番組表

次回放送予定

ザ・偉人伝
樹木希林・市原悦子
媚びない、飾らない。名優が遺したメッセージ

「美しさ」へのあこがれの対象として存在する女優は魅力的だが、人が生きてゆく営みの深さを全身で表現してくれる女優は、より永く私たちの記憶に刻まれるのかもしれない。
そんな人間の内面にある本音を映画、テレビドラマで見事に演じ切った名女優、樹木希林と市原悦子。
共に文学座附属研究所(樹木)と劇団俳優座(市原)といった「新劇」という演劇界のエリート養成の場から出発しながらも、彼女たちは舞台演劇の本流に安住することはしなかった。既存の「美しき女優」という概念を破壊し、家政婦、老け役、声のみの演技など、庶民の情念や生活のリアリティを映像に持ち込んだ。高度経済成長から成熟社会へ向かう日本で、人の孤独と歓喜を、お茶の間の視線に寄り添いながら体現した稀有な存在だった。
樹木も市原も、女優として自分なりの闘い方で役に向き合ってきた。コンプレックスをバネに、「一流」といわしめた努力と才能の人でもある。一流の女優の演技は、必ず、人の心に刺さる。二人の個性派俳優は私たちに何を教えてくれたのか。
波乱の生涯を辿りながら、貴重な資料と関係者への証言から浮き彫りにする。
 

 

樹木希林絶望から漂着した「型破り」のリアリズム

1943年、東京都生まれ。本名・内田啓子(旧姓・中谷)。1961年、文学座附属演劇研究所に入所し、悠木千帆の芸名で女優デビュー。テレビドラマ『七人の孫』で森繁久彌に見出され、『時間ですよ』などのコメディエンヌ役で人気を博す。1977年、テレビ番組内で旧芸名をオークションにかけるという型破りな手法で「樹木希林」に改名し話題を呼んだ。
薬剤師を目指すも数学ができず、受験直前に夕張のスキー場で足を骨折し大学受験を断念。同級生が進学する中で味わった「絶望感と疎外感」。この人生のレールから外れたという虚無感こそが、彼女の「欲のなさ」と「圧倒的な客観性」の源泉となった。30代で演じた『寺内貫太郎一家』の老婆役、そしてお茶の間を爆笑させた『フジカラー』のCM。広告媒体すらも「リアリズムの実験場」に変えてしまう唯一無二の存在感を持っていた。映画『万引き家族』で見せた、台本を超えた「生(なま)」の人間像は、是枝監督が求めたリアリズムを極限まで突き詰めた。夫・内田裕也との「別居婚」という名の共犯関係。自らの死の間際までを一つの「作品」として演じ切った壮絶なる美学を有した生涯だった。

 
市原悦子「戦後新劇最高の女優」が隠し持った毒と狂気

1936年、千葉県生まれ。劇団俳優座養成所を経て1957年に俳優座へ入団し、舞台『りこうなお嫁さん』でデビュー。新劇新人推賞を受賞するなど舞台女優としての実力を積み上げ、演出家・浅利慶太に「戦後新劇が生んだ最高の女優」と言わしめた。
1975年から始まったアニメ『まんが日本昔ばなし』では、常田富士男と2人で全登場人物の声を演じ分け、約20年にわたり日本人の記憶に残る「語りの声」となった。代表作『家政婦は見た!』において、松竹からの舞台化オファーを「映像でできるものは舞台ではやらない」と一蹴したマネージャーの証言もある。この徹底した表現の棲み分けこそが彼女の矜持であった。
好きな男性は「得体の知れない危険な男」、演じたい役は「犯罪者」。映画『黒い雨』で見せた圧倒的な静謐さと、私生活で愛した夫・塩見哲との深い絆。プロの表現者としての凄まじい「狂気」 と「毒」を潜ませ、晩年の闘病中も「おやすみ日本」の朗読を続け、死の直前まで衰えぬ役者魂を見せた。
 
美しさだけでなく人間の業や欲望を赤裸々に演じ切った2人は、なぜいまも心に残り続けるのか。女優魂の真髄に迫る。

 
 
〈インタビュー〉※敬称略・50音順

俳優 浅田美代子
(樹木希林を長年知る友人)
河瀨直美
(映画「あん」監督)
俳優 竹中直人
(大河ドラマ「秀吉」で市原悦子と共演)
明治学院大学教授・作家
ドリアン助川
(小説「あん」原作者)
俳優 中村敦夫
(市原悦子と俳優座後輩)
俳優 橋爪功
(樹木希林と文学座同期)
キーボーディスト・アレンジャー ミッキー吉野(ゴダイゴ)
(市原悦子と家族ぐるみで親交)