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#129

徳川家康 京で発見!”タヌキ”の戦略

これまでこの番組で、織田信長、豊臣秀吉の意外な一面を見てきた俳優・内藤剛志さん。今回は、3人目の天下人・徳川家康がテーマ。一般的には、「狡猾なタヌキおやじ」などといったイメージで語られることの多い家康ですが、京都に残る様々な足跡や資料を見ていくと、今まで語られてこなかった素顔が浮かび上がると言います。歴史作家・河合敦さんの案内で、その謎を探ります。
知られざる家康の素顔と出会うため、まず向かったのは、伏見。ここは秀吉が城を築き発展した街ですが、実は家康は、江戸幕府を開く前に伏見を拠点に政治を行っていました。それは、言うなれば「伏見幕府」。その理由の1つが、駅前商店街にかつてあった、ある施設に?家康が伏見を重要視していたことが分かる場所は他にも…。「御香宮神社」が伝える、この地と徳川家との深い関わりとは?さらにこの境内には、家康と秀吉が「仲よし」だったことがうかがえる物も…。重さが約2.3トンもある巨大神輿と対面。また、この「伏見幕府」の立地から、家康の「本音と建て前」が見えてくる?

次なる謎。秀吉は死の直前、家康に「天下」を譲っていた!?向かったのは、大寺院「大徳寺」の塔頭「龍源院」。貴重な寺宝が物語る家康と秀吉の親密ぶり。秀吉の遺言が示していた天下の行方とは?
しかし結局は、家康が大坂の陣で豊臣家を滅ぼすことはあまりにも有名。それはなぜかを探るため二条城へ。関ケ原の合戦後の1611年、家康が二条城で秀吉の息子・秀頼と対面した、世にいう“二条城会見”。二人の年齢差は約50歳。家康が秀頼をどう迎え入れたのかを探っていくと、家康の「真意」や「素顔」が透けて見えてきました。家康が秀頼を案内した「特別な場所」とは?
徳川家康の“真の姿”に出会える旅です。


【専門家出演者】
●歴史作家
 河合敦さん