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報道・ドキュメンタリー
わっかフェス~富山・石川発 郷土芸能を未来へ~
2025年5月4日(日)午後1:00~1:55
旅・くらし
ハタ揚げ
#5
暦に願う
2025年5月4日(日)よる8:54~9:00
ワカコさんとマサルくんのお宅は買わないの?? スペシャル
#13
2025年5月4日(日)午後3:00~3:54
都会でシイタケ栽培 豊田みどり(とよた・みどり)75歳
未来につなぐエール
2025年5月4日(日)午後6:54~よる7:00
昭和産業 代表取締役会長 新妻一彦 後編二度と社員のクビは切らない 決意した子会社廃業
#108
トップの源流
2025年5月3日(土)よる6:00~6:30
BS朝日「ウェルビーイング放送中!」
テレビ局らしく、エンターテインメントにして届けていく。BS朝日の、新しい挑戦です。
BS朝日開局25周年記念サイト
BS朝日は2025年の12月に開局25年を迎えます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
銀のマルシェ
BS朝日 シニアビジネスプロジェクト始動! シニアが主役の番組・イベントなどに挑戦!
BS朝日×地方創生
BS朝日が取り組む地方創生:『発信』と『体験』“知る人ぞ知る地域の魅力”にフォーカス
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歌に生き、恋に生きたブルースの女王、歌手・淡谷のり子。津軽弁で「からきじ」と呼ばれる強情っぱり…青森有数の大店に生まれた淡谷のり子は、やりたいことがあると絶対に意思を曲げない「からきじ」だった。生家の没落の後、母と妹ときのみきままで上京。東京で「歌」という生きがいを見つ けたものの、その前には想像を絶する困難が次々に降りかかる。そこで、のり子は「からきじ」魂を発揮し、文字通り体を張って現実を打破していく。また、歌うことへの熱い情熱、プロ意識は、同じ時代に生きた歌手・藤山一郎、そして笠置シヅ子らとはまた異なるものだった。
●古賀メロディーから「ブルースの女王」へ のり子の初ヒット曲は、古賀政男が作曲した「私此頃憂鬱よ」。その後、タンゴ、シャンソンと洋楽志向を強めたのり子は、新進作曲家・服部良一と組んだ「別れのブルース」の大ヒットにより、ブルースの女王と呼ばれて、昭和モダンを体現した存在となる。その栄光と影とは。(「私此頃憂鬱よ」「別れのブルース」「雨のブルース」ほか)
●極貧生活、失意そして信念 流行歌手になる以前、のり子は貧乏のどん底にいた。妹に失明の危機が迫り、音楽学校を休学してヌードモデルにも。芸術に身を捧げた青年との出会いと悲劇の結末。さらに、恩師との切ない別れ。(ブラームス「永遠の愛」、ヴェルディ「椿姫」ほか)
●モンペを履かない歌手 常に自身の信念のもと、大衆に向けて歌い続けたのり子。戦時中、日本国民はぜいたく、歌手はドレスを着ること、洋楽を歌うことなどは固く禁止されていた。そんな中、洋楽とドレスを「これが私の戦闘服だ」、「国のトップがそんなこまごましたことを言っていて戦争に勝てるか?!」と、決してモンペを履こうとしなかった。「からきじ」魂は死なず。(「夜のプラットホーム」「ラ・クムパルシータ」ほか)
●歌とともに死んでいく 米軍キャンプ回りを経て戦後の歌謡界に復帰。戦後の歌謡界においては、ブギの女王・笠置シズ子、美空ひばりのよき相談相手にもなたっとか。彼女は晩年まで地道なライブ活動を続け、歌手としての誇りを示した。(「君忘れじのブルース」「夜のタンゴ」ほか)
「あなたは歌とともに死んでいくのね」。恩師の言葉を胸に、常に全力で歌と生きた淡谷のり子。その波乱の生涯を、同じく戦中・戦後に生きた音楽人たちの姿とともに探っていく。
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歌に生き、恋に生きたブルースの女王、歌手・淡谷のり子。津軽弁で「からきじ」と呼ばれる強情っぱり…青森有数の大店に生まれた淡谷のり子は、やりたいことがあると絶対に意思を曲げない「からきじ」だった。生家の没落の後、母と妹ときのみきままで上京。東京で「歌」という生きがいを見つ けたものの、その前には想像を絶する困難が次々に降りかかる。そこで、のり子は「からきじ」魂を発揮し、文字通り体を張って現実を打破していく。また、歌うことへの熱い情熱、プロ意識は、同じ時代に生きた歌手・藤山一郎、そして笠置シヅ子らとはまた異なるものだった。
●古賀メロディーから「ブルースの女王」へ
のり子の初ヒット曲は、古賀政男が作曲した「私此頃憂鬱よ」。その後、タンゴ、シャンソンと洋楽志向を強めたのり子は、新進作曲家・服部良一と組んだ「別れのブルース」の大ヒットにより、ブルースの女王と呼ばれて、昭和モダンを体現した存在となる。その栄光と影とは。(「私此頃憂鬱よ」「別れのブルース」「雨のブルース」ほか)
●極貧生活、失意そして信念
流行歌手になる以前、のり子は貧乏のどん底にいた。妹に失明の危機が迫り、音楽学校を休学してヌードモデルにも。芸術に身を捧げた青年との出会いと悲劇の結末。さらに、恩師との切ない別れ。(ブラームス「永遠の愛」、ヴェルディ「椿姫」ほか)
●モンペを履かない歌手
常に自身の信念のもと、大衆に向けて歌い続けたのり子。戦時中、日本国民はぜいたく、歌手はドレスを着ること、洋楽を歌うことなどは固く禁止されていた。そんな中、洋楽とドレスを「これが私の戦闘服だ」、「国のトップがそんなこまごましたことを言っていて戦争に勝てるか?!」と、決してモンペを履こうとしなかった。「からきじ」魂は死なず。(「夜のプラットホーム」「ラ・クムパルシータ」ほか)
●歌とともに死んでいく
米軍キャンプ回りを経て戦後の歌謡界に復帰。戦後の歌謡界においては、ブギの女王・笠置シズ子、美空ひばりのよき相談相手にもなたっとか。彼女は晩年まで地道なライブ活動を続け、歌手としての誇りを示した。(「君忘れじのブルース」「夜のタンゴ」ほか)
「あなたは歌とともに死んでいくのね」。恩師の言葉を胸に、常に全力で歌と生きた淡谷のり子。その波乱の生涯を、同じく戦中・戦後に生きた音楽人たちの姿とともに探っていく。