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#24

平等院と宇治の千年
~宇治ブランドを創った偉人たち~

京都の南部に位置し、お茶の名産地としてよく知られる「宇治」は、平等院をはじめ多くの名所がある人気エリア。実は平安時代の昔より千年に渡って愛されてきた場所。今回は俳優の中村雅俊さんがそんな宇治を訪ね、なぜこの地が古くから愛されてきたのか、その歴史と知られざる魅力を見つける旅へとでかけます。実はそこには「宇治ブランド」を作り上げた偉人たちがいたのです。
まずは宇治の名所といえば外せない、平等院へ。平安時代に建立され、およそ千年もの時を紡いできた本堂、鳳凰堂は当時の人達の憧れた極楽浄土の世界を表現するための様々な工夫がありました。この平等院を開いたのは平安貴族の藤原頼通。一体なぜ藤原頼通はこの地に平等院を作ったのでしょうか? そこには「宇治」というこの場所ならではの理由があったのです。

宇治は紫式部が描いた世界最古の長編小説「源氏物語」の舞台の一つとしても知られる場所。そこで中村さんは「宇治市源氏物語ミュージアム」へ。平安貴族の華やかな暮らしぶりに触れながら、なぜ源氏物語の舞台に宇治を選んだのかが明らかになります。
また宇治といえば「宇治茶」の名産地。どうして宇治が茶の産地として名を馳せるようになったのでしょうか? その謎をひも解くため平安時代からの歴史を誇る「通圓茶屋」へ。宇治で美味しい茶が出来る理由と天下人、豊臣秀吉との意外な関係とは?
そして、宇治には日本の様々な文化に影響を与えたお寺も。それが江戸時代の初めに創建された禅宗の寺院「萬福寺」。この寺を創建した隠元禅師は、インゲン豆など現在の私達にも馴染み深い食材をはじめ、医学や建築技術など、当時最新の中国文化を日本に伝えました。その中の一つ「普茶料理」には、現代の食卓に欠かせない「唐揚げ」や、食事の仕方にまつわるルーツも!
京都の名所、宇治の魅力とその歴史を紐解く旅、ぜひ、お楽しみに。


【専門家出演者】
●京都芸術大学 芸術学部 歴史遺産学科
杉本 宏さん

 


 

平等院と宇治の千年 ~宇治ブランドを創った偉人たち~
京都の南側と奈良との間に位置する宇治市は、滔々と流れる宇治川を中心に発展し、遙かな時を刻んできた。
今回は中村雅俊が宇治を訪ね、なぜこの地が古くから愛されてきたのか、その歴史を探る!

 

鳳凰堂 なぜ宇治に建てられた?
最初にやってきたのは、「平等院」。10円玉に描かれている「鳳凰堂」を拝観した。
この場所は平安貴族・藤原道長の別荘があった場所だそう。藤原氏の氏寺「興福寺」と氏神様「春日大社」は奈良に存在し、京都と往復する必要があった。京都と奈良の中間に位置する宇治に、道長が別荘を建立したことで人が集まり、華麗な文化が花開いたのだとか!

 

<平等院>
・住所:〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116
・電話:0774-21-2861
・公式サイト:https://www.byodoin.or.jp/

 

<興福寺>
・住所:〒630-8213 奈良県奈良市登大路町48
・電話:0742-22-7755
・公式サイト:https://www.kohfukuji.com/

 

<春日大社>
・住所:〒630-8212 奈良県奈良市春日野町160
・電話:0742-22-7788
・公式サイト:https://www.kasugataisha.or.jp/

 

鳳凰堂 誕生と道長の糖尿病
道長は日本人初の糖尿病患者と言われている。病で苦しむ道長は、極楽往生を望んだことから建立した「法成寺」で息を引き取った。息子・頼通もまた極楽浄土の教えを信仰していたことから、道長の別荘を極楽浄土へ導く寺「平等院」に改めたとのこと!

 

鳳凰堂 極楽浄土を再現する工夫
鳳凰堂は、「西方極楽浄土」の考えから東向きに建てられている。極楽浄土の世界を再現するため、平安時代の池には美しい花が咲いていたのだとか。
境内にある「鳳翔館」で、創建当時の御堂を復元した部屋や堂内に祀られていた菩薩像などを拝見!

 

源氏物語 なぜ宇治が舞台に?
「源氏物語」の舞台が宇治となった理由を探るため、「宇治市源氏物語ミュージアム」へ。
光源氏の別荘は、現在の平等院の場所と一致することから、道長の別荘をモデルにしたと言われている。モデルとなったことで宇治は人々に知られるようになり、江戸時代には聖地巡礼が行われていたとのこと!

 

<宇治市源氏物語ミュージアム>
・住所:〒611-0021 京都府宇治市宇治東内45-26
・電話:0774-39-9300
・URL:https://www.city.uji.kyoto.jp/site/genji/

 

豊臣秀吉が守った宇治茶
1160年創業の「通圓茶屋」で、最高級の「宇治茶」をいただいた。
茶人としても知られる秀吉は、美味しいお茶を淹れるために宇治川の水を伏見城まで届けさせていた。さらに、宇治郷の宇治茶師達が扱うお茶だけを「宇治茶」として保護したという。

 

<通圓茶屋>
・住所:〒611-0021 京都府宇治市宇治東内1番地
・電話:0774-21-2243
・公式サイト:http://www.tsuentea.com/

 

原稿用紙も!意外な文化の発信地
続いて訪れたのは、「黄檗宗大本山 萬福寺」。
ここに祀られている中国の高僧・隠元禅師が伝えた様々な文化は、宇治を越えて日本全体に影響を与えた。木版印刷の版木は、手書きで写していた文字を何度も刷れるようになった。文字は明朝体の起源にもなり、レイアウトは原稿用紙のルーツになった。

 

<黄檗宗大本山 萬福寺>
・住所:〒611-0011 京都府宇治市五ケ庄三番割34
・電話:0774-32-3900
・公式サイト:https://www.obakusan.or.jp/

 

寺で使う「あの道具」のルーツ
隠元禅師が伝えた木でできた大きな魚「開梆」は、木魚の原型と言われている。魚は目を閉じることがないため「不眠不休の修行」を意味し、修行僧への戒めとなったのだとか。

 

みんな大好き「あの料理」のルーツ
現在のように食卓を囲んで食事をとる形式は、隠元禅師が伝えた普茶料理の影響を受けている。唐揚げなどの揚げ物も普茶料理がきっかけとなり、庶民に伝わったという。

 

庶民に広まった茶の飲み方
煎茶を伝えたのも隠元禅師だという。江戸時代、上流階級のものとされて堅苦しい面があった抹茶と違い、煎茶は気軽に飲みやすいコミュニケーションツールとして広がったとのこと!