんだ?と。誰が戦争しようと言ったんだ!それも悩んで悩んで悩んでいますね。そういう孤独な心理というものをやはり上皇さまは皇太子の時から聞いてあるいはご自身でそのいろんな状況を侍従などから聞いて、判断していったのだと思います。

山口

すごく深いご指摘ですけれども、大二郎さんはどのようにお感じになりますか?

橋本

昭和天皇と軍部の関係はおっしゃる通りで、私も読んだ資料、数少ないものですけど、杉山メモという当時の参謀総長の日記がございますね。そこに太平洋戦争の開戦を前に太平洋戦争の開戦について上奏をした。それに対して天皇陛下が「どれぐらいかかるつもりなんだ?」ということを言われて、参謀総長が「太平洋方面は3ヶ月で作戦を終了する見込みでございます」と答えると。そうすると昭和天皇がお前たち中国大陸で戦争を始めた時にもまあこれぐらいで済むということを言ったと。中国大陸の懐の深さと太平洋の懐の深さは桁が違うぞと、どうしてそんなことが言えるのか。明確に、保阪さんが言われたように、反対されているわけですよね。そういうものを押し切ってきたということがあり、しかし、現実には、天皇の名のもとに多くの方が亡くならざるを得なかった。その事をどうやっていくかというのが上皇さまのずっと果たしてきたことで、上皇さまは12歳で終戦ですけれども、その後東京に戻られて小金井などでバイニング夫人などが来られて授業を受けていた、その時に、あのライフの記者が来て写真を撮りにきた。それはその昭和天皇の退位ということを想定してものではないかというようなことをご自身も感じられて、最初は戦犯になるのではないかというある意味怖さを感じ、その後退位をされるのではないか、そういうことを戦争だけではなく、ずっとその戦後のそういう辛いことを経験された中で、上皇さまは、自分がやっていかなきゃいけないことは何かということを少年時代からずっと考えられてきたんじゃないかって思いますけどね。

■8月15日のお言葉が持つ意味

保坂

上皇さまが天皇という名において行われた戦争である。そして何百万もの犠牲が出た、そのことに対して天皇という立場を継いでいる私はどう受け止めるべきかという真摯な質問をご自身に発しているんだと思いますね。ご自身で発しているからこそ、きちんと四つの日を作り、そして行く先々で追悼と慰霊を繰り返し、そして国民には深い反省とともにという形で戦争もやはり理由自体を明確にしていく、ご自身の中で天皇という名において行われた戦争であり自分にもその天皇という立場でも何らかの責任があるというお感じになっていることのお答えをずっと平成の時代はご自身と上皇后さまと一緒に作ってきたんだと思いますね。

山口

今、画面が出ておりますけれどもまさにあの2018年平成30年去年ですね、全国戦没者追悼式でこういう風に語っていますよね。

大木

お言葉の後半の部分になります。

平成30年(2018年)8月15日 全国戦没者追悼式での、天皇ご在位中だった上皇さまのお言葉

「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

大木

やはり保阪さん、新しい天皇陛下、今年の8月15日にどのような言葉を述べられるのかというのは注目されるところですね。

保阪

8月15日に述べられるお言葉は、昭和天皇のお言葉と上皇さまのお言葉はやはり違いました。それは当然ながら違って当然なんですが、ということは逆に、新しい天皇が8月15日の述べるお言葉が上皇さまの時代と全く同じであることはむしろあのおかしいわけですね。戦争をどのように受け止めたか、戦争を歴史の中でどういう風に受け止めて、私たちはこの国はどういう風な判断をすべきか、そして天皇としてどういう風な考えで、その歴史と向き合うかっていうことがやはり8月15日のお言葉の中に盛り込まれるべきだと思うし、今年は盛り込まれるんじゃないんだろうかと特に私は思いますね。

