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報道・ドキュメンタリー
「捨てたら負けだ」行列ができる餃子屋さんの食べ物を活かしきる知恵料理家/按田餃子店主 按田優子さん
#207
バトンタッチ SDGsはじめてます
2024年11月9日(土)よる6:30~6:54
西田亮介 株式会社チトセロボティクス 代表取締役社長
#497
fresh faces
2024年11月9日(土)よる8:54~9:00
旅・くらし
新プロダクションショー「ビハインド・ザ・サーカス」
#402
飛鳥物語II
2024年11月9日(土)午前9:55~10:00
正面は焼き杉風 鉄骨の持ち味を活かした逗子の家
#77
辰巳琢郎の家物語 リモデル★きらり
2024年11月9日(土)ひる12:00~12:30
エンタメ・音楽
インスタント食品 前編
#5
関口宏の雑誌の記憶
2024年11月9日(土)午後4:00~4:30
BS朝日エピソード0~コンテンツ開発秘話~
番組ホームページで紹介しきれないウラ話や苦労話、コンテンツ開発秘話などをご紹介していきます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
地方創生DX「発信と体験」
~芸とおもてなしの文化~ あなたの知らない花街の魅力をご紹介します。
八代亜紀は「雨の慕情」で1980年第22回レコード大賞・受賞、大11回日本歌謡大賞・大賞ほか多くの音楽賞を受賞し、紅白歌合戦でもトリをとった。1971年「愛は死んでも」でレコードデビューを果たしてから名実共に演歌の女王となった。「雨の慕情」は、昭和歌謡の巨人作詞家:阿久悠、作曲家:浜圭介によって作られた後世に残る名曲である。多くの人の心に残る名曲、ファンを残して歌手八代亜紀は、2023年12月30日帰らぬ人となった。 この番組では、惜しまれて他界した八代亜紀さんの数々の名曲と共に足跡を辿りその人生に迫ります。更に、八代さんを演歌の女王におしあげた名曲「舟唄」、「雨の慕情」の作詞家:阿久悠、作曲家:浜圭介の知られざる波乱の人生をご紹介します。
八代亜紀
阿久悠
浜圭介
◆八代亜紀◆ 1950年熊本県現八代市に生まれる。父親は歌と絵が好きな人だった。経済的には豊かではなかったが温かい家庭で育てられた。小学生の時、父が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き魅了された。15歳の時地元のバス会社にバスガイドとして勤務。その後歌いたくて地元のキャバレーで歌う。その事が父親にバレで勘当される。 その後、歌手を目指して上京。アルバイトを続け1971年21歳時に「愛は死んでも」レコードデビュー。1973年には、「なみだ恋」が大ヒット。トラック野郎の間で「女神」として人気を得る。1976年には「もう一度逢いたい」がヒット。阿久悠などが中心となり八代亜紀に「賞」を取らせるためプロジェクトが・・・・。1979年(昭和46年)「舟唄」、1980年「雨の慕情」で多くの賞を獲得。・・・・・女子刑務所慰問などの活動も。40歳の頃、油絵を描くことに興味を。2011年の東日本大震災、2016年熊本大震災の被災者の支援活動も。2012年頃にジャズ、ブルースへの挑戦を。2023年秋膠原病の一種難病で活動を休止。
◆阿久悠◆ 誰もが知っている昭和歌謡界の巨人作詞家:阿久悠。1937年(昭和12年)兵庫県淡路島に生まれる。美空ひばりも同年生まれ。少年時代は淡路島で育ち、大学は明治大学に。1959年卒業後は、広告代理店に入手。1966年広告会社を退社して構成作家に。その頃、GSなどの曲の作詞を手掛ける。1971年には尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、1976年都はるみの「北の宿から」、1977年沢田研二「勝手にしやがれ」、1978年ピンク・レディ「UFO」、1980年八代亜紀「雨の慕情」でレコード大賞・大賞を受賞。レコード大賞・作詞賞もペドロ&カプリシャスの「ジョニーへの伝言」など多数受賞。
