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#210

大川小学校津波裁判が問う“日本のこれから”

東日本大震災から11年。2022年3月13日の『BS朝日 日曜スクープ』は、児童・教職員合わせて84人が死亡・行方不明になった、大川小学校の津波被災を特集しました。児童たちの遺族が起こした裁判の判決は、大川小学校が津波の避難先を定めた危機管理マニュアルを作っておらず、避難訓練も行っていなかったことを問題視しました。そして、「現場の先生」ではなく、市や教育委員会、当時の校長ら、「組織」としての過失を認定したのです。遺族側の代理人弁護士と、遺族の奮闘を追い続けたドキュメンタリー映画の監督の解説です。

 
放送内容は、動画でもご覧になっていただけます。
【日曜スクープ】大川小津波裁判…奮闘する遺族たち
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【日曜スクープ】大川小津波裁判“日本のこれから”
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■「娘の目に入った砂をお母さんが舌で…」

上山

続いては時事論考・東日本大震災特集です。こちらは津波で84人の児童・教職員が死亡、行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校です。津波は校舎2階の天井にまで達しました。児童たちは津波が到達する直前まで学校の校庭にとどまっていました。なぜ学校のすぐ横にある裏山に逃げることができなかったのか。遺族の方々が起こした裁判は、学校での防災だけではなく、日本社会のあり方も問う画期的な判決を確定させました。きょうは大川小学校・津波裁判に向き合います。

紫桃隆洋さん

当然、ここに避難しているはずだ。まさか命が…失われた。

この小学校に通っていた娘の千聖(ちさと)さん(当時11歳)を津波で亡くした紫桃隆洋(しとう・たかひろ)さん(57)。

紫桃隆洋さん

眼に入った砂もとれない状態だったのでお母さんの舌で眼を洗ってあげたり…。

東日本大震災で児童70人、教職員10人が死亡した大川小学校。今も4人の児童が行方不明のままです。

遺族は、悩み抜いた末に裁判に訴え、学校での防災、さらには“日本のこれから”にも問題提起する判決が確定したのです。

千聖さんの母 紫桃さよみさん

子供らしいところとすごくませた大人の部分と持っていて、使い分ける子ですね。

紫桃隆洋さん

やんちゃだし暴れまわって怒られる時にはそこにはいない。すごい賢い子ですね。

海から約4kmの北上川上流に位置する大川小学校。地震発生から津波到達までの約50分の間には防災無線などでも「高台避難」を呼びかけていました。

紫桃隆洋さん

先生方に対して「ここにいたら死んでしまう」「早く山へ行こう」と訴えた子供たちもいました。

しかし、先生の判断で子供たちは、校庭で待機を続けたのです。そして、移動を始めた矢先に― 地震発生から51分 大川小学校に津波が到達しました。

遺族が撮影した200時間を超える映像記録を元にしたドキュメンタリー映画です。保護者説明会や検証委員会の様子にも焦点を当てています。

遺族説明会 2012年1月

遺族

Q教育委員会はウソの報告をしていたのでしょうか

校長

「そうなると…そのような形になると思います」

生存した教師や児童の貴重な証言メモが教育委員会によって破棄されるなど、遺族の不信感は募っていきました…。

柴藤隆洋さん

教育委員会や行政側は隠ぺい、改竄、なぜしなければいけないのか…ここで校庭で縛られてしまった子供たち。まさしく人災です。

■「天災ではなく人災」裁判に訴えた遺族たち

救えたはずの子供たちの命。児童23人の遺族が裁判に訴えました!

