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#83

阿久悠

希代の作詩家・阿久悠は、昭和の歌姫・美空ひばりと同じ昭和12年、兵庫県淡路島に生まれた。シングル曲の生涯売上げ枚数は約7000万枚。日本レコード大賞において3連覇、さらに大賞曲は作詞家として最多の5曲(「また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」「雨の慕情」)を受賞するなど、前人未到の記録を誇る脅威のヒットメーカーだ。演歌からポップス、アイドルソングまで幅広く手がけ、戦略的な歌作りで歌謡界の常識を塗り替えた。
既存の殻を次々に打ち破り、時代の先頭を走った阿久の作詞家人生。しかしその裏には、数々の葛藤やつらい雌伏(しふく)の時間があったという。阿久悠の没後10年、生誕80年となる今年に、その作品と生き方に迫る。

●故郷を持たない少年
敗戦で180度の価値転換。警察官の父は転勤が多く、友だちとは「別れがつらくならない程度」に付き合った。そんな少年時代に肺結核を患い、「激せず、穏やかに暮らす」よう医者に強く言い渡される。その頃、すでに同じ年の美空ひばりは大スターであった。ヒットメーカー・阿久悠にとって美空ひばりの存在とは? そして、大学進学のため上京した阿久にとっての「旅立ち、故郷」とは?

●作詞家デビューは意外にも遅かった阿久悠
大学を卒業して広告代理店社員に。結婚を機に放送作家、そして作詞家に。時代を捉えた斬新な言葉選びで頭角を現す。(「朝まで待てない」「白い蝶のサンバ」「また逢う日まで」など) 阿久流の作詩家としての視点に迫る。

●新しいスター誕生
伝説の番組「スター誕生」に企画者・審査員として参加。番組からは森昌子、桜田淳子、山口百恵、ピンク・レディーなど人気アイドルが誕生した。アイドル歌手への画期的な歌作りの秘策とは?

●小説家へ、10年の遠回り
作詞家として半年の休筆を宣言。小説「瀬戸内少年野球団」の映画化が成功するも、候補に挙がった直木賞には届かず。栄光の生涯に見え隠れする、ほろ苦いもの…。(「雨の慕情」「熱き心に」「時代おくれ」など) 晩年、腎臓ガンとの闘病生活を克明に書き残した。

昭和歌謡界随一の理論派・作詞家と評されながら、阿久悠が紡ぐ詞には多くの人々の心を射止める「情」があふれていた。大きく時代が変化する中で、絶えず新しい詩作りを目指した阿久。それは今までの歌謡曲の伝統や実績にとらわれない、阿久の新たな作詞家としての挑戦だった―。