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#4

祇園にぎわいの歴史

風情あふれる白川の風景や趣ある花見小路など、花街ならではの艶やかさもある人気エリア「祇園」。そんな祇園の風情はいつ頃から、どのようにして生まれ、なぜ多くの人で賑わうようになったのでしょうか? 今回は女優の賀来千香子さんが、祇園の華やぎと賑わいの秘密をひも解く旅へと出かけます。
まず訪れたのは、創建より千年以上の歴史を誇る「八坂神社」。そもそもどうしてこの地域が「祇園」と呼ばれるようになったのでしょうか、そのヒントを神社の境内で発見。そこには平安時代より始まる日本三大祭「祇園祭」とも深い関わりがありました。さらに参道にある老舗料亭「二軒茶屋・中村楼」では、江戸時代に人気を博した名物料理を頂きます。人気の秘密はその美味しさだけでなく、当時、京都に訪れた外国人も目を丸くした驚きのパフォーマンスにありました。

祇園のメインストリート「花見小路(はなみこうじ)」は芸妓さん、舞妓さんも行き交う艶やかな風情溢れる通り。2023年は名物「都をどり」が7年ぶりにこの地で開催され、今話題のエリアでもあります。そんなこの通りが花街の中心地になった理由は、なんと京都で最も歴史ある禅寺「建仁寺」にあったのです。創建より800年以上を誇り、国宝「風神雷神図屏風」や、静けさに満ちた禅の庭など数多くの見どころがある建仁寺・・・ここで明らかになる、禅寺と祇園の花街の誕生の秘密とは?
そして京都の歌舞伎の殿堂「南座」のすぐ傍にひっそりと佇む「仲源寺」は、平安時代に創建されたと伝わる由緒ある寺院。目にご利益があるという本尊の地蔵菩薩には、近くを流れる「鴨川」にまつわる不思議な逸話が秘められていました。実は鴨川は祇園の歴史を語る上で欠かせない存在。かつての鴨川の意外な姿から、祇園が賑わうようになった理由が浮かび上がります。
華やかな祇園の街を歩きながら、その賑わいの歴史を辿っていく1時間、ぜひお楽しみに。


【専門家出演者】
●同志社女子大学 教授
天野太郎さん


 


 

祇園 にぎわいの歴史
草木が彩りを増す季節に訪れたい「祇園」は、華やぎ溢れた京都で人気のエリア。賀来千香子が祇園を巡り、にぎわいの歴史へ迫る!

 

花見小路から八坂神社へ
賀来がまず訪れたのは、祇園を象徴する「花見小路」。趣があって華やかな雰囲気を醸し出している。同志社女子大学教授・天野太郎さんに一般的に「祇園」と呼ばれる地域の説明をしていただいた。

 

<花見小路>
・住所:〒605-0074 京都府京都市東山区祇園町南側
・URL(祇園商店街 振興組合):https://www.gion.or.jp/around/#!/%E8%8A%B1%E8%A6%8B%E5%B0%8F%E8%B7%AF/

 

八坂神社でわかる「祇園」の由来
続いて賀来が訪れたのは、四条通の突き当たりにある「八坂神社」。八坂神社は、明治以前まで「祇園社」と呼ばれており、平安時代後期では境内が鴨川辺りまで広がっていたことから「祇園」と地名が付いた。「祇園」の意味は、八坂神社に祀られる神様「牛頭天王」が、インドの「祇園精舎」の守り神でもあったことに由来しているという。
京都三大祭りの「祇園祭」も祇園社の祭礼で、平安時代に疫病を鎮めようと始まった御霊会が起源。八坂神社に祀られる様々な神様について紹介していただいた。

 

<八坂神社>
・住所:〒605-0073京都府京都市東山区祇園町北側625
・電話:075-561-6155
・公式サイト:https://www.yasaka-jinja.or.jp/

 

八坂神社前 驚きのおもてなし
正門の「南楼門」すぐ横にある室町時代創業「二軒茶屋 中村楼」へ。ここでは「季節の八寸」、「たけのこ木の芽焼」など季節の京料理もいただける。
江戸時代からの名物「祇園豆腐」は、串に刺した豆腐に京の白味噌をベースにした木の芽を塗って焼き上げた料理。江戸時代の豆腐は稀少で、現在で例えると高級なケーキのような物だったという。当時VIPの方が訪れた際、三味線の音に合わせて行った「曲切り」というパフォーマンスも人気の秘訣であった。当時の様子を描いた絵図には、オランダ人と多くの野次馬が描かれており、賑わいに拍車をかけていたことが窺えた!