吉岡弁護士

(遺族は)「逃げれば1分間で登れる裏山があるのに子どもたちは50分間校庭にとどめ置かれたんです。それが私たちはどうしても納得できないのです」と…

紫桃さよみさん

「最後の瞬間に手を握ることもできなかった。千聖があのときお母さんって叫んだのか寒かったのか…。辛かっただろうか…」

あの日、ここで何が起きたのか―遺族たちは自ら証言を集めたり、裏山に避難する時間を検証するなどして裁判に挑みました。

遺族

「津波到達点です。55秒です」

最高裁まで争った裁判は遺族側が勝訴。市や教育委員会、校長など組織的な過失を認定した画期的な判決が確定しました。

震災から11年―。去年7月から震災遺構として一般に公開されています。

娘の千聖さんを亡くした紫桃隆洋さん。あの日のことを伝えるために、大川小学校の跡地で〝語り部〟活動を続けています。

紫桃隆洋さん

「学校で命を落とす…絶対に二度とこの繰り返しはしてはいけない。だからこそみんなで考えていかないといけない。

■「走ってわずか1分の裏山 それなのに」

上山

津波で犠牲になった大川小学校の子供たちのご遺族は、宮城県と石巻市を相手取って裁判を起こして勝訴しました。きょうは、この津波裁判の意義と日本社会のこれからに問いかけるものを考えていきたいと思っています。それではゲストのご紹介です。きょうは仙台市からオンラインでご出演して頂きます。遺族側の代理人として、裁判を担当された吉岡和弘弁護士です。宜しくお願い致します。

吉岡

どうぞ宜しくお願い致します。

上山

そしてもう一方です。同じく遺族側の代理人として裁判を担当された齋藤雅弘弁護士です。どうぞ宜しくお願い致します。

齋藤

齋藤でございます。宜しくお願い致します。

上山

そしてスタジオにはさらにもう一方です。遺族の方々の闘いを取材し続けて、ドキュメンタリー映画を制作している寺田和弘さんです。寺田さんはクラウドファンディングで資金を集めて、映画化に踏み切りました。映画は来月、完成予定ということです。宜しくお願い致します。

寺田

宜しくお願い致します。

上山

それでは、これから遺族の方々が勝ち取った判決・意義を見ていくにあたって、まず、最初のテーマがこちらです。「地震発生から津波まで”50分” 大川小学校で何が起こったのか?」。当日の動きを確認します。

菅原

大川小学校の場所、位置関係です。宮城県石巻市の大川小学校は、北上川の堤防から200m、北上川が流れ込む追波湾から3.7キロのところにあります。海抜は1.1mです。小学校のすぐ近くには、ご覧のように裏山があります。この裏山に避難すべきだったのではと、裁判の争点になりました。

こちらは被災前の大川小学校を真上から見た写真になります。大川小学校が津波に襲われるのは、地震発生からおよそ50分後ですが、その直前まで、この校庭に児童たちは留まっていました。そして、こちら、校庭のすぐ横に裏山があります。子供たちは日頃から、この裏山で椎茸栽培をしたり、登って遊んだりして、親しんでいたそうです。

校舎側から裏山との位置関係を見てみます。大川小学校に到達した津波の高さ、約8.6mの上には、崖の補強用にコンクリートで固められた場所があります。遺族らの検証では、児童が待機していた校庭から裏山の津波が到達しなかった地点まで、走れば1分、徒歩でも2分あれば行けるということです。

上山

本当にご覧いただいてもわかる通り、どうして子どもたちは学校のすぐ隣、裏山に避難しなかったのか、遺族の方々は、その理由を知りたいと宮城県や石巻市を相手取って裁判を起こします。吉岡さん、遺族の方々から依頼を受けて、どんな思いで裁判に臨もうと思われたのでしょうか。

吉岡

齋藤さんと私が遺族のお宅に伺って、線香をあげさせてもらった際、お孫さんを亡くした方がお茶を我々に出してくれまして、私たちの耳元で「先生がいなければ孫は死ななかったのしゃ」と、我々につぶやいたのですね。一瞬、耳を疑う言葉でしてね、先生がいたから孫が死んだんだと、このように言う。私は早速、現場の校庭に佇んで、裏山を振り返った時に、遺族の方々は、自分のお子さんの身体能力を十分熟知してますのでね、うちの娘だったら、うちの息子だったら、この裏山に、あっと言う間に駆け登るに決まっていると。なのに、なぜ50分間も校庭にとどめられて置かれたのかと。これは天災なんかではない、人災だと確信する、そういう現場状況だったわけですね。

今、映っているこの画面で、ここまで津波が来るわけですけれども、校舎から走って、わずか1分程度の現場なんですね。私はこの現場に佇んだ時に、これは人災であると確信したわけです。

■「明治に学校制度創設以来、最大の被害者」

上山

小さな子どもでも登ることができる裏山がグラウンドのすぐ隣にあったということなんですが、こういった位置関係を踏まえたうえで、当日、大川小学校で起きた事を確認します。

