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【新作】ザ・偉人伝
トップスターが愛した珠玉のメロディー
「𠮷田正・弦哲也」
~昭和歌謡黄金期の巨人~

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【再放送】ザ・偉人伝
テレサ・テン30年目の歌声
~時の流れに身をまかせ~

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【新作】ザ・偉人伝
「淡谷のり子・渡辺はま子・笠置シヅ子」
~戦火を越えた昭和歌謡の女王~

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【再放送】ザ・偉人伝
美空ひばり・島倉千代子
~怒涛の昭和歌謡史を生きて~

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次回放送予定

ザ・偉人伝
トップスターが愛した珠玉のメロディー
「𠮷田正・弦哲也」
~昭和歌謡黄金期の巨人~

『トップスターが愛した珠玉のメロディー』 作曲家・𠮷田正/弦哲也
「有楽町で逢いましょう」「いつでも夢を」(𠮷田正)、「天城越え」「東尋坊」(弦哲也)など、時代に新たな風を吹き込んだ名曲の数々で歌謡界の黄金期を築いた巨人たち。令和になった今もなお色褪せぬメロディーの源泉に迫ります。
 

 
●歌で乗り越えたシベリア抑留生活(𠮷田)――仲間と楽団を組んで楽しむ程、子供の頃から音楽が好きだった𠮷田。就職し、その後陸軍に入隊。敗戦後、シベリアに抑留されてしまう。生死をさまよいながらも、戦友を元気づけるために歌を作り、共に歌いながら励まし合った。
 
●14歳で上京したギター少年(弦)――古賀メロディーや田端義夫に影響を受け、ギターに夢中になった弦。歌手への夢が芽生え、中学の恩師の計らいで井沢八郎の育ての親、大沢浄二と出会う。「中学を卒業したら東京へ出てきなさい」と伝えられたが待ちきれず14歳で上京。
 
●運命を分けたのど自慢(𠮷田)――復員する前の1948年、NHKラジオの素人のど自慢で、シベリア復員兵の中村耕造が、よみ人しらず「俘虜の歌える」と題して歌い、話題に。その歌こそ、𠮷田がシベリア抑留中に作曲し、抑留兵の1人が詩をつけて抑留地に広まった歌だった。
 
●挫折と転機(弦)――高校へ通いながら修行を続け、デビューを果たすがヒットに恵まれない日々。家庭を持つも生活は困窮し、子供を実家に預け、妻と二人で奔走する。そんな弦に作曲家を勧めたのが北島三郎だった。デビューから15年、「ふたり酒」のヒットで道が拓いていく。
 
●新時代の歌謡曲(𠮷田)――復員後、ラジオの反響もあり日本ビクターの専属作曲家に。今までにない歌謡曲の世界を追求し、「有楽町で逢いましょう」「誰よりも君を愛す」「いつでも夢を」など、これまでの歌謡曲にないリズム歌謡の世界を構築。2400曲もの作品を遺す。
 
●歌謡のバトンを未来へ(弦)――作曲家に専念し、1986年、「天城越え」が大ヒット。日本レコード大賞金賞を受賞。美空ひばり、石原裕次郎にも曲を提供し、水森かおりの「東尋坊」「鳥取砂丘」など、今なお多くの名曲を生み続けている。日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長を務め、先人から受け継いだ歌謡のバトンを未来へとつないでいる。
 
日本作曲家協会会長、名誉会長を歴任し、逝去後、国民栄誉賞を受賞した𠮷田。日本レコード大賞𠮷田正賞を受賞し、日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長を名曲を後世に繋ぐ弦。二人の巨人が歩んだ軌跡、見つめた景色を追体験する2時間を届けます。
 
〈インタビュー〉
水森かおり、川中美幸、由紀さおり、三田明、宮本隆治、𠮷田裕(𠮷田正甥)他
 

水森かおり
川中美幸
由紀さおり
三田明
宮本隆治

放送予定

ザ・偉人伝
テレサ・テン 30年目の歌声
~時の流れに身をまかせ~


初回放送日:2025年2月23日(日)
 
『日本中を虜にした不世出のアジアの歌姫』歌手・テレサ・テン
 
「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」など、せつない女心を美しくも情念を感じさせる声で歌い上げ、アジア全域を魅了したテレサ・テン。その透き通った歌声は、想像を絶する波乱の道のりを歩んだ人間だからこそ出せる、唯一無二の歌声なのかもしれません。
 

●日本の歌姫に触れた幼少期――中国大陸出身の両親が戦後、台湾に渡り、各地を転々とするなかで生を受けたテレサ。ラジオから流れてきた美空ひばりの「リンゴ追分」が幼心に刺さり、歌手を志す。テレサは家計を支えるため、中学を2年で退学し、13歳で歌の道へ。
 
●瞬く間にアジアのスターへ――台湾テレビの専属、中国テレビの専属などを経てその人気はアジアに拡大。18歳で東南アジアツアーを開始し、1972年、19歳で香港10大スターに選出される。翌年、日本デビューを果たし、「空港」で日本レコード大賞新人賞を手にする。
 
