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#2
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夫の店が倒産!自信がもてない!悩めるトレーナーの人生挑戦SP
#307
ウチ、“断捨離”しました!
2026年5月5日(火)よる9:00~9:54
「渋谷川② 渋谷~天現寺橋」編
#217
バナナマン日村が歩く! ウォーキングのひむ太郎
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有吉さんのベランダ用植物探し
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夢が咲く 有吉園芸 ~Road to start a garden shop~
2026年5月5日(火)よる10:30~11:00
特別取材法隆寺〜聖徳太子と輝く国宝〜
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あなたの知らない京都旅
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『戦後日本の歌謡界を黄金期に導いた不世出の歌声』歌手・三波春夫/村田英雄 2025年4月、大阪・関西万博が幕開けしました。55年前の大阪万博の顔だった三波春夫の「♪こんにちは こんにちは」の歌声は今なお人々の心に刻まれています。同じ時代に活躍した村田英雄。不世出の歌声で国民に愛された二人の壮絶かつ輝かしい軌跡を紐解いていきます。
●母を亡くした少年の歌声(三波)――新潟県に生まれた三波は7歳で母と共に腸チフスに罹患。二人は生死をさまよい、母は命を落とす。父は男手ひとつで3人の子を育て、悲しみを振り払うように子供たちに江差追分などの民謡を教え、三波は兄弟と共に懸命に歌った。 ●天才浪曲少年誕生(村田)――二代目広沢虎吉の弟子である父と浪曲師の母の元に生まれた村田。一歳で母の姉弟子の養子に出されるが、4歳で初舞台を踏み、13歳で真打に昇進。しかし16歳で福岡大空襲に遭い、遺体搬送作業に従事。激動のなか戦後を迎える。 ●地獄のシベリア抑留生活(三波)――家業が傾き、新潟から家族と共に13歳で上京。懸命に働きながら、浪曲師を夢見て仕事が終わると同僚たちに浪曲を披露。16歳で念願の初舞台を踏むが徴兵で満州へ。ソ連軍の捕虜となり、22歳から26歳までシベリア抑留生活を送る。 ●浪曲師から歌謡界へ(村田)――1949年、日本一の浪曲師を目指し、妻子を九州に置いて上京。次第に浪曲師として人気が高まっていく。やがて古賀政男の目にとまり、浪曲「無法松の一生」を古賀が歌謡曲化した「無法松の一生」でデビュー。歌謡歌手、村田英雄が誕生する。 ●帰国後の転機(三波)――シベリア抑留生活でも、収容所で仲間を歌声で鼓舞した三波。1949年に帰国し、歌手活動を再開。時代の流れを感じ、浪曲調の歌謡曲に希望を見出し、1957年、歌謡界へ転身。一躍人気歌手となり、翌年、紅白歌合戦に出場を果たす。 ●病との闘い(村田)――1961年、「王将」が戦後初のミリオンセラーに。国民的歌手として不動の人気を確立する。が、持病の糖尿病が悪化。「夫婦春秋」「人生峠」などヒット曲を送り出す中、入退院を繰り返し、足を切断。苦難に見舞われるが、村田から歌を奪うことはできなかった。 ●五輪と万博(三波)――1963年発表の「東京五輪音頭」、1967年発表の「世界の国からこんにちは」が大ヒット。平和の祭典である五輪と万博の顔として、押しも押されぬ国民的歌手となる。晩年はラップへの挑戦、ジュリアナ東京でのライブなど、若者からも熱い支持を受けた。 ●昭和歌謡の両雄(三波・村田)――村田が足を切断した際は、三波は電話で励まし、晩年まで交流が続いた二人。互いに歌への情熱をたぎらせながら、2001年4月、三波が77歳で逝去。村田は訃報に触れた際、絶句したという。翌年、村田は後を追うように73歳で旅立った。