川村

やっぱり天皇陛下自身が日本の歴史を専攻していますから、そして水の研究などもやってこられているという意味では、まずその6月23日に沖縄慰霊の日にも何らかのお話をされる可能性もある。したがって、これからやっぱりある意味、国際親善の、共に新たな象徴天皇像を模索されていくんだと思いますけれど、やはりこの今の四つの6月23日、8月6日、8月9日、8月15日、そこでやっぱりそれぞれ上皇さまがやってこられた、あるいは言葉の意味について、新たな意味を付け加えてくるんじゃないかっていう気がしてなりません。

山口

そうですよね。そういう意味では大変注目されますが、新しく即位されました天皇陛下ですけれども戦争と平和についてどういう認識を持っていらっしゃるかということなんですが、55歳の誕生日の会見の際に先の体制について語っているんですよね。

大木

はい、こちらになります。

平成27年(2015年)2月 皇太子さま(当時)誕生日会見

「私自身、戦後の生まれであり、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。」

山口

まさに戦後生まれの天皇陛下ということになりますが、どのような思いで戦争のことを伝えようとされるのか、どのように今お考えになりますか?

橋本

保阪さんが言われたように上皇さまと同じ言葉であろうはずがないですね。15日の言葉は。というのは、上皇さまは12歳の時に終戦で、そして、日光から東京に戻られる途中に荒川を列車で超えるあたりから東京が焼け野原だったという光景を戦後の原風景というか原体験として持たれて、それを基に苦難に満ちた日々を思うとか、また深い反省という言葉を言われている。同じ言葉を使ったのでは、戦後15年にして誕生された天皇はですね、やはりリアリティのないことをしゃべってしまうということになります。では、リアリティはどうやって持つのか?ということですが、先ほどのあの四つの忘れてはならない日と言われたのが、1981年の8月7日ですが、その会見のときにいた上皇さまがですね、このことは子供たちにもきちんと伝わるように自分は努力をしていきますということを会見の中でも言われていて、それはもう何度も新天皇にも伝えられていると思うのです。そのことをどう咀嚼をし、どう言葉の中に反映をさせていくか、8月15日のお言葉というのはですね、非常にそういう意味では注目をしなきゃいけないお言葉だと思いますね。

■象徴天皇としてのお務め・・・祈ること

山口

上皇さまが語られた象徴としての務めのもう一つがですね、国民の安寧と幸せを祈るということだったんです。大二郎さん、具体的にはどんなことを意味していると思われますか?

橋本

このお言葉はですね、あの宮中三殿といって、皇居の中に賢所皇霊殿神殿というお社があって、そこで何年も、何回も、もう天皇はじめとする皇室の方々が国民のそれこそ、安寧、国の発展を祈ってお祈りを捧げられるわけですね。それは皇祖とされる天照大御神であり、また歴代の天皇であり、そして皇室を守る八つの神様でありと、全くの神事に近いものですが、上皇さまは昭和天皇から宮中祭祀というものを引き継ぎ、それをずっとそのまま伝統にのっとって、それをずっと続けてこられたということになります。先ほど、保阪さんが上皇さまは、その国民との間のチャンネルを象徴天皇として作っていった、回路を作っていかれたということをおっしゃって、それに対しては、実は、保守派の人からは、天皇は別にそんな全国回る必要ないと、国民の声に耳を傾けたり、寄り添って話をする人じゃないという人もいたわけです。だけど、そういうものに対して、上皇さまがこういう新しい象徴像をずっとやってこられたのはなぜか?と言うと、その国民との回路を開くと同時に、昔からある天皇と皇祖をはじめとする神々との回路、それが宮中祭祀のわけですが、その神との回路、宮中祭祀をきちんと伝統にのっとってやってきたんだから、だから、保守派の人も新しい象徴天皇としての国民との回路をうんぬんと言って、批判出来なくなったという面がありはしないかというふうに思うんです。それをきちんと宮中祭祀というものをやって来られたからこそ、その象徴天皇としての、思い切った試みをどんどんやって来れたし、また退位、譲位ということをおっしゃって、それを実現できた、それによって次の時代へのムーブメントっていう言葉を使ったら失礼でしょうけど、明らかに良い形のムーブメント、波を起こすことができた。それだけ宮中祭祀というものにはバランスの意味で国民との回路、神との回路という意味で非常に重要な意味がありはしないかなと、僕、思うんですね。