3月11日、大川小学校には103人の児童と11人の教職員がいました。午後2時46分に東日本大震災の地震が発生、大川小学校付近は震度6弱でした。児童らは教室内で机の下などに退避していましたが、そして2時50分すぎに、校庭に移動し、そのまま校庭で待機します。その後、防災行政無線からは「大津波警報」が2回、放送されました。3時20分頃には、消防車が「高台避難」を呼び掛けながらこの大川小学校前を通過します。その8分後の3時28分頃には、石巻市の広報車が、追波湾の松林を津波が越えたことを交えながら「高台避難」を呼び掛け、大川小学校前を通過しています。そして、児童と教職員は、地震発生からおよそ50分がたった午後3時35分頃、北上川の堤防の上、新北上大橋のたもとにある、通称「三角地帯」への移動を始めます。しかし、そこに向かう途中、3時37分頃、津波に巻き込まれます。齋藤さんは、遺族の方々の代理人として、どのような思いで裁判に臨まれたのでしょうか?

齋藤

この大川小学校の被災というのは、明治のはじめに学校制度というのが日本に始まって以来、学校管理下で起きた被災事件としては、最大の被害者を出した事案なわけです。先ほどの吉岡弁護士のお話の中にもありましたが、現場に行って佇んでみると、ご遺族が感じたのと同じ思いを私たちも感じるわけです。具体的には、子どもたちがどうしてこの場で亡くならなければいけなかったのか、特に、先ほど見て頂いた裏山の津波到達地点まで登ってみれば、なおさらそれを実感することができます。どうして大川小学校だけなのかと。他の石巻市内の小学校では、ほとんど児童の命が奪われることはなかった。

ところが、大川小学校だけ大きな被害を出したと。一体、誰にどのような責任があったのかと。それは明らかにすべきではないかと、やはり私、弁護士ですので、現場に立ってみたら実感します。先ほどのご遺族、お孫さんのことをお話になったおばあさんのお話にもなりますけれども、そういうお気持ちになるのはごもっともですので、少しでもご遺族の力になればいいということで、この事件を受任して訴訟を遂行してきたということでございます。

■「今後に活かすために映画化を」

菅原

寺田さんはクラウドファンディングを使って資金を集めて、ドキュメンタリー映画『「生きる」~大川小学校 津波裁判を闘った人たち~』を製作していて、来月完成する予定だということです。どのような思いから映画を製作されたのでしょうか。

寺田

最初のきっかけというのは、原告遺族への脅迫事件でした。原告遺族は、勝訴判決をこれからのスタートに考えて、そのために裁判をやっていた。裁判で勝つことが目的じゃなくて、勝った後をようやくスタートとしようとしていたのに、その最中に脅迫事件が起きてしまって、その活動に水を差してしまって、せっかく勝訴判決、画期的な意義のある判決が出てきたのに、これを活かす必要性があるのに、原告の皆さんはあえて前に出る必要がないんじゃないかというような気持ちに落ち込んでしまっている。そういう様子をずっと吉岡弁護士と齋藤弁護士は、裁判終わった後もずっと原告団会議をやられていて、そういう様子を見られていて、何かできないかというような話を3人でしていく中で、映画というのが出てきました。原告遺族の方は、これまでも紹介されていましたけど、保護者説明会(遺族説明会)、第三者検証委員会、裁判での検証などを自分たちでビデオで撮ってきていましたので、これをきちんとまとめてですね、今後のために活かしていく必要性があるんじゃないかということで、映画に取り組むことにしました。

2021年3月11日、仙台地裁は、脅迫と威力業務妨害の罪に問われた高知県内の元小学校講師(当時40代)に対し、懲役2年6カ月、保護観察付き執行猶予5年の有罪判決を言い渡しました。元講師は2019年9月から20年6月にかけ、大川小津波訴訟の原告となった遺族3人に「殺人予告」などと書いた文書を報道機関経由で送っていました。

上山

そういった思いがあって、映画に取り組まれたということなんですが、遺族の方々が裁判を起こしたのは、悩み抜いた末のことでした。と言いますのも、石巻市の教育委員会による保護者説明会では、なぜ大川小学校だけで子供たちの犠牲が相次いだのか、走れば1分の裏山があるのに、なぜ避難しなかったのか、遺族の方々が納得できる説明はありませんでした。さらに、2014年3月に出された第三者検証委員会の最終報告書も同様でした。そういった中、遺族の方が記者会見で初めて、裁判を起こすことに言及したときの映像です。

