スペシャルアーカイブ一覧

#221

戦禍のウクライナ 綿井健陽が取材”奪われた日常”

戦禍のウクライナで取材を重ねてきたジャーナリスト、綿井健陽氏。キーウを取材拠点にしていた綿井氏は、4月上旬、キーウ州からロシア軍が撤退したのを受け、激戦地になっていたイルピンや、民間人の大量虐殺が発覚したブチャに駆け付けた。ロシア軍が奪った“日常”、それでも、市民たちが守り続けるものとは!?

■ロシア外相“停戦交渉”言及でも…

飯村

続いてのテーマはこちらです。「停戦交渉の再開要求はロシアの罠か 過去には停戦を“悪用も”」

詳しく見ていきます。ラブロフ外相から約2か月ぶりのアプローチです。「停戦合意案を4月に示して以来、ウクライナ側から反応がない」として、停戦交渉に応じるように求めたということです。

そろそろ停戦交渉しようじゃないかという話ですが、杉田さん、これは果たしてどういった意図があるのか。本心なのかどうなのか、このあたり、どうご覧になりますか。

杉田

私は、ロシアは長期戦の構えだと思いますので、こういった停戦交渉というのは信用できないと。戦争を有利な状況で続けるための環境づくりということだと思います。おそらく今、プーチン大統領は何となく作戦自体が上手く回転し出したという考えを持っているんじゃないかと思うんですよね。それは、戦場もそうなんですけど、もう1つはやっぱり注目すべきは、アメリカにおいてちょっと支援疲れというか、そういうのが出てきて、象徴的なのは5月に5兆円のウクライナ支援を議会が通すわけですけど、この時にやっぱり、反対票がそこそこ出ているんです。下院では57票、上院では11票も出ました。みんな共和党です。

彼らはウクライナ支援もいいけれど、それよりもアメリカ国内のひどいインフレを何とかしてくれと、アメリカで沢山、色んな問題があるじゃないかということで、当初の、始まったころのウクライナに対する超党派での支援というのが崩れつつあるわけです。ガソリンの値段も高いというわけです。ですから、その辺を見越して、停戦交渉というボールを投げてきているんだろうなというのがあります。もう1つ言うと、今、ロシア軍が黒海の交易を封鎖しているために穀物が全然、世界に出ていないので、これは中東やアフリカの国はウクライナ産の穀物に頼っているので穀物の輸出をしてくれという要求がすごく出ているので、そういった国々に対しても、ロシアは外交交渉をやっていますというポーズを示しているのかなという気がしています。

【杉田弘毅】
共同通信社特別編集委員 元論説委員長 明治大学特任教授 2021年度日本記者クラブ賞を受賞
新著「国際報道を問い直す-ウクライナ戦争とメディアの使命」

飯村

高橋さんは、ラブロフ外相による停戦交渉への言及、ロシアがどこまで本気なのか、それとも罠なのか。その辺りはどのようにご覧になっていますか。

高橋

本気というか、要するに今、占領している場所をウクライナが明け渡すのであれば、いつでも停戦についてはウェルカムだと思います、ロシアは。ただ、ここでいう停戦というのは、戦闘停止という意味と、まさに戦争を終わらせるという2つがあると思うんですけど、戦争を終わらせるということであれば、ウクライナが占領された地域を、ロシアに譲り渡す形で戦争を終わらせるということは、もうブチャの虐殺があった以上、ありえないわけですよね。

ロシアの支配地域にウクライナの国民を残した場合に、何をされるのかわからないというのがブチャの虐殺の1つの教訓ですから、それ以降、占領地域を譲り渡すような停戦、平和協定というのはもはや考えられなくなっているということではないかと思います。

【高橋杉雄】
防衛省防衛研究所 防衛政策研究室長 専門は安全保障論など 現代軍事戦略・日米同盟の調査研究に従事

■綿井健陽が取材した“戦禍のウクライナ”

