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エンタメ・音楽
【三陸鉄道】令和ロマン 松井ケムリ・ラパルフェ 都留拓也 編 #2
#2
角ハイボールpresents 休日は車窓で一杯
2026年5月5日(火)よる8:54~9:00
旅・くらし
夫の店が倒産!自信がもてない!悩めるトレーナーの人生挑戦SP
#307
ウチ、“断捨離”しました!
2026年5月5日(火)よる9:00~9:54
「渋谷川② 渋谷~天現寺橋」編
#217
バナナマン日村が歩く! ウォーキングのひむ太郎
2026年5月5日(火)よる10:00~10:30
有吉さんのベランダ用植物探し
#74
夢が咲く 有吉園芸 ~Road to start a garden shop~
2026年5月5日(火)よる10:30~11:00
特別取材法隆寺〜聖徳太子と輝く国宝〜
#148
あなたの知らない京都旅
2026年5月4日(月)よる9:00~9:54
銀のマルシェ
銀のマルシェは、人生の新しい一歩に光を当て、人と社会をつなぐ取り組みです。
AMBER GAMES
“おもしろい”を発見・発掘・世界とつなぐゲームレーベルです。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
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BS朝日×地方創生
BS朝日が取り組む地方創生:『発信』と『体験』“知る人ぞ知る地域の魅力”にフォーカス
BS朝日「ウェルビーイング放送中!」
テレビ局らしく、エンターテインメントにして届けていく。BS朝日の、新しい挑戦です。
●度重なる九死に一生(なかにし)――旧満州に生まれ、裕福な家庭に育つが、ソ連軍の爆撃や避難先での機銃掃射など、何度も九死に一生を得る。終戦後、8歳で北海道の小樽へ。しかし、15歳年上の兄が事業に失敗し、莫大な借金を背負う。 ●凍てつく街から東京へ(浜)――終戦直後の1946年、旧満州の収容所で生まれる。幼少期は青森、北海道と凍てつく町を転々とし、15歳の時、親に内緒でダンスホールのアルバイトを始める。歌う喜びに目覚め、翌年、歌手を目指して十代半ばながら上京。 ●シャンソンで開花(なかにし)――青森、東京へと移り住み、高校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトし、シャンソンの訳詞で成功。その後、最初の妻との新婚旅行先で石原裕次郎と出会い、のちに大ヒットする「涙と雨にぬれて」の原曲を石原プロに持ち込み、昭和歌謡の世界へ。 ●二度の挫折(浜)――ようやくデビューするも鳴かず飛ばずで、歌手を諦め青森へ。屋台で働く中、偶然見も知らぬ女性から聞いた惨めで侘しい身の上話に突き動かされ、書き上げたのが「おんな道」。30万枚を超えるヒットとなったが、その後は不遇が続き、再び歌手を諦める。 ●総売上1000万枚(なかにし)――「知りたくないの」「別れの朝」などヒット曲を絶え間なく生み続け、1969年、作品の総売上が1000万枚を超えた。だが、兄が作った数億円にも及ぶ借金、心臓疾患など苦難が襲う。そんなか、絞り出すように紡いだのが「石狩挽歌」だった。 ●作曲家の道へ(浜)――転機のきっかけは、当時の所属事務所社長とのアメリカ旅行。旅の途中、のちに大ヒットする「終着駅」が誕生。作曲家として蘇える。書きためた曲の中の父と子の絆を綴った歌がドラマのプロデューサーの目にとまる。メロディーはそのままに、阿久悠が詞を付けたのが「街の灯り」。日本レコード大賞作曲賞を受賞し、その後も「そして、神戸」「雨」とヒットを連発していく。 ●名曲誕生(なかにし・浜)――なかにしは歌詞に自身の人生を投影し、浜が壮大なメロディーをつけて「石狩挽歌」が誕生。