山口

この宮中祭祀ですね、宮内庁のホームページに掲載されている主な祭祀だけでも年間これだけあるんですよね。本当にこの上皇さま、上皇后さまが大切にされてきたまさに今大二郎さんからご指摘だった宮中祭祀なんですが、今後これを引き継がれていくということになるわけですけども、天皇陛下それから雅子さまですね、そうした時に例えば雅子さまのご体調の面で、負担というところは大丈夫なのかなって気持ちを持つ方もいるかもしれません。どう思われますか?

橋本

上皇后さまが皇后として最後のお誕生日の時に出された文書があります。その最後の所に、退位されたら何をしたいですか?という質問に対してマクワウリを植えたいと言われて。皇居に吹上に越された後での思い出で、皇居の中の庭園を歩いていたら、天皇陛下が稲を育てられる田んぼの横に畑があって、そこにマクワウリがなっていたので、このマクワウリを一つ頂いていいでしょうかと、当時の天皇陛下にお話をしたら、それは6月の大祓(おおはらい)という宮中祭祀に使う神様に差し上げる大切なもので取ってはいけないということを言われたという話をされ、退位をされて赤坂の御所に入られたら庭を見つけて植えたいね、ということを言われているんですが、何気ない表現ながら、この宮中祭祀というのがいかに大事かと。この6月の大祓というのは6月30日と12月31日にやる、国民のすべての病気だとか、罪だとか穢れを取り払うお参りで、それに使うということを表現しながら、雅子さまに、ご体調も大変だろうけども、次の時代もこういうことをきちんとやってくださいよと。先ほど言いましたように、それをやってきたからこそ、象徴天皇としての新しい試みも、また出来るんですよということを、お伝えになりたかったんじゃないかなと、自分は勝手に解釈したんですけどね。

保阪

まったく私は橋本さんの言うとおりだと思います。天皇家に代々伝わる儀式そのものは、ある意味で言えば、近代的な私たちの考え方では了解しづらいところ不明点など当然あります。神々との対話であり、神々への祈りの中には、今の私たちから見ると、ちょっとわからないということありますね。しかし、その神々との会話、交流そのものの儀式の中に、日本の神話から始まる国の出発点があったとすればですね、それはそれとして、文化的な一つの大事な行事ですから、そこで課せられているのは民の安寧ですから、国民の安寧のためにそういう儀式をやる。ただ、こういう儀式が国家的に強要されたり、国家の中でそれが全面に出てくるようなものはやはり問題だと思うけど、宮中儀式はそういうことを、伝統を守ることがやはり一つの大きな役目ですから、そのことを上皇后さまなどはそこへお入りになって、いろんなギャップもお感じになったのかもしれませんけど、それを伝統的行事と理解しておやりになってきたんじゃないかなと思うんですね。だから、そこで私たちも問われているんですが、近代的合理主義とか、すべての考えでそういうものを否定する事が果たしていいのか。それはそれとして行事として継承すべきである。しかし、それが逆に政治的に全面に出てきて、その全面に出てくることによって、私たちの国の国民がその他の民族より優れているかのようなですね、そういうことになってはいけないんだということ。これは歪んだナショナリズムになるんですが、昭和21年(1946年)1月1日の天皇の人間宣言は、そのことを言っているんですよね。

