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#104

都の繁栄は徳川にあり
~家康・秀忠・家光~

1200年前から繁栄を続ける京都。その裏には、家康、秀忠、家光、徳川三代による、知られざる努力がありました。江戸時代初期の徳川幕府と京の街との関係に中村芝翫さんが迫ります。
京都のなかでも、徳川家と特に深いつながりを持つ「知恩院」。京都三大門の一つに数えられる「三門」をのぼると、素晴らしい眺望が広がっていました。この眺めこそ、徳川家が知恩院を特別視していた理由だと言います。その理由とは? 徳川三代になり今のような広大な寺領を持つようになった知恩院。拡大の背景には、家康の母・於大の方が大きく関わっていました。
家康が征夷大将軍に任命された当初、豊臣家は秀頼を中心にまだ強力な勢力を保っていました。豊臣家からの急襲に備えるため、家康が軍事目的で活用したのが「くろ谷さん」の名前で親しまれている「金戒光明寺」。家康はこの寺を、隠れ城として再興したと言われています。石垣や南門、山門などを巡りながら、その理由をひも解きます。

続いて向かったのは、皇室とのゆかりが深い「下鴨神社」。本殿の屋根の上部に施された、裏側からしか見ることのできない、徳川家の家紋「三葉葵」と下鴨神社の紋「双葉葵」を拝見。徳川家と下鴨神社の関係の深さを改めて知ります。
家康の後を継いだ第二代将軍・徳川秀忠が行ったのは、当時火災や戦で荒れ果てていた下鴨神社の復興でした。秀忠は、境内にある数多くの建物を復興させます。そのひとつ「楼門」を拝見しながら、秀忠の狙いを教えていただきます。また、徳川家は京都の人々のために葵祭の復興にも力を注いだと言います。
京都を代表する古刹「清水寺」。今でこそ観光客で賑わいますが、江戸時代初期は火災が原因で諸堂の半分を焼失。その復興に尽力したのが、第三代将軍・徳川家光でした。家光は他にも、東寺や仁和寺など莫大な費用をかけ、京都の寺社を次々と復興させます。その目的とは?
都の発展に力を尽くした徳川三代。京の街に残された、家康、秀忠、家光の足跡を訪ねる旅に出かけます。

 
【専門家出演者】
●京都産業大学 日本文化研究所 上席特別客員研究員
小嶋一郎さん