同じ浪曲師の出身で、歌謡界へのデビューも一年違いと、良きライバルだった三波春夫と村田英雄。両巨匠の歌声に勇気と元気を与えられた人は数知れません。55年ぶりの大阪万博が開催されている今、二人の名曲と共に激動の人生紐解く感動の2時間をお送りします。
〈インタビュー〉 三波美夕紀、三山ひろし、徳光和夫、山田太郎、神野美伽、清水アキラ
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『戦後日本の歌謡界を黄金期に導いた不世出の歌声』歌手・三波春夫/村田英雄
2025年4月、大阪・関西万博が幕開けしました。55年前の大阪万博の顔だった三波春夫の「♪こんにちは こんにちは」の歌声は今なお人々の心に刻まれています。同じ時代に活躍した村田英雄。不世出の歌声で国民に愛された二人の壮絶かつ輝かしい軌跡を紐解いていきます。
●母を亡くした少年の歌声(三波)――新潟県に生まれた三波は7歳で母と共に腸チフスに罹患。二人は生死をさまよい、母は命を落とす。父は男手ひとつで3人の子を育て、悲しみを振り払うように子供たちに江差追分などの民謡を教え、三波は兄弟と共に懸命に歌った。
●天才浪曲少年誕生(村田)――二代目広沢虎吉の弟子である父と浪曲師の母の元に生まれた村田。一歳で母の姉弟子の養子に出されるが、4歳で初舞台を踏み、13歳で真打に昇進。しかし16歳で福岡大空襲に遭い、遺体搬送作業に従事。激動のなか戦後を迎える。
●地獄のシベリア抑留生活(三波)――家業が傾き、新潟から家族と共に13歳で上京。懸命に働きながら、浪曲師を夢見て仕事が終わると同僚たちに浪曲を披露。16歳で念願の初舞台を踏むが徴兵で満州へ。ソ連軍の捕虜となり、22歳から26歳までシベリア抑留生活を送る。
●浪曲師から歌謡界へ(村田)――1949年、日本一の浪曲師を目指し、妻子を九州に置いて上京。次第に浪曲師として人気が高まっていく。やがて古賀政男の目にとまり、浪曲「無法松の一生」を古賀が歌謡曲化した「無法松の一生」でデビュー。歌謡歌手、村田英雄が誕生する。
●帰国後の転機(三波)――シベリア抑留生活でも、収容所で仲間を歌声で鼓舞した三波。1949年に帰国し、歌手活動を再開。時代の流れを感じ、浪曲調の歌謡曲に希望を見出し、1957年、歌謡界へ転身。一躍人気歌手となり、翌年、紅白歌合戦に出場を果たす。
●病との闘い(村田)――1961年、「王将」が戦後初のミリオンセラーに。国民的歌手として不動の人気を確立する。が、持病の糖尿病が悪化。「夫婦春秋」「人生峠」などヒット曲を送り出す中、入退院を繰り返し、足を切断。苦難に見舞われるが、村田から歌を奪うことはできなかった。
●五輪と万博(三波)――1963年発表の「東京五輪音頭」、1967年発表の「世界の国からこんにちは」が大ヒット。平和の祭典である五輪と万博の顔として、押しも押されぬ国民的歌手となる。晩年はラップへの挑戦、ジュリアナ東京でのライブなど、若者からも熱い支持を受けた。
●昭和歌謡の両雄(三波・村田)――村田が足を切断した際は、三波は電話で励まし、晩年まで交流が続いた二人。互いに歌への情熱をたぎらせながら、2001年4月、三波が77歳で逝去。村田は訃報に触れた際、絶句したという。翌年、村田は後を追うように73歳で旅立った。
同じ浪曲師の出身で、歌謡界へのデビューも一年違いと、良きライバルだった三波春夫と村田英雄。両巨匠の歌声に勇気と元気を与えられた人は数知れません。55年ぶりの大阪万博が開催されている今、二人の名曲と共に激動の人生紐解く感動の2時間をお送りします。
〈インタビュー〉
三波美夕紀、三山ひろし、徳光和夫、山田太郎、神野美伽、清水アキラ
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