上山

今のお話ですが、ロシアに支配された地域でウクライナ国民は何をされるのか分からないという話が高橋さんからありましたけれど、そういった中で続いてのテーマがこちらです。「ジャーナリスト綿井健陽が取材 虐殺現場と奪われた〝日常〟」。

ロシア軍が侵攻する前の街並みを見ておきます。こちらはキーウ近郊の町、イルピンです。市役所前の広場を囲むように、集合住宅が立ち並んでいます。さらに、イルピンに隣接するブチャの街並みです。手前には集合住宅。奥は赤や青など色とりどりの屋根がある一軒家が広がっています。この2つの街はキーウのベッドタウンとして若い家族に人気の街でした。

イルピン、ブチャともに、キーウに進軍を試みたロシア軍が一定期間、占領し、破壊の限りを尽くしました。ブチャでの虐殺は世界を震撼させました。日常が穏やかに送られていた街が戦場になるということはどういうことなのでしょうか。

上山

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻では未だ停戦のメドは立っていないという中で、ロシア軍がすでに制圧したとされる地域がウクライナの東部、南部ではロシア軍による占領が長期化しています。

そういった地域では今、一体何が起きているのか、詳しくは分かりません。避難できなかったウクライナの人たちが大変なことに巻き込まれていないのか、そういった懸念が尽きません。ロシア軍が、支配した町でどんなことを行ってきたのか。

撮影:綿井健陽

きょうはロシア軍侵攻後のウクライナを取材してきたジャーナリスト、綿井健陽さんにお話を伺います。綿井さん、どうぞ宜しくお願いします。

綿井

よろしくお願いします。

飯村

ジャーナリストで映画監督でもある綿井さんですが、皆さんご存じの方多いと思います。アフガニスタンやイラクでの豊富な戦争取材の経験があります。

そして今回は3月17日にウクライナに入って、ロシア軍の撤退直後にイルピンや、ブチャの虐殺現場、こちらを取材したということです。綿井さんは、ポーランドの首都ワルシャワを3月16日に出まして、リビウに一旦入って、そして首都キーウを拠点にして、3月23日から5月1日、その周辺の様々な都市を取材しました。

きょうは、虐殺のあったブチャ、激しい戦いのあったイルピンを中心にお話を伺います。

■イルピンに向かう道「戦車の墓場」

上山

それではまず、ご覧いただきたい映像なんですけど、キーウからイルピンに向かう途中の映像ということになります。綿井さん、これは主要な幹線道路ということなんでしょうか。戦車が多く残骸となって残されていますね。

撮影:綿井健陽

綿井

これはウクライナ軍が制圧直後だったんですけれども、道の両脇に戦車、装甲車の車両が放置されていて、その脇には若いロシア兵の遺体が残されていましたね。

撮影:綿井健陽

アジア系の兵士の遺体でした。これはロシア軍の戦車、装甲車の中から不発弾、それから実弾などですね。ウクライナ側が回収しているところなんです。

撮影:綿井健陽

これは幹線道路、高速道路のようなところなんですけど、いたるところにこういった不発弾や残骸が本当に墓場のようになっていたという感じです。

上山

当たり前ですけれど、1両、2両という単位ではないわけですよね。このように放置されているのは…。

綿井

この辺はもう本当に両サイド、それから道路上も含めてあちこちに放置されていて、今では、この辺りは住民の人たちも記念撮影をするようになっていますね。こういった高速道路のほうは完全にきれいになって、戦車や装甲車の車両の残骸はほとんど無くなっています。

■「誘爆で砲塔が飛んだ戦車」映像で確認

上山

このロシア軍の戦車の映像、放置されてそのままになっている、しかも相当な量の戦車が放置されている様子、ここからどんなことを高橋さんはお感じになりますか。

高橋

これはちょうどロシア軍が撤収したときの映像だったんですけど、映像からいわゆるZマークとかVマークが見えた映像がほとんどないんですよ。ですから、最初にロシア軍が進撃したときに撃破されたウクライナ軍の車両なのか、あるいは、奪回したときにロシア側が投棄した車両なのかが今一つ映像からでは実は私はよくわからないと思っていて、例えば今の戦車は新しいから、多分撤収した時のものだと思うんですけど。

