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#494

髙樹のぶ子(作家)

ゲスト×インタビュアー
髙樹のぶ子(作家)× 石原正康(編集者)

1946年山口県防府市に生まれる。子供の頃から作文は得意で、コンクールで賞を貰うことも度々あった。どのように書けば大人から評価されるのかが分かる子供だったという。

そんな髙樹に訪れた転機は、短大への進学のため上京した時。初めての都会に驚く一方で、すぐにボーイフレンドができた。そして、結婚、出産・・まわりから見ると幸せいっぱいの順風満帆な生活が始まった。しかし髙樹は32歳の時、すべてを捨てて別の人生を選択することになる。子供とも会えなくなり・・その苦しみが、髙木に“書く”ことを強いたという。子供のころに、作文が得意だと自惚れ、才能があると思い込んでいた幻想を振り捨て、全身全霊で執筆に挑んだ。
1984年、37歳の時『光抱く友よ』で芥川賞受賞。その後は、美人女流作家、恋愛小説の旗手として数々の作品を世に出し、評価されてきた。髙木にとって、小説を書くための滋養となった趣味があるという。その趣味とは?

2001年から18年間、髙樹は、芥川賞の選考委員を務めた。常に真剣勝負で最良のものを選ぼうと、選考に挑んできた。選考委員同士の意見が合わず、議論を繰り広げることもよくあったが、真剣勝負だからこそ。楽しい時間であったという。しかし、70歳を過ぎた頃から違和感を覚えるようになる。その違和感とは何だったのか?

芥川賞の選考委員を辞め、捨て身で挑んだのが古典の世界だ。平安時代に書かれた『伊勢物語』。様々な研究成果による解釈を、オリジナルに昇華させ、1100年前の在原の業平の姿を生き生きと描いたのだ。髙樹が業平に見た平安の“雅”の世界。それは、この現代のコロナ禍で過ごす私たちにこそ、必要なものだと髙樹はいう。その理由とは?
また『小説伊勢物語 業平』を書くにあたり、平安時代の人々の研ぎ澄まされた五感を表現するため、小説の文体に様々な工夫を施し、これまでにない小説となった。役に立ったのは、長年続けているライフワークだったという。新境地に立った髙木の今の想いに迫る。
インタビュアーは、編集者 石原正康