この曲でなかにしは日本作詞大賞を受賞し、その後も「北酒場」「まつり」、浜は「雨の慕情」「哀しみ本線日本海」を手がけ、歌謡史にその名を刻んだ。 今年なかにし礼は七回忌を、浜圭介は音楽人生60周年を迎えます。なかにしの4時間に及ぶ秘蔵独占インタビュー映像から生前の声を届け、「石狩挽歌」の歌碑があり、歌の舞台となった小樽を浜が訪れる。ほか、浜が「石狩挽歌」「おんな道」そしてTV初公開となる「街の灯り」の原曲を弾き語りで披露。2人がどん底から歌謡界の頂点に立つまでの物語に迫ります。 〈インタビュー出演〉 北原ミレイ、加藤登紀子、黒沢年雄、奥村チヨ、三善英史、齋藤孝、ミッツ・マングローブ、北原照久
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共に旧満州生まれ、北海道、青森育ちという共通点を持つ、なかにし礼と浜圭介。誰にも紡げない歌詞とメロディーで、珠玉の名曲を数多く世に送りました。そんな2人が手掛けたのが「石狩挽歌」。2人の激動の人生を紐解きながら名曲誕生の真実に迫ります。
●度重なる九死に一生(なかにし)――旧満州に生まれ、裕福な家庭に育つが、ソ連軍の爆撃や避難先での機銃掃射など、何度も九死に一生を得る。終戦後、8歳で北海道の小樽へ。しかし、15歳年上の兄が事業に失敗し、莫大な借金を背負う。
●凍てつく街から東京へ(浜)――終戦直後の1946年、旧満州の収容所で生まれる。幼少期は青森、北海道と凍てつく町を転々とし、15歳の時、親に内緒でダンスホールのアルバイトを始める。歌う喜びに目覚め、翌年、歌手を目指して十代半ばながら上京。
●シャンソンで開花(なかにし)――青森、東京へと移り住み、高校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトし、シャンソンの訳詞で成功。その後、最初の妻との新婚旅行先で石原裕次郎と出会い、のちに大ヒットする「涙と雨にぬれて」の原曲を石原プロに持ち込み、昭和歌謡の世界へ。
●二度の挫折(浜)――ようやくデビューするも鳴かず飛ばずで、歌手を諦め青森へ。屋台で働く中、偶然見も知らぬ女性から聞いた惨めで侘しい身の上話に突き動かされ、書き上げたのが「おんな道」。30万枚を超えるヒットとなったが、その後は不遇が続き、再び歌手を諦める。
●総売上1000万枚(なかにし)――「知りたくないの」「別れの朝」などヒット曲を絶え間なく生み続け、1969年、作品の総売上が1000万枚を超えた。だが、兄が作った数億円にも及ぶ借金、心臓疾患など苦難が襲う。そんなか、絞り出すように紡いだのが「石狩挽歌」だった。
●作曲家の道へ(浜)――転機のきっかけは、当時の所属事務所社長とのアメリカ旅行。旅の途中、のちに大ヒットする「終着駅」が誕生。作曲家として蘇える。書きためた曲の中の父と子の絆を綴った歌がドラマのプロデューサーの目にとまる。メロディーはそのままに、阿久悠が詞を付けたのが「街の灯り」。日本レコード大賞作曲賞を受賞し、その後も「そして、神戸」「雨」とヒットを連発していく。
●名曲誕生(なかにし・浜)――なかにしは歌詞に自身の人生を投影し、浜が壮大なメロディーをつけて「石狩挽歌」が誕生。この曲でなかにしは日本作詞大賞を受賞し、その後も「北酒場」「まつり」、浜は「雨の慕情」「哀しみ本線日本海」を手がけ、歌謡史にその名を刻んだ。
今年なかにし礼は七回忌を、浜圭介は音楽人生60周年を迎えます。なかにしの4時間に及ぶ秘蔵独占インタビュー映像から生前の声を届け、「石狩挽歌」の歌碑があり、歌の舞台となった小樽を浜が訪れる。ほか、浜が「石狩挽歌」「おんな道」そしてTV初公開となる「街の灯り」の原曲を弾き語りで披露。2人がどん底から歌謡界の頂点に立つまでの物語に迫ります。
〈インタビュー出演〉
北原ミレイ、加藤登紀子、黒沢年雄、奥村チヨ、三善英史、齋藤孝、ミッツ・マングローブ、北原照久
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