番組表

お知らせ

【再放送お知らせ】
2026年3月19日(木)よる7:00~8:54
ザ・偉人伝 三波春夫・村田英雄 ~日本を元気にした昭和歌謡の巨匠~』をお送りします。

次回放送予定

ザ・偉人伝
ムード歌謡の女王 八代亜紀・青江三奈・松尾和子
~あのハスキーボイスに酔いしれて~

『人生の悲哀を歌い上げた魅惑の歌声』歌手・八代亜紀/青江三奈/松尾和子
唯一無二のハスキーボイスで昭和を魅了した八代亜紀、青江三奈、松尾和子。人間の哀しみ、苦悩、喜びを歌った3人の、ゆかりある場所や人物から、女王たちの知られざる姿を紐解きながら、彼女たちの孤独、輝き、苦難、再生の軌跡をたどります。
 

 
●コンプレックスだった声(八代)――ハスキーボイスがコンプレックスだった少女時代。たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、勇気をもらい、歌手を目指す。中学卒業後、地元熊本のキャバレーに歌手として雇われたが、父に勘当されて東京へ。
 
●大人びた青春時代(青江)――高校在学時から銀座の「銀巴里」でステージに立つ。高校卒業後は百貨店に勤務したが、特徴的なハスキーボイスとリズム感に惚れ込んだ作曲家の花礼二に誘われ、芸能界入りを反対する家族を振り切って花と一緒に暮らす。
 
●ジャズへの目覚め(松尾)――幼少期は箱根で育ち、姉の影響でジャズに親しんだ生活を送った。中学を卒業後、ジャズへの憧れと家族の生活のために上京。進駐軍のキャンプやナイトクラブで歌ううち、人気が上昇。力道山が経営していたクラブ・リキの専属歌手となる。
 
●涙を誘う歌声(八代)――上京後、銀座のクラブで歌う生活を送る。ホステスたちが涙を流す歌声にスカウトが殺到し、歌謡界へ。1971年、「愛は死んでも」でデビュー。1973年、「なみだ恋」が120万枚のヒット。「舟唄」「雨の慕情」で人気を不動のものにする。
 
●栄光と低迷(青江)――ジャズ喫茶やナイトクラブの専属歌手として渡り歩くなか、『恍惚のブルース』でレコードデビュー。「伊勢佐木町ブルース」「長崎ブルース」「池袋の夜」などヒットを連発。16年連続で紅白に出場。しかし、1970年代以降はヒットに恵まれない日々を送った。
 
●巨匠たちとの出会い(松尾)――1958年、フランク永井にスカウトされ、「グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ」でデビュー。「誰よりも君を愛す」がヒットし、第2回レコード大賞を受賞し、その後もヒットを飛ばし。順風満帆な歌手生活を送った。が、予想もしない不幸が待ち受けていた。
 
●ブルースとジャズの女王(八代)――刑務所や福祉施設への慰問を続け、被災地のために尽力するなか、世界へ進出。ジャズアルバムが海外のチャートに軒並みランクインし、ブルースのアルバムも発表。パリ公演を大成功させる。しかし翌年、膠原病に罹患。73歳で逝去。
 
●波乱の晩年(青江)――ジャズアルバムの発表、ニューヨークでのライブ、歌手生活30周年リサイタルなど精力的に活動を行っていたが、膵臓癌に襲われる。体調が悪化するなか、59歳で亡くなるその2か月前、花礼二と19年ぶりに再会し、結婚。二人の真実の愛の姿とは?
 
●女王の光と闇(松尾)――1966年、離婚を機に人気が低迷。1980年代にタレントや女優として復活を果たすも、息子の逮捕、ブティック経営の8億円の負債など不幸に見舞われる。1992年、深夜に自宅の階段から転落し、57歳で帰らぬ人となった。
人間の悲しみ、苦悩、喜びを歌ったムード歌謡の女王たち。3人のブルースさながらの人生を、魅惑の歌声に乗せて辿りながら、3人の名曲とムード歌謡のヒットソングを織り交ぜ、甘く切ないムードと哀愁に酔いしれる2時間をお届けします。
 