【遺族会見 2014年】

「調査メモの廃棄について その他もいっぱいありますが、私たちが2年前から疑問に思っていたことについて 新しくわかった事実はなかったということです。裁判をしなくても教育の現場で起きたことだから 早い段階で様々なことが明らかになると思ってました。誰も裁判なんかやりたくないですよ。私は一人息子を亡くして これ以上失うものはないので、私は弁護士と相談して裁判に訴えたいと思います。そして責任の所在をはっきりさせたいと思います」

上山

こういった遺族の方々の訴えに対して、裁判所はどのように向き合ったのでしょうか。

■一審判決 原告勝訴でも控訴した理由

上山

続いてのテーマはこちらです。『「現場の先生」ではなく、「組織」の過失…問題の本質とは』。まず一審での判決を見ていきたいと思います。

菅原

一審の判決は、「現場で対応した教職員の過失」があったとして、遺族側の勝訴となりました。これに対して控訴審二審の判決は、教職員の過失ではなく、「石巻市や教育委員会などの組織的な過失」が認定されたということです。一体どういうことなのか、まず一審判決の判決理由から見ていきます。

一審の判決は、「学校の教職員らは津波到来の7分前の午後3時30分ごろまでに広報車による避難の呼びかけを聞いた時点で学校に津波が来ることを予見できた。この時点においても、児童を校庭から裏山に避難させる時間的余裕があり、義務があった」ということで、大川小学校の教職員らの現場過失を認定したのです。

上山

あらためて判決のポイント、こちらの時系列のフリップで確認します。

判決理由の中にあった「広報車の避難の呼びかけ」とは、午後3時28分頃、石巻市の広報車が、追波湾の松林を津波が越えたことを交え、高台避難を呼びかけたことです。判決では、これを聞いた時点からでも校庭から裏山への避難は可能で、避難すべきだったとしたわけです。吉岡さん、遺族の方々は、こうした形で一審に勝訴という形になりました。しかし、お気持ちの中には不本意な部分も残っていらっしゃったということなのでしょうか。

吉岡

そうですね、遺族の方々は、なぜ50分間も校庭に留め置かれたのかと。先生方にもし事前に避難マニュアルがあれば、そのマニュアルに従って裏山に誘導してくれたはずだと。となると、その50分間、無意味に校庭に留め置かれた、その一番の根源は、地震が起きる前に、先生方や教育委員会らがやるべきことをやっていなかったからではないかと。避難訓練をやったり、どこへ逃げろというようなマニュアルを、きちんと作っておいてくれればこんなことにはならなかったのに。となると、地震が起きた後、津波到達の何分前に逃げられるかという問題よりも、地震が起きる前の段階で、平時からやるべきことをやっておかなかったと、ここに問題があるのではないかということで、控訴審にこちらも控訴したと、そういう経過です。

■2審判決は「組織的な過失」を認定

上山

遺族側勝訴の判決を受け、宮城県と石巻市が控訴しました。これに対し、遺族側も控訴しました。その後、仙台高裁での二審判決でも、遺族側が勝訴しましたが、その理由は、一審と異なり、遺族側の主張を大幅に取り入れたものでした。

菅原

二審の判決は現場の職員ではなく、市や教育委員会らの組織的過失を認めたものとなりました。その理由を見ていきます。この判決では、2009年4月、震災の2年前になりますが、その時に施行されました学校保健安全法を重要視しました。この法律は、阪神淡路大震災や大阪教育大学付属池田小学校での児童殺傷事件を受けて、教育委員会や学校に、危機管理マニュアルの作成を義務付けました。しかし、大川小学校では、津波の際の避難場所を定めた危機管理マニュアルがなく、さらに、津波避難の訓練も実施していませんでした。ですから、二審の判決では、「地震の発生前に、市や教育委員会、校長らが津波が起きた時の避難場所を定め、避難訓練をしておくべきだった」「組織全体として児童の安全を確保すべき義務を怠った」と結論づけて、市や教育委員会、校長、教頭らの組織的過失を認定しました。