■天皇=権威と権力の関係

山口

今まさに保阪さんからお話がありました、政治と天皇との関係についてここから話を進めていきたいと思います。やはりこれを考える上で日本国憲法を確認しておきます。皆さんご存知だと思いますが、改めて確認させていただきます。「国事に関するすべての行為には内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任が負う。」憲法3条です。そして「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行い国政に関する機能を有しない。」憲法4条の1項ということになるわけですね。ただ、実は、平成の時代にも皇室を政治利用したのではないか、という問題になった事例がいくつかあったんです。まずは、2009年12月、天皇ご在位中だった上皇さまと中国の国家副主席だった習近平氏の来日の際に行われた会見です。宮内庁は陛下の体調への負担や相手国への公平性などから一か月前までの打診を外務省に求めていましたが、1か月を切った段階で会見が決まりました。当時の宮内庁長官は皇室の政治利用につながる危険を指摘しています。そして、2013年4月28日に行われた「主権回復の日」の式典への上皇さまのご臨席です。これは1952年に発効されたサンフランシスコ講和条約発効の日に行われ、沖縄から反発の声が上がっていました。野党からも「天皇の国事行為」の範疇を超えた「天皇の政治利用」に該当するのでは、という疑念があがりました。同じ2013年、高円宮妃久子(たかまどのみやひ、ひさこ)さまがIOC総会に出席し東日本大震災の復興支援に感謝の言葉を述べましたが、宮内庁はオリンピック招致活動の一環と見られかねない、とし苦渋の決断だったとしています。もう一つ確認したいデータがありまして、今回の即位に関しての世論調査なんですけれども天皇陛下に親しみを感じるかという質問に対して感じるという方が82.5.%にも上っているんです。こうした事例を積み重ねて考えてきますと、例えば保阪さん今、国民の間で天皇陛下にすごく関心が高まって、親しみも高まっている。でも、過去を振り返ると、実は平成の時代にもひょっとしたら政治利用じゃないかと指摘されるような事柄もありました。そうすると。今、新たに天皇の政治利用ってことが起きるんじゃないかと心配するような指摘もあると思うんです。いかがでしょうか?

保阪

それが一番大きな問題だと思いますね。政治利用の問題というのは、どこで線引きをするかというのが、かなり微妙なことがありますから、軽々になんでも政治的な枠組みと触れ合うといけないということではないと思うけど、ただ、私たちが言っている天皇の政治的利用というのは、天皇を権力と権威というときの権威の側に置いとくことによって、権力の側がその権威に対して利用しないというのが最低限度のルールだと思うんですよね。それはどういうことかと言うと、日本の天皇制と国民の関係、天皇と権力との関係っての歴代の答案用紙を我々の目の前に積んであるんですね。その積んである中から南北朝の答案を取り出してみてみます。権威の中で権力闘争やっている。そういう時は国民が必ず不幸な状態になるんですね。それで、例えば江戸時代、僕は、江戸時代はもちろんその15代将軍の中で色んな変遷はあったにせよ、基本的には権力と権威を分立させながら、それなりの形を作ってきたと思うんです。だからこそ武家政権が続いたんじゃないかなと思うんです。先ほどから言っている昭和10年代の答案を引っ張り出してきます。これはやっぱり合格点を達してないと。軍がやはり天皇の権力と権威を一方的に利用する形で戦争という政策を推し進めてきたということで。ということは2016年の8月、上皇さまはビデオメッセージで、個人として言いますと、ということで、ああいう生前退位を訴えましたね。あの中に含まれているのは、もっと重要なことが含まれていて、私も答案を書きます、と。だから国民の皆様も答案を書いてくださいと。そして私たちの国のこの時代で象徴天皇像を私は作ったし、皆さんもそれについて賛意を示して下さいっていうのは、共同で答案を書きましょうっていう問いだったと私は思っているんですね。その問いが今回のいろんな経緯を見ていくと、かなり良い答えになっていると思うんですよ。この問いと答えを喜んでいるのは、実は、昭和天皇であり、大正天皇であり、明治天皇だと思うんですね。各三代の天皇はお亡くなりになって次の天皇が即位して、勅語を発表するわけですけど、それ見てないわけですね。それを知ることもできなかった。ところが今回は、上皇さまは新しい天皇のメッセージ、あるいは、どういうふうに天皇になるかということを知ることができるわけですね。そこに天皇としての人間としての安心感。あるいは皇統を守ったという自らへの喜び。明治天皇、大正天皇、昭和天皇は、それを味わえなかったわけですよね。だから逆に言うと、近代日本の天皇という制度はかなり残酷。残酷というか皇室典範そのものの中にやっぱり無理があったと考えて、私はやはり手直ししてくべきだというふうに思いますけど、実は、上皇さまの2016年のメッセージというのは、人間宣言って言いますか、それのお声だったんじゃないかなと思います。

