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#129

比叡山延暦寺 いま明かされる真実

いにしえより京の都を見守ってきた比叡山延暦寺。今年は、延暦寺にとって2つの大きな節目を迎えました。
それは、平安時代に延暦寺を開いた最澄が没してから1200年目、もう一つが戦国時代、織田信長が延暦寺を焼き討ちにしてから450年目ということ。そんな特別な年に俳優の中村雅俊さんが、1200年前から伝わる最澄の貴重な教えと、450年の時を経て明かされる焼き討ちの真実をひも解きます。
まずは比叡山で最も大切な建物「根本中堂」へ。建物自体の独特な造りや、1200年に渡って消えることなく守られてきた「不滅の法灯」など、そこには最澄の貴重な教えが秘められていました。
続いて「法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうとう)」へ。普段は一般に開かれることのない非公開の建物ですが、今年は1200年目の節目ということで特別に公開。最澄自身が立案したというこの建物の中には、天台宗の根源ともいえる珍しい光景が広がっていました。それは一体!? 実はそこにも最澄の教えが込められているのです。

そして織田信長による延暦寺焼き討ちから450年目の節目ということで、特別に延暦寺に集められたのが、焼き討ちの真実を今に伝える歴史を物語る寺宝。なんと焼き討ちによって黒焦げになってしまった仏像や、奇跡的に焼き討ちを逃れた文化財、さらには周辺の村々へ事前に焼き討ちを知らせる明智光秀からの警告文や実際に焼き討ちに遭った人の様子を書き記した文献などなど、これまでなかなか目にすることが出来なかった貴重な歴史資料。そこから明らかになる焼き討ちの意外な真実とは?
その後、延暦寺は劇的な復興を遂げますが、その復興にまつわるお宝も。延暦寺復興を許可した秀吉の書状や、江戸時代に延暦寺の復興に尽力した高僧、南光坊天海(なんこうぼうてんかい)の豪華な鎧兜一式など、この機会を逃すとなかなか見られない歴史的価値の高い資料から延暦寺復興の道のりが浮かび上がります。
最澄と焼き討ち、2つの節目を迎えた比叡山延暦寺で、これまで秘められてきた真実がいま、明らかに。