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#44

歩くとわかる応仁の乱(前編)
歩くとわかる応仁の乱(後編)

現在もブームが続いている『応仁の乱』。その歴史書は45万部を突破する大ヒットを記録。室町時代後期に始まり、戦国時代へのきっかけとなったこの戦いは11年も長引き、京都の中心部を焼き尽くしました。しかし、その知名度とは裏腹に、内容が分かりづらいことでも有名です。そこで今回は、歌舞伎俳優・片岡孝太郎さんが、戦の原因を作った一人とされている室町幕府八代将軍・足利義政を中心に、『応仁の乱』の謎を紐解く旅に出ます。
『応仁の乱』はなぜ起こったのでしょう?そこに潜むのは、将軍後継問題。足利家ゆかりの寺・等持院や、義政の正室・富子が通ったという高山寺を訪ねることで見えてくる夫婦のすれ違いとは…?また、織物業の町『西陣』と『応仁の乱』の奥深い関係。東西両軍の本陣跡地を実際に歩き、現代に残された戦の様々な痕跡と出会います。そして『応仁の乱』勃発の地、上御霊神社へ。
なぜ京都は焼き尽くされたのでしょう?最大の戦の地・相国寺では、その戦の激しさを物語る貴重な資料と対面。相国寺のみならず、清水寺や南禅寺など、名だたる寺院を焼失させた『応仁の乱』。当時なぜ、寺が戦場となったのか?その謎も解き明かします。
戦の最中も酒宴を楽しんでいたとされる将軍・義政。その豪勢な宴会メニューに飽き飽きしていた義政が特に好んだという料理を、大本山妙心寺御用達の老舗精進料理店「阿じろ」が特別に再現。そこには、今も親しまれている和食の原点が?さらに、『応仁の乱』の後に義政が建てたのが世界遺産・銀閣寺。政治に能力を発揮できなかった将軍の、悲哀に満ちた人生ドラマとは?
なぜあれほど長期化したのか?結局、誰が勝ったのか?現代に残した教訓は?今も京都の人々に語り継がれている『応仁の乱』。分かりづらいこの大乱も、ゆかりの地を歩いてみれば、すっきりと見えて来ます。