川村

あえて保阪さんにお聞きしますけど、あのビデオメッセージの直前に保阪さんが上皇さまとお会いになっていますよね。そういう時に、なんらかのビデオメッセージを出すような感じを受けたってことありますか?

保阪

それは、私たちもちろんわかりませんね。私たちは、話としては、雑談のような形になりますが、あの戦争はどういう形だったかとか、そういう話とか雑談のようなことをしますが、その時に私は言葉の節々では、上皇さまも色々お考えなんだろうなと思いますけど、ビデオメッセージなどはまったくわかりませんでしたね。

山口

この日本という国の中で、ぜひ保阪さんに伺いたいんですけど、天皇制がずっと維持できている。この背景にはどんな社会的な素地があると思いますか?

保阪

ちょっとご質問にそれるかもしれませんが、明治天皇の先帝は孝明天皇ですけども、21年間在位していました。明治前ですが、6回元号変えているんですね。改元するたびに、改元の詔というのを発します。それは、世の中がうまくいかない、あるいは、武蔵の国で大火事がある、あるいは、外国から条約を突きつけられてどうするとか、そういったことがあると孝明天皇は変えるわけですね。6回も変える。だから元号に対しての感覚が天皇という立場から見れば、不吉なものがあったり、民に対しての不幸を招く、国民に対しての距離が広まっていくのなら元号を変えればいいっていうのもあったと思うんですね。そういう歴史を私たちの国は持っていますし、女性天皇もいたわけですから、近代の日本の天皇そのものをもう一回考え直すっていうこと。それは、とりもなおさず、皇室典範をもう一度考え直すということだと思います。伝統と言う方がいるんですが、明治からの皇室典範に基づくことを伝統というんですね。先ほどお話がありましたように、上皇さまは実は、平成という時代の上皇さまの象徴天皇は有史以来の天皇の一つの姿だったというのは、権威というものの中にずっといて、権力と距離を置いていた。そのことによってこの国の人々に安心感、それから天皇の側は民の安寧を願うっていう相互の回路があったんだということをおっしゃっているんだと思います。やはり権力と権威を分立させて、そしてそこにいろんな問題が整理されていくんじゃないかなと思います。あえて一つ付け加えますとね、例えば天皇という立場に立ったら、手段としての戦争を選ばないという問題がありますね。しかし、国家として戦争が100%否定しきれるわけでもない。何パーセントか法的のある種の柔軟性というか、担保も必要だと思えば、そこで天皇を政治と絡ませる時に、つまり、憲法改正を論じるときには、その辺のところからきちっと論じていかないといけないと思うんですね。そういう論じ方をしないで天皇元首にしようとかいうのはきわめて乱暴で、逆に言うと、ずっと古来からの天皇制度に失礼だと思いますね。

山口

このあたりの指摘は大二郎さんどのように?

