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#106

戦国 京の城めぐり
〜明智光秀 最期の城〜

京都には二条城や福知山城などいくつも城が残っていますが・・・今回はその中でも、日本の歴史上の大事件「本能寺の変」で有名な戦国武将、明智光秀ゆかりの城へ。俳優の宇梶剛士さんが城の専門家、千田嘉博(よしひろ)先生と共に城や遺構をめぐり、明智光秀の城造りの特徴はもちろん、武将としての力や、知られざる素顔をひも解きます。
まずは長岡京市にある「恵解山(いげのやま)古墳」へ。実はここ、明智光秀が主君である織田信長を討った「本能寺の変」の後、光秀と豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が戦った「山崎の戦い」の時に本陣とした場所。光秀はここで、信長の仇討のため攻め込んできた秀吉を待ち構えていたそうですが、なぜこの場所を本陣として選んだのでしょうか? その理由から光秀がいかに優れた武将だったかが分かります。

つづいて、光秀にとって「最期の城」、勝竜寺城へ。勝龍寺城は光秀の親戚にあたる細川家の城ですが、光秀が建てた坂本城との共通点が多く、この城を見ることで、光秀の城造りの特徴が分かると言います。
まずは城に備わる当時最先端の防衛システムを解説。「枡形」や「狭間」など強固な守りの秘密を学びます。勝龍寺城の石垣は「野面(のづら)積み」という自然の石の形を活かした石垣なのですが、よく見ると、ある意外なものが使われていました。一体何が使われているのでしょうか? そしてそこからひも解かれる光秀の素顔とは? また、発見された瓦からは京都に深く通じた光秀ならではの城造りが明らかに。さらに信長との意外な人間関係が浮き彫りになります。そして最新の研究では、この城には「天主」があったことが判明。これまでは、城造りの名人と言われた信長の安土城が天主の起源という説もありましたが、実は光秀の方が早かったというのです。しかも私達のイメージするものとは全く違い、光秀らしさに溢れた姿だったのだとか。一体どんな天主だったのでしょうか。
城と遺構から、戦国武将・明智光秀の意外な素顔に出会います。

 
【専門家出演者】
●城郭考古学者 奈良大学文学部教授
千田嘉博さん