◆浜圭介◆ 浜圭介は、終戦後の1946年中国東北部で生まれた。中国から引き揚げ一家は、青森県から北海道に。歌好きの浜は父親の猛反対をおしきり高校を中退し歌手を目指して上京。1964年「波止場のロック」で歌手デビュー。なかなかヒットには恵まれずつらい日々を送る中、都おちして北海道に帰る決意をするが青森からなかなか津軽海峡を越えることが出来ず、再び上京。漣健児に出会い作曲こころみる。1971年浜圭介作曲、千家和也作詞の奥村チヨが歌う「終着駅」が大ヒット。以後、「そして神戸」、「雨」、「折鶴」、「街の灯り」、「石狩挽歌」、「悲しみ本線日本海」、「津軽じょんがら節」、「心凍らせて」などがヒットし昭和の作曲家として不動の地位を築く。
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八代亜紀は「雨の慕情」で1980年第22回レコード大賞・受賞、大11回日本歌謡大賞・大賞ほか多くの音楽賞を受賞し、紅白歌合戦でもトリをとった。1971年「愛は死んでも」でレコードデビューを果たしてから名実共に演歌の女王となった。「雨の慕情」は、昭和歌謡の巨人作詞家:阿久悠、作曲家:浜圭介によって作られた後世に残る名曲である。多くの人の心に残る名曲、ファンを残して歌手八代亜紀は、2023年12月30日帰らぬ人となった。
この番組では、惜しまれて他界した八代亜紀さんの数々の名曲と共に足跡を辿りその人生に迫ります。更に、八代さんを演歌の女王におしあげた名曲「舟唄」、「雨の慕情」の作詞家:阿久悠、作曲家:浜圭介の知られざる波乱の人生をご紹介します。
八代亜紀
阿久悠
浜圭介
◆八代亜紀◆
1950年熊本県現八代市に生まれる。父親は歌と絵が好きな人だった。経済的には豊かではなかったが温かい家庭で育てられた。小学生の時、父が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き魅了された。15歳の時地元のバス会社にバスガイドとして勤務。その後歌いたくて地元のキャバレーで歌う。その事が父親にバレで勘当される。
その後、歌手を目指して上京。アルバイトを続け1971年21歳時に「愛は死んでも」レコードデビュー。1973年には、「なみだ恋」が大ヒット。トラック野郎の間で「女神」として人気を得る。1976年には「もう一度逢いたい」がヒット。阿久悠などが中心となり八代亜紀に「賞」を取らせるためプロジェクトが・・・・。1979年(昭和46年)「舟唄」、1980年「雨の慕情」で多くの賞を獲得。・・・・・女子刑務所慰問などの活動も。40歳の頃、油絵を描くことに興味を。2011年の東日本大震災、2016年熊本大震災の被災者の支援活動も。2012年頃にジャズ、ブルースへの挑戦を。2023年秋膠原病の一種難病で活動を休止。
◆阿久悠◆
誰もが知っている昭和歌謡界の巨人作詞家:阿久悠。1937年(昭和12年)兵庫県淡路島に生まれる。美空ひばりも同年生まれ。少年時代は淡路島で育ち、大学は明治大学に。1959年卒業後は、広告代理店に入手。1966年広告会社を退社して構成作家に。その頃、GSなどの曲の作詞を手掛ける。1971年には尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、1976年都はるみの「北の宿から」、1977年沢田研二「勝手にしやがれ」、1978年ピンク・レディ「UFO」、1980年八代亜紀「雨の慕情」でレコード大賞・大賞を受賞。レコード大賞・作詞賞もペドロ&カプリシャスの「ジョニーへの伝言」など多数受賞。
◆浜圭介◆
浜圭介は、終戦後の1946年中国東北部で生まれた。中国から引き揚げ一家は、青森県から北海道に。歌好きの浜は父親の猛反対をおしきり高校を中退し歌手を目指して上京。1964年「波止場のロック」で歌手デビュー。なかなかヒットには恵まれずつらい日々を送る中、都おちして北海道に帰る決意をするが青森からなかなか津軽海峡を越えることが出来ず、再び上京。漣健児に出会い作曲こころみる。1971年浜圭介作曲、千家和也作詞の奥村チヨが歌う「終着駅」が大ヒット。以後、「そして神戸」、「雨」、「折鶴」、「街の灯り」、「石狩挽歌」、「悲しみ本線日本海」、「津軽じょんがら節」、「心凍らせて」などがヒットし昭和の作曲家として不動の地位を築く。