橋本

そういう形で進んできたからこそ、千何百年という歴史の中で、だから天皇制というものがずっと今日までも続いて時にはいろんな波や風があっても国民に親しまれる存在としてあると思いますよね。先ほど、おまかせ天皇制という言い方をしましたけれども、戦争になるとその天皇の名のもとに、また平和憲法の下で平和憲法を大切にというか平和憲法の下にというと、今度は天皇にお任せしておけば大丈夫かなというようなことになっている。
それをやっぱりもう一度、私たちも見直さなきゃいけない。先ほどの2016年8月8日のメッセージであれば、最後のところで、国民の皆さんにも理解をしてもらいたいと、私の考えはこうだというふうに押し付けるのではなくて、国民の皆さんにも理解してくださいってことは、国民の皆さんもこういうようなことをよく考えてください、先ほどの話にありましたように、天皇制についてももう一度考える機会にしてくださいよと言われているんだろう思いますし、まさにそれが権威と権力、そういうものの分離の中で正しいあるべき天皇制ってのきたんだよっていうことを上皇さまはおっしゃりたかったし、歴史の事実もそうだろうと思いますし、私たちもそのことをもう一度考えるべき時なんじゃないかなと。特に主権在民なんですから、私たちが考えてないといけない。

川村

そういう意味では、私が非常に懸念するのは、令和になった途端に、もうすでに与党のある重鎮が公言をしているんですね。令和に入ったと、いよいよ憲法改正だということをおっしゃっていますし、その憲法改正草案を自民党の中には第1条に天皇は国家元首にすると。元首であるってことをうたわれているわけですから、それに対して新たな天皇像というものに対しては、国民の方が一緒に主権在民として考えていかなきゃいけないっていうのが本当にこれから大事になってくると思います。

■皇位継承問題 11月以降に検討の見込み

山口

今後の継承問題について考えていこうと思います。新たな皇位継承の順位なんですが、一位が秋篠宮さま、二位が悠仁さま、そして三位が常陸宮さまということに今なっているわけです。ただ今後、独身の女性皇族がご結婚をされて皇籍を離れていきますと近い将来、皇室は悠仁さまお一人になってしまうという可能性があるわけですね。

大木

そして菅官房長官はご即位に合わせてこのように語っています。「女性皇族の婚姻等による皇族数の減少については皇族方のご年齢からしても先延ばしできない。重要な課題であると政府は認識している。男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえながら、慎重かつ丁寧に検討を行う必要がある」として、天皇陛下の即位に伴う一連の儀式が終わる11月以降に皇位継承について検討を始める見込みです。

山口

まさに皇位継承を考えていきますと、女性天皇、女系天皇を認めるのかどうかという話になってくるわけなんですが、ここで保阪さんはどんなご意見をお持ちなのか教えていただけますか?

保阪

私は基本的には、確かに男子天皇がいいんだとは思いますが、しかし、それにこだわっているとですね、現実的には天皇という制度は自然に消えていくのではないかと思うんですね。女性天皇というのは視野に入れないといけないし、それを法的に、そういう問題が差し迫ってない時からきちんと考えて議論してかなきゃいけない。特に明治のときの皇室典範作るとき、あるいは昭和21年(1946年)の皇室典範を論議したとき、いずれも女性天皇というのは重要な話題になっているわけですから、そのこと自体がどうして現状の下で伝統に反するという意見が出てくるのかわかりませんけどね、やはり女性天皇というのは避けられない問題。問題はこの女性天皇の範囲というのがどういうふうにするかということだと思いますけどね。

山口

例えばその女性天皇を認めたとして、女性天皇の次にくる問題として女系天皇という議論も出てくると思うんですね。そこはいかがですか?

保阪

女系天皇の問題は、それが拡大していく時には、これは神話ではあるとはいえ万世一系の形が崩れるわけですね。私、そういうことにこだわっているわけじゃありませんけども、つまり、血筋という意味で言えば、それより血筋が遠ざかるという形の天皇という制度はどうなんだろうというふうに思いますが、それは私たち自身の感覚とそれからこれから何年か先に起きてくる感覚との間の違いがあるでしょうから軽々には言えませんけども、やはり女性天皇、女系天皇というのは、まぜ合わせて議論するのじゃなくて、どっかで線引きしながら女性天皇は認める、しかし女系天皇についてはどういうような配慮が必要だとか、細かい議論しなきゃいけないんだと思いますね。

山口

この辺りの議論、大二郎さんはいかがでしょうか?

