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#130

忠臣蔵 京で決断!大石内蔵助の真実

年末といえば「忠臣蔵」。
主君の無念を晴らすため、討ち入りに向かった赤穂義士…。
日本人の心を揺さぶり続ける「忠義の物語」として語り継がれてきました。しかしその中心人物、大石内蔵助には、あまり知られていないもう一つの物語がありました。実は、赤穂を離れた内蔵助は、討ち入りの前、実に一年半もの間を京都で過ごしていたのです。一体なぜ京都だったのか? その間、何を思い、どのように過ごしたのか?俳優の近藤芳正さんが内蔵助の動きと思いを追います。
旅の始まりは弘法大師空海ゆかりの「来迎院」。内蔵助が赤穂から京都へ移るにあたって訪れた寺院です。境内には内蔵助が自ら手がけた庭や茶室が今に残ります。さらに内蔵助の人柄が伝わる物も。そこから、多くの人が内蔵助に抱く「大胆なリーダー像」とは違う一面が見えてきます。また、内蔵助が願掛けをしたとされる仏像も拝見。実は彼が願ったのは「討ち入り成功」ではなかった!?

続いて内蔵助が暮らした山科へ。この地に鎮座する「大石神社」はその名の通り、大石内蔵助を祀る神社。実はここには近藤芳正さんとの意外なつながりがあるんです。
同じく山科にある「岩屋寺」は内蔵助の住まいがあった場所。最も古いと伝わる四十七士像が安置されています。顔立ちが「本人に最も近い」と言われる理由とは?
討ち入りの4か月前、内蔵助はついに「吉良邸討ち入り」を決断し、家臣たちと重大な会議を開きます。その場所は、なんと京都でも人気の観光名所。なぜその場所が選ばれたのか? そこには驚きの理由が隠されていました。
討ち入りを成功させるためには、全員が心を一つにする必要があると考えた内蔵助は、家臣たちの覚悟を試すことに。山科の「花山稲荷神社」には、家臣たちの覚悟を確かめたと言われる痕跡、そして内蔵助の葛藤、不安な心情を今に伝えるものも残されていました。
そして最後に訪ねるのが、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目「仮名手本忠臣蔵」に登場した祇園の名高いお茶屋さん「一力亭」。物語の中で、内蔵助が幕府の目を欺くために通った店として登場する一力亭には、内蔵助を敬い、そして祀ってきたという貴重なものが代々受け継がれてきたのです。
通常、テレビ取材は受けないという格式の高い一力亭へ、今回は特別に足を踏み入れます。
あなたの知らない「大石内蔵助の素顔」に出会う旅、ぜひお楽しみに。


【専門家・寺社関係者 出演者】
●歴史作家
 山村竜也さん
 
●来迎院 住職
 安井崇兼さん
 
●大石神社 神主
 進藤大長さん
 
●岩屋寺 住職
 大須賀珠心さん
 
●花山稲荷神社 禰宜
 中川亮介さん