●日本からの国外退去――東南アジアでの人気を不動のものにしたテレサを予期せぬトラブルが襲う。不正なパスポート取得を理由に1年間の国外退去処分がくだる。日本での活躍が期待されるなか不運に見舞われてしまう。
 
●恋人との別れと「つぐない」の誕生――しかし、テレサの苦境は彼女の歌が打ち破っていく。彼女の人気は留まることが無く、見事、復活。日本では「つぐない」が大ヒットするが、この曲はテレサが恋人と別れ、歌い続ける道を選んだがゆえに生まれた作品だった。
 
●あまりにも早過ぎる旅立ち――荒木とよひさ作詞、三木たかし作曲による「つぐない」を皮切りに、テレサは二人が手掛けた「愛人」「時の流れに身をまかせ」などヒットを連発し、日本での人気を不動のものに。しかし1995年、42歳という若さでこの世を去ってしまう。
 
 戦後の影響が色濃く残る時代に、台湾、中国、日本など同じアジアながら文化の違う国で、それぞれの国民を魅了してやまなかったテレサ・テン。没後30年を迎えるにあたり、その足跡と彼女の耐え難いほどの壮絶な人生を辿り、アジアの懸け橋となった歌声の魅力に迫る。
テレサと親しかった歌手、ジュディ・オングが彼女との思い出を、そしてテレサにあこがれ続ける俳優、檀れいが想いを語る。
 
〈インタビュー〉
荒木とよひさ、舟木稔、ジュディ・オング、檀れい、鄧長富(テレサ・テン実兄)ほか
 
〈語り〉
村上弘明
 

ジュディ・オング
檀れい

 
 

 

 


 

ザ・偉人伝
「淡谷のり子・渡辺はま子・笠置シヅ子」
~戦火を越えた昭和歌謡の女王~


『平和の火を灯した女王たちの歌声』 歌手・淡谷のり子/渡辺はま子/笠置シヅ子
ブルースの女王・淡谷のり子(「別れのブルース」「雨のブルース」)、チャイナメロディーの女王・渡辺はま子(「支那の夜」「広東ブルース」)、ブギ女王・笠置シヅ子(「東京ブギウギ」「買物ブギー」)。誰よりも波乱な人生を送った女王たちの生きざまを歌謡史と共に振り返ります。
 

 
●十年に一度のソプラノ(淡谷)――実家の呉服屋が大火で焼失し、破産に追い込まれ、生まれながらに苦労を背負いこんだのり子。女学校を中退し、母、妹と青森から上京するも経済苦により音楽学校を1年休学。復学後、「十年に一度のソプラノ」と絶賛された首席で卒業する。
 
●教師と歌手の二足の草鞋(渡辺)――英語教師の父、アメリカ人の血を引く母の間に生まれたはま子。音楽学校を優秀な成績で卒業し、日本ビクターにスカウトを受け、プロ歌手の道へ。母校の講師にも採用され、二足の草鞋を履く中、「ひとり静香」がヒット。流行歌の歌手となる。
 
●服部良一との出会い(笠置)――香川県に生まれ、生後半年で養女に出される。幼少の頃から歌と踊りが大好きで、松竹楽劇団旗揚げ公演で服部良一と出会う。ジャズ歌手として売り出されるも、戦争の余波を受け、敵性音楽と見なされるなど、資金繰りは困難を極めた。
 
●クラシック歌手からブルースの女王へ(淡谷)――クラシック歌手として活動するも、世界恐慌が始まり、家計を支えるために流行歌を歌う。シャンソン・ラテン等の日本語歌唱の先駆者として活躍し、「別れのブルース」「雨のブルース」がヒット。“ブルースの女王”の地位を確立する。
 
●チャイナ・メロディーの女王誕生(渡辺)――昭和11年にヒットした「忘れちゃいやヨ」が、歌唱方法が不適切とされ発売禁止になるも、戦時歌謡「愛国の花」が大ヒットし、「支那の夜」「広東ブルース」などの大陸を題材にした曲が支持を受け、『チャイナ・メロディーの女王』と呼ばれる。
 
●どん底から生まれたブギの女王(笠置)――戦争が激化し、弟が戦死。婚約者との間に命を宿すも先立たれるなど、どん底の中で歌ったのが昭和22年「東京ブギウギ」だった。その後も「買物ブギー」や「ジャングルブギー」などヒットを連発し、ブギの女王と呼ばれる。
 
●敵も味方も歌で包み込む(淡谷)――第二次世界大戦中の慰問活動を精力的に行う。が、軍部の命令に従わず、戦時中は禁止されていたパーマをかけ、ドレスに身を包んだほか、軍歌は歌わなかった。敵国の捕虜がいた場合は、あえて英語で歌い、分け隔てなく励ましの歌を送った。戦後はテイチク、ビクター等に在籍し、85歳で新曲を発表。晩年まで歌手であり続けた。
 