橋本

私はまずは、女性天皇又は女性宮家の創設ということに関して言えば、国事行為の臨時代行という規定が皇室典範の規定の中にあるわけですね。例えば、昭和天皇が病気で手術をされた時、その後、当時の皇太子だった上皇さまが臨時代行になり、皇太子ご夫妻がアメリカに公式訪問ということがあって、その時は浩宮さまが臨時代行のまた代行という形に、次々と順位が決まっているわけです。それを今考えますと、これだけ皇族が少なくなっている中で天皇陛下が例えば病気になるという時に、秋篠宮さまが臨時代行になる。その時に秋篠宮ご夫妻がどこか海外を訪問されるということになったら悠仁さまはまだ成年ではないので臨時代行ができない。常陸宮さまはご高齢だからたぶん無理ではないか、ということになると、今度は皇后さまが代わってなさるということになりますし、逆に、天皇皇后が海外に行っているとき、秋篠宮さまが何かでお病気になるということになると、今度は一段上がって上皇后が臨時代行を務めて、署名をし、宮殿で認証があれば認証式に臨むというようなことになる。つまり女性にそれだけの地位といいますか役割をすでに皇室典範の中で与えているのに、今さら女性宮家の創設にどうのとか女性天皇どうのというのは、明らかに私は論理矛盾がありはしないかなということを思います。女系天皇の話は、私個人は問題はないと思います。だけど、それは多くの国民の考えることだと思いますし、女性天皇に関してはまず共同通信の調査だと70%以上賛成されているということなので、そこはもう次の課題を考えるステップとして、乗り越えていかなきゃいけないというふうに思いますけどね。

川村

それはやっぱりもっと広い議論が行われるべきで、例えば、小泉内閣のときには、この女性天皇問題も含めて相当煮詰まって提案書も出されるようになっていたと。その後の野田内閣でも女性宮家について進んだんですけれども、政権が変わったりして、どうしても先送りになってきていると。政治側が先送りにしている部分があるんですよね。その意味では私は今、与野党の総理大臣経験者、及び閣僚の経験者、その他の議員も、保阪さんと一緒に研究をやったりしている人もいますけれども、是非こういう皇室改革、皇室典範がどういう形で改善されていったらいいのかということを保阪さんのような人に有識者会議に入ってもらって議論をしてほしいという声があるんです。ところが、どうも有識者会議のメンバーがある一定の層に固まっているので、寛容性と、もう少しそういう議論が欲しい。すべて平成の天皇の時の上皇さまのビデオメッセージから始まっていると、それをきちんと具現化していくという意味では、やはり幅広い、寛容性を持った多様性のある議論を、皇室改革においてはしてほしい。本来であれば、保阪さんのような、ある意味、多面的な意見をきちんと国民に対して知らせる意味でも、そういう人たちの議論がもっともっと欲しいなと私は思いますね。

山口

保阪さん、最後に今後の皇室について、今どんな事をお考えになっていますか?

保阪

私は、皇室は不変でずっと長く続いて欲しいと思います。しかし、その私たちの願望がその通りなるかどうかっていうのにはあまりにも多くの問題がありますので、それを次の世代次の世代に渡さないで、私たちのできる世代で次々起こりうる問題の想定する問題に答えを書いてくべきだと思いますね。一つには立法府で皇室問題に関心のある代議士の方が精力的に議論を起こしてくというのが大事だと思います。

山口

大二郎さんいかがでしょうか?

橋本

難関は非常に多いと思いますけれども、その難関を超えるためにも先ほど申し上げましたけれども、その国民とのチャンネルという象徴天皇としの新しい試み、それから宮中祭祀という神とのチャンネルという伝統的なもの。この双方のバランスというものを大切にしながら、新天皇皇后さまには、次の問いかけをどういう形で国民にしていただくか考えていただきたいなという風に思います。

山口

私たち国民もその一部となって天皇制をどうやったら続けていけるのか一緒に考えていける、そういう時代になったのかなという印象を受けました。今日は本当にお二人ともありがとうございました。

(2019年5月5日放送)