 

<二軒茶屋 中村楼>
・住所:〒605-0073京都府東山区祇園町 八坂神社鳥居内
・電話:075-561-0016
・公式サイト:http://www.nakamurarou.com/about.html

 

花見小路で京を感じる
再び花見小路に戻った賀来。祇園で格式の高いお茶屋「一力亭」、壁を汚れから守る「犬矢来」、魔除けの一種「鍾馗さん」など、京都ならではの光景を紹介していただいた。
「祇園甲部歌舞練場」は、大正時代に建てられた「都をどり」の会場で、2023年に7年ぶりに開催されて話題を呼んだ。

 

<一力亭>
・住所:〒605-0074 京都府京都市東山区祇園町南側569
・電話:075-561-0228
・URL(祇園商店街 振興組合):https://www.gion.or.jp/gion_shop_detail/%E4%B8%80%E5%8A%9B%E4%BA%AD

 

<祇園甲部歌舞練場>
・住所:〒605-0074京都府京都市東山区祇?園町南側570-2
・電話:075-541-3391
・公式サイト:https://miyako-odori.jp/kabukai/

 

建仁寺と花街の意外な関係
続いては、花街に隣接している由緒ある禅寺「建仁寺」へ。寺内にある様々な見所を案内していただいた。
「江戸時代後期の境内図」によると境内は今より広く、祇園南側エリアの多くも建仁寺の土地だった。明治時代に境内の北側の殆どが政府に返納され、花街の組合がその土地を買い取ったという。当時の建仁寺からすると、神聖な土地が奪われた屈辱的な出来事だったが、現在では蟠りも解消されて人気スポットとなっている。

 

<建仁寺>
・住所:〒605-0811 京都府京都市東山区大和大路通四条下る小松町584
・電話:075-561-0190
・公式サイト:https://www.kenninji.jp/

 

お地蔵様が伝える鴨川の歴史
賀来が以前から気になっていたという「仲源寺」へ。本尊は「めやみ地蔵」と呼ばれ、目の病に御利益があると言われている。
元々は「めやみ」ではなく「雨やみ地蔵」で、大雨で鴨川が増水した際に川縁で人々を守ったという。江戸時代以前の鴨川の川幅は現在の倍近くあり、仲源寺の近くも河原であった。

 

<仲源寺>
・住所:〒605-0074 京都市東山区四条通大和大路東入ル祇園町南側585
・電話:075-561-1273
・URL(洛陽三十三所観音巡礼):https://rakuyo33.jp/chugenji/

 

鴨川から生まれた伝統文化
江戸時代の「四条河原夕涼之躰」には、中州に小屋が建っており、店で人が賑わう様子が描かれている。「四条河原夕涼其弐」には、中州の様子が詳しく描かれており、「のぞきからくり」や「芝居小屋」など、芸能や娯楽場として賑わっていたことが窺える。
後に堤防が整備されて現在に近い川幅になり、芝居小屋は全て川の東へ移動した。「南座」は当時と同じ場所にあり、今も芸能を求めた多くの人で賑わっている!

 

<南座>
・住所:〒605-0075 京都市東山区四条大橋東詰
・電話:075-561-1155
・公式サイト:https://www.shochiku.co.jp/play/theater/minamiza/

 

四条大橋 誕生の秘話
江戸時代の四条大橋は、街の人々が掛けたり、祇園祭の関連で掛けたりする簡素な橋で、雨で流されることも多くあった。明治時代に祇園の人々がお金を出資し、鉄製の橋に作り替えたことで祇園は更なる発展を遂げたのだった!