●捕虜になっても歌い続ける(渡辺)――終戦を迎えた地が、慰問先の中国大陸だったため、捕虜とし収容生活を送る。歌で日本人捕虜たちを支え、戦後はフィリピンの刑務所に収容されている日本人戦犯の救出に奔走し、日本人戦犯の釈放を決断させ、108名の命を救った。
 
●ブギから喜劇の女王へ(笠置)――戦後は映画界に進出し、喜劇女優としての地位を確立。女手ひとつで育てている娘のために少しでも長く仕事をしたいと、昭和32年、43歳で歌手を廃業し、女優業に転身。唯一無二の存在感で多くの人に親しまれた。
 
ブルースの女王・淡谷のり子、ブギの女王・笠置シヅ子、チャイナメロディーの女王・渡辺はま子。戦前から戦後にかけ、歌に生き、歌に命を捧げた女王たちを突き動かしたものは何なのか?日本が最も激動だった時代に世の中を照らし続けた女王たちの人生を紐解く2時間です。
 
〈インタビュー〉
五大路子、キムラ緑子、榊原郁恵、岩崎宏美、宮本隆治、服部隆之(服部良一の孫)、亀井ヱイ子(笠置シヅ子の娘)、加藤征子(渡辺はま子の娘)
 

五大路子
キムラ緑子
榊原郁恵
岩崎宏美
宮本隆治

 


 

ザ・偉人伝
美空ひばり・島倉千代子
~怒濤の昭和歌謡史を生きて~


初回放送日:2025年3月31日(月)
 
『命燃え尽きるまで声を振り絞った昭和歌謡の至宝』歌手・美空ひばり/島倉千代子
「真赤な太陽」「川の流れのように」(美空ひばり)、「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」(島倉千代子)など、数々の名曲で人々を潤し、生きる力を与えた歌謡界の女王たち。壮絶な半生からなる漆黒の影があったからこそ、2人は眩し過ぎるほどの光を放ったのかもしれません。
 

 

 
●天才少女と母のゆるぎない絆(美空)――幼い頃から類まれな歌唱力を発揮したきひばり。可能性を感じた母は、慰問活動、のど自慢出場、前座歌手としての地方巡業など様々な経験を積ませる。ひばりと母はまさに一心同体となり、数々の試練と向き合いながら成長してゆく。
 
●不運と孤独に苛まれた少女時代(島倉)――7才のとき、疎開先の長野県松本市で左腕を負傷。切断が危ぶまれ、なんとか免れたものの不自由に。暗い影に覆われ、友達が一人もいなかった島倉はひばりの歌に出会い、光を得る。
 
●波乱のスター街道(美空)――11歳でデビューした翌年、映画「悲しき口笛」で主演を果たし、主題歌も大ヒット。その後も映画と主題歌を大ヒットさせ、女優、歌手として国民的スターへ。
しかし、熱烈なファンから塩酸をかけられるなど、歌手生命を脅かす危機に見舞われる。
 
●ひばりと同じ道へ(島倉)――コンクールでの優勝を機に16歳で「この世の花」でデビュー。半年で200万枚を売り上げる。1957年、「東京だョおっ母さん」が大ヒットし、紅白歌合戦に初出場を果たす。
 
●栄光と病魔(美空)――「柔」「悲しい酒」「愛燦燦」など後世に残る名曲を発表するなか、1986年、重度の慢性肝炎、両側特発性大腿骨頭壊死症の病魔が襲う。のちに伝説となる東京ドームのコンサートを満身創痍のなか大成功させるが、終了後、救急車で会場を後にする。
 
●不幸のデパート(島倉)――憧れて続けていたひばりとレコードを出し、順風満帆な歌手人生を歩み始めた島倉。しかし、ファンが投げたテープが両目に当たって失明の危機に。
その後も、離婚、借金など筆舌に尽くせぬ苦労の真っ只中で、名曲「人生いろいろ」が誕生する。
 
●女王たちの絆(美空・島倉)――平成元年、ひばりは「川の流れのように」を発表。
が、体調は戻らず52歳で逝去。駆け付けた島倉は3日間、ひばりのそばから離れなかった。2013年、島倉は肝臓がんと闘いながら命がけで新曲を吹き込み、その3日後、ひばりの元へと旅立つ。

 天才少女と呼ばれた美空ひばり。大ケガと大病を、ひばりの歌に救われた島倉千代子。いつしか二人は歌謡界の女王となり、悲劇や不幸のどん底から歌声を振り絞ってまばゆい輝きで人々を照らしました。
怒涛の歌謡史を生きた二人の軌跡を、昭和のヒット曲を織り交ぜながらお届けします。

 
〈インタビュー〉
加藤和也、徳光和夫、山田邦子、岸本加世子、他(予定)
 

徳光和夫(フリーアナウンサー)
山田邦子(お笑いタレント)
岸本加世子(俳優)