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#432

酒井政利(音楽プロデューサー)

ゲスト×インタビュアー
酒井政利(音楽プロデューサー)× 石原正康(編集者)

1935年11月17日、和歌山県で8人兄弟の末っ子として生まれる。明治生まれの父は厳しく、家では歌謡曲を聴くことも禁止されていた。酒井自身の関心は、自然と音楽よりも映像に。高校時代には、映画にのめり込んでいった。立教大学卒業後、憧れだった映画の世界へ。しかし当時、映画は斜陽産業でテレビに押されていた。そこで、目にしたのがレコード会社「日本コロムビア」での文芸部員募集の文字。転職した酒井は、音楽プロデューサーとして歩みはじめる。
入社3年目に「愛と死をみつめて」をプロデュース。前年に書籍化された、大学生の男女2人の“生と死の愛情物語”を曲にしたものだった。なんと「愛と死をみつめて」は、日本レコード大賞を受賞する。しかし受賞の裏で、酒井は会社でトラブルメーカーと呼ばれていた…。その理由とは?
その後、酒井は、当時発足したばかりの「CBS・ソニー」に入社。ここからプロデューサーとしての快進撃が始まる。1971年、日本のアイドル第1号として南沙織を見いだし、続いて郷ひろみや山口百恵などを世に送り出す。彼らの知られざる素顔を見てきた酒井が、今語る事とは?
また、ある時、デザイナー・横尾忠則、作家・池田満寿夫、作詞家・阿久悠など、各業界で活躍している人物とともに南太平洋を巡る不思議な旅に出たという酒井。この旅は大きな刺激となり、これをきっかけに矢沢永吉「時間よ止まれ」、ジュディ・オング「魅せられて」、山口百恵「いい日旅立ち」、久保田早紀「異邦人」など、ミリオンセラーを連発。一体どんな旅だったのか!?
今も色あせない数々の名曲の誕生に立ち会ってきた、“伝説のプロデュ—サー”との異名をとる酒井の生きざまに迫る!