裁判官は、判決言い渡しの日に遺族の方々や代理人の吉岡さん、齋藤さんに「学校が子どもの命の最後の場所であってはならない」と述べています。

上山

再び先ほどの震災当日の時系列で、今の控訴審判決、二審判決のポイントを見ていきたいと思います。二審判決は、あらかじめ避難場所を決めていれば、午後2時52分、大津波警報の防災行政無線を聞いた直後に避難できたと、一審よりも、さらに避難するべきだった時間を早めています。二審判決後の遺族の方々の会見をご覧ください。

【控訴審判決後の遺族会見 2018年】

「今回の判決を見ると、きちんと、子どもの命が余裕を持って救える。未来の子どもたちの命を救うために、必要な我々の主張が認められ、本当に命を救う裁判の判決になった」「判決を聞かせてもらいながら、ずっと涙を流していたんですが、やっとここまで来られたかなという思いと、ここまで来るのに7年もかかったという 2つの思いが複雑に入り乱れています」

上山

寺田さんは、このドキュメンタリー映画の編集をしていて、この二審判決後の遺族の方々の会見の映像が非常に印象に残ったということなんですが、それはどうしてなのでしょうか。

寺田

今回、遺族が裁判に踏み切ったのは、あの日、何があったのかという真実を知りたいという思いと、震災後の行政の対応、この問題を問いたいという、この2点でしたが、一審判決でも控訴審でも、それは叶えられていないんですね。法律論的には勝訴という形になって、画期的な判決ではありますけれど、遺族が一番、最初に望んだ思い、この2点というのは法律の世界では解消できないことだったので、叶えられていない。しかしですね、にもかかわらず、控訴審後の判決の会見で、これまで全く違った表情を見せて、裁判官から心ある判決をもらえた、感無量の時間だったと、判決出しの時に言っているんですね。やはり、その時の表情や言葉の使い方などが非常に印象的でした。

それまではやはり、市の教育委員会や行政・学校、検証委員会、そして一審の裁判所もそうなんですけれども、遺族の心を次々と折る、そういう時間だったんですね。時が経てば経つほど、どんどんどんどん遺族の心が折られていく。そうした中で初めて、控訴審が子どもの命に向き合ってくれたと、それがやはり、遺族が寄り添ってもらえたと感じたから、一番、最初に望んだ答えではないけれど、それでも前を向くことができたんじゃないかと強く思いました。やはり、寄り添うことの大切さとですね、向き合わない、嘘をつく、そういう行政の罪深さというのをこの映画を製作する中で、改めて強く感じました。

■「能力高い人がいたから助かった、ではいけない」

上山

齋藤さんは、裁判で行政による組織的な過失が認定されたというこの意味、これについては、どのようにお考えになっていますか?

齋藤

やはり何度も出てくる言葉ですけれども、画期的な判決だと思います。国の責任を認める法律の考え方というのは、法律の規定の上では、現場にいた公務員の責任を前提にして、初めて、公務員の代りに、国や地方公共団体が責任を負うという組み立てになっているのですね。ところが、この判決はそうではなくて、現場にいた公務員個人ではなくて、その人が属している組織における位置づけ等を総合的に判断して、組織として対応すべき義務があったと。これはですね、次のようなことが指摘できるんですね。まずですね、組織でくくりますから、現場の個人の公務員の責任だけを問題にしませんので、ある意味では、現場に責任を押し付けない判断であるということが一つ。それから、現場での判断で責任が出るわけではありませんので、平時からの事前の対応が必要であって、その事前の対応に落ち度があれば責任があるという判断ですので、平時から準備をしておくことによって、実際に災害が起きた時に、あらかじめ準備したことに従って避難行動が取れると、むしろ、そういう風にしておくべき義務があって、それを怠ったというのが今回の判決です。

そこから考えますと、災害などの時には、どんな人でもパニックになったり、混乱しますけれども、そういうことがあっても、命が守れる対応を取るべきであったと。それが本件では十分に取られていなかったという判断になるということですね。現場の人の能力や知識・経験・判断力に依存するような責任判断ですと、それだけ能力の高い人、判断力のある人、冷静に行動できる人がいたから、たまたま助かったということになってしまいますけども、そうではなくて、あらかじめ準備しておけば、言葉悪いですけど、どんな方が現場で対応しても、その場にいる子どもたちの命が救われると、こういう判断になるわけなんですね。したがって、先ほど最初に申し上げたように、非常に画期的な判断を高裁はして頂いたんだと そのようにとらえております。

菅原

そして裁判官の「学校が子どもの命の最後の場所にあってはならない」という言葉ありましたが、これはどのように受け止められましたか?