〈インタビュー〉
田中健、やくみつる、小堺一機、ミヤ彩登美、野沢あぐむ、伍代夏子、林博
 

田中健
やくみつる
小堺一機

放送予定

ザ・偉人伝
昭和歌謡黄金コンビ なかにし礼・浜圭介
~不朽の名曲「石狩挽歌」の真実~


 
『不世出の音楽家たちが結んだ絆』作詞家・なかにし礼/作曲家 歌手・浜圭介
共に旧満州生まれ、北海道、青森育ちという共通点を持つ、なかにし礼と浜圭介。誰にも紡げない歌詞とメロディーで、珠玉の名曲を数多く世に送りました。そんな2人が手掛けたのが「石狩挽歌」。2人の激動の人生を紐解きながら名曲誕生の真実に迫ります。
 

 
●度重なる九死に一生(なかにし)――旧満州に生まれ、裕福な家庭に育つが、ソ連軍の爆撃や避難先での機銃掃射など、何度も九死に一生を得る。終戦後、8歳で北海道の小樽へ。しかし、15歳年上の兄が事業に失敗し、莫大な借金を背負う。
 
●凍てつく街から東京へ(浜)――終戦直後の1946年、旧満州の収容所で生まれる。幼少期は青森、北海道と凍てつく町を転々とし、15歳の時、親に内緒でダンスホールのアルバイトを始める。歌う喜びに目覚め、翌年、歌手を目指して十代半ばながら上京。
 
●シャンソンで開花(なかにし)――青森、東京へと移り住み、高校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトし、シャンソンの訳詞で成功。その後、最初の妻との新婚旅行先で石原裕次郎と出会い、のちに大ヒットする「涙と雨にぬれて」の原曲を石原プロに持ち込み、昭和歌謡の世界へ。
 
●二度の挫折(浜)――ようやくデビューするも鳴かず飛ばずで、歌手を諦め青森へ。屋台で働く中、偶然見も知らぬ女性から聞いた惨めで侘しい身の上話に突き動かされ、書き上げたのが「おんな道」。30万枚を超えるヒットとなったが、その後は不遇が続き、再び歌手を諦める。
 
●総売上1000万枚(なかにし)――「知りたくないの」「別れの朝」などヒット曲を絶え間なく生み続け、1969年、作品の総売上が1000万枚を超えた。だが、兄が作った数億円にも及ぶ借金、心臓疾患など苦難が襲う。そんなか、絞り出すように紡いだのが「石狩挽歌」だった。
 
●作曲家の道へ(浜)――転機のきっかけは、当時の所属事務所社長とのアメリカ旅行。旅の途中、のちに大ヒットする「終着駅」が誕生。作曲家として蘇える。書きためた曲の中の父と子の絆を綴った歌がドラマのプロデューサーの目にとまる。メロディーはそのままに、阿久悠が詞を付けたのが「街の灯り」。日本レコード大賞作曲賞を受賞し、その後も「そして、神戸」「雨」とヒットを連発していく。
 
●名曲誕生(なかにし・浜)――なかにしは歌詞に自身の人生を投影し、浜が壮大なメロディーをつけて「石狩挽歌」が誕生。この曲でなかにしは日本作詞大賞を受賞し、その後も「北酒場」「まつり」、浜は「雨の慕情」「哀しみ本線日本海」を手がけ、歌謡史にその名を刻んだ。
今年なかにし礼は七回忌を、浜圭介は音楽人生60周年を迎えます。なかにしの4時間に及ぶ秘蔵独占インタビュー映像から生前の声を届け、「石狩挽歌」の歌碑があり、歌の舞台となった小樽を浜が訪れる。ほか、浜が「石狩挽歌」「おんな道」そしてTV初公開となる「街の灯り」の原曲を弾き語りで披露。2人がどん底から歌謡界の頂点に立つまでの物語に迫ります。
 
〈インタビュー出演〉
北原ミレイ、加藤登紀子、黒沢年雄、奥村チヨ、三善英史、齋藤孝、ミッツ・マングローブ、北原照久

北原ミレイ
黒沢年雄
奥村チヨ
三善英史
齋藤孝
ミッツ・マングローブ