齋藤

寺田さんのお話の中にもありましたけれども、裁判所が遺族の訴え、あるいは心情を汲み取って、非常に寄り添った判断をしてくれたのではないかと思います。そういう意味では、遺族の裁判を起こした趣旨・目的・意義・思い、これを汲み取ってくれたと、そういう責任判断であったということになると思います。それから教育というのは、学校の現場で子どもの命が守られないところで教育などというのは成り立つわけがないわけです。その点を改めて、明確な言葉で私たちに示してくれた判決が裁判所の言葉ではないかと思っております。

■「こぶしを罰するのではなくて頭脳を罰せよ」

上山

そして、この学校という現場で子どもたちの安全をどう守っていくのか、組織としての責任については、二審判決では、こうも言及しています。「宮城県内の小中学校の教職員は、平均して3年程度で異動することが通常である」とし、 「同じ学校に勤務する年数が2年未満の教職員が占める割合は5割近く。中でも、大川小学校は6割を超えていた」と指摘しています。ですから、「現場の教職員が大川小学校の実情を継続的に蓄積できる態勢にはなっていなかった」「継続的に、その実情を蓄積しやすい立場にあったのは、むしろ市や教育委員会だった」つまり、市や教育委員会の方が、異動が多い現場の教職員より地域の実情に詳しかったはずだ、と指摘しています。杉田さんは、ここまでご覧になって、いかがですか?

杉田

これだけの大きな国賠訴訟を、吉岡弁護士と齋藤弁護士とお二人で弁護団をお作りになられてやられたということが大変、感銘を受けました。吉岡先生がお書きになられてますけれども、やっぱり現場の土地勘があり、そして一番思いが強い、そのご家族の親御さんが証拠集めをされて、証言を集めて、そして裁判所に提出可能なレベルにまでそれを高めて、提出したと。私も駆け出しの記者の頃、よく原発訴訟や公害訴訟を取材したんですけれども、大体、こういう大きな訴訟は弁護団が10人とか20人とか、巨大な弁護団ができるわけですね。しかし今回は、お二人でやられたということ、それは、ご遺族がものすごく思いをこめて、そして犠牲を払っておやりになられたと、ですので、チームがひとつになって、それだけまとまったことで、より力を発揮されて、そして、こういった2審判決までこぎつけられたのだなと思います。

上山

吉岡さん、大川小学校の津波災害で「組織的な過失」を認定した司法の判断なんですが、防災のあり方という観点で、大きな警鐘を鳴らしていると受け止めてよろしいのでしょうか?

吉岡

「平時からの」という言葉と、それから「組織的過失」という、この2つがキーワードです。まず「平時からの」というのは、事前防災はしっかりやれということですよね。それから事前防災をしっかりやらなきゃいけない立場にあるのは、むしろ現場よりも、現場を日頃から指揮命令し、ないしは計画を立てている、そういう計画部局にある方々、学校でいえば市教委だとか校長だとか教頭。それ以外のところでも、同じような指揮命令系統があるわけですが、人間に例えると、こぶしを罰するのではなくて頭脳を罰せよ、ということになるわけですね。そういう「組織的過失」という議論を裁判所が打ち立てたと。これが今後、色んな場面に使われていくことになるだろうという意味で、事前の平時から、しっかりやりなさいよ、それから指揮命令系統にある人がしっかりやりなさいよと、こう言っているところがこの判決の画期的なところだと思います。

■大川小学校津波裁判 判決の意義

上山

おっしゃる通り、このように行政の組織的な過失を認定した大川小学校津波裁判の判決なんですが、専門家は「日本社会が変わる重要な第一歩が築かれた」とこのように評価しているわけです。どういうことなのか、引き続きお話を伺っていきます。

法学者で、津波被害の法的な責任についても研究する、東京大学大学院の米村滋人教授は、大川小学校津波裁判の判決を高く評価し、2021年2月の判決報告検討会で、このように述べました。
「この判決がなかったならば、1万7000人余りの被害を出した東日本大震災は、日本社会に何も教訓を残さなかったことになってしまっただろう。この判決で日本社会が変われる重要な第一歩が築かれたと思います。それを二歩、三歩にするかは、これからの我々にかかっている」

上山

齋藤さん、この「組織的な過失」を認定した二審判決なのですが、最高裁判所が宮城県と石巻市の上告を退けて、司法の判断として確定しました。齋藤さんは、最高裁がこの判決を確定させた意義、どのようにお考えになっていますか?

齋藤

先ほどから申し上げているように、画期的な判決なんですね。こういう判決というのは、ある意味では新しい判断ですから、最高裁が自ら取り上げて、最高裁の判断を示してもおかしくはなかったわけですけれども、やはり高裁の判決に誤りはないということを消極的ですけれども最高裁が認めて、県や市側からの上告は認めなかったということの実質を言いますと、これは最高裁が組織的過失、自然災害における組織的な過失という判断を是認して、いわば最高裁の判例が出たのと同じような趣旨でとらえるべきようなものではないかと、そういう結論として受け取って良いのではないかと私は考えています。

もう一つ言わせて頂くと、そういう考え方が取れるとしますと、この判断というのが非常に射程の広いものを含んでいます。例えば具体的には、建築紛争の解決の判断枠組みになるとか、このデジタル化社会におけるシステムであるとか、ネットワークの責任が問題になるような場合にどのように考えていくとか、医療の現場における事故、最近ではチーム医療が当然ですので、組織として医療行為を行っている場合に、誰にどのような責任が認められるのか、そうでないのかと、そういう意味で非常に広がりを持った判断がある意味では最高裁によって支持されたんだと、それだけ広い社会的に意義を持つものではないかと思っています。

上山

杉田さんはいかがでしょうか?『アンカーの眼』でお願い致します。

杉田

本当に皆さんのお話を聞いて、つくづく思うのは、危機意識を普段から徹底する。平時ですね。そして、もう一つはやっぱり行政は動きが遅い、組織は動きが遅いので、もちろん組織を突き上げることを含めてですけど、個人個人がそういう意識を平時から持っておくということが大変大事だと思います。

菅原

判決を受けての取り組みを石巻市に確認しました。高いレベルでの「事前の備え」が必要であるという2審判決の結果や、その後頻発する災害の状況も踏まえて、「教育委員会と各学校が連携して学校防災の推進に改善しながら取り組んでおります」ということです。また具体策として、各学校の地域の特性を踏まえた防災マニュアルの作成及び点検と改善などを行っているということです。

上山

新たな取り組みというのも始まっているようです。寺田さんは遺族の方々の闘いを追い続けて、ドキュメンタリー映画の『「生きる」~大川小学校 津波裁判を闘った人たち~」を製作していらっしゃいますが、この映画を通じて伝えたいこと、どんなことが挙げられるのでしょうか?

寺田

先ほど齋藤弁護士もおっしゃっていましたけど、高裁判決というのは、大川小学校や震災の被害という観点だけではなくて、学校によってはいじめ問題とか色々ありますけれど、全国的な色々様々な解決していかないといけない問題だと、それに通じると強く感じています。大川小学校というのはあくまでも原点であってですね、これから社会に広げていかなければ意味がないのではないかと強く思っています。大川小学校に現地に足を運んで頂いて、私が今、製作している映画を見て頂いたり、これまで様々な本が出たり、テレビ番組、ドキュメンタリーとかも作られていますから、そういうのを見て頂いてですね、またもう一度大川小学校に行って頂く、そうすると見える景色というのが全然違ってきます。そしたら今自分たちが何をやっていかなければいけないのかということを、どんどんどんどん学びながらですね、社会に広げていくっていうことが必要じゃないかなと思ってます。私もこれからもですね、ステップバイステップで取り組んでいきたいと思っております。

上山

最後に吉岡さん、こういった判決を引き出した遺族の方々、本当に大変な思いをされたと思います。こういったことも含めていかがでしょうか?

吉岡

この遺族の方々が大奮闘した結果として、こういう画期的な判決を引き出せたわけですが、さらに言えば、遺族の方々はなぜ奮闘できたかと言うと、74名の児童の方々が本当に短い命ではあったけれども、この社会にとてつもない重要な判決を引き出した。したがって、今後、この判決が引用される度に、是非、お子さんたちを思い出してほしいと切に思います。

上山

今後、起こりうる、新たなこの災害のとき、同じようなシチュエーションでも、今度はこの判決が新しい命を救うことになるんだと思います。きょうは皆さま、本当にありがとうございました。

(2022年3月13日放送)

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