綿井

そうですね、今あそこにちょうどVのマークが映っていますね。

撮影:綿井健陽

高橋

本当だ。

綿井

基本的にロシア側がVあるいはZをマークとして、検問所も含めてあちこちで見かけましたね。

上山

高橋さん、ここで行われた戦闘、どういう戦いが行われていたんでしょうか。

高橋

さきほど砲塔が外れた戦車がありましたけれど、色々なところで指摘されている通り、ロシア型の戦車、これは、実はウクライナが使っている戦車も同じなんですけど、中に予備弾薬がある、当然、弾薬を積んでいるんですが、弾薬が誘爆しやすくて、被弾したときに砲塔が吹っ飛ぶ形で戦車が撃破されるケースガ多いと言われていて、まさにそういう形で撃破された戦車というのが今、映像に映っていましたね。

■不発弾や地雷の処理も急務

上山

イルピンの手前の地域ではこういった現場もあったということです。こちら地面に突き刺さっているのが、不発弾ということで表示がありますけれど、これは注意を促すような表示ということなんでしょうか。

撮影:綿井健陽

綿井

一応表示だけはあるんですけど、はっきり言って夜間とかだと本当に分からないような、本当に置いてあるだけの、周りは何も囲っていませんでした。こういった不発弾、ロケット弾の爆破処理というのは今も盛んになっていますけど、ちょうどこのころから始まっていまして、実はウクライナ軍は結構きめ細かく、住宅の家の中とかも住民が戻ってきた時に、もし仕掛け爆弾とか不発弾とかが爆発しないように、かなり早い段階から、こういった作業をしていました。今、映っているのは対戦車地雷のほうなんですけど、どちらかというと地雷よりも不発弾や仕掛け爆弾のほうを警戒しましたね。

撮影:綿井健陽

撮影:綿井健陽

これ実はロシア軍のほうだけじゃなくて、例えばイラク北部のモスルという場所。イスラム過激派組織のISが2014年から3年ぐらいにわたって占領していたんですが、その時も結局、ISが撤退する時に住宅のドアとか壁に仕掛け爆弾を仕掛けて、戻ってきた住民がそれを知らずに開けて爆発して死亡するというようなケースがありましたので、非常に注意深く歩いたり、あと残骸とかでも気を付けて扱わないと大変なことになると思いますね。

上山

地雷というのはこういったものが地面に埋められているということなんでしょうけど、かなり分かりづらいというか1回撒かれてしまうと相当処理に時間がかかるし手間もかかるんでしょうか。

綿井

これは私が取材したときにちょうど(撤去作業が ←言葉を補足していいですか)始まったぐらいでして、今、盛んにあちこちの場所でやっていますので、特に住宅の中ですね、道路上というよりも住民が戻ってくるときに備えてという感じです。

■「高層階に住んでいる人ほど怖がっていた」

上山

綿井さんが取材に向かったイルピンでは一体何が起こっていたのか。飯村さん、改めてお願いします。

飯村

イルピンですが、キーウに隣接している街、ベッドタウンという紹介もありましたが、人口はおよそ6万人です。キーウの中心部からは北西に20km離れたところ。ロシア軍が2月27日に侵攻し、激戦地をなりました。イルピン市長は3月28日に解放宣言を行いました。そして、この間に290人の民間人の遺体があって、死因は砲撃と銃撃でした。

飯村

まず綿井さんはキーウを拠点に取材をしましたけれど、イルピン、ここはキーウに向かうロシア軍が入ってくるということで激戦の地となりました。

このイルピンの街並みの写真をご覧いただきたいんですけれど、左側が侵攻前の写真です。市役所前の広場を囲むように集合住宅やショッピングセンターが並んでいて本当にきれいな街並みなんですが、右側がロシア軍の侵攻の後です。美しい街並みは跡形もなくなってしまったという形です。

撮影:綿井健陽

こちらは綿井さんがイルピンに入って撮影しました。集合住宅が砲撃による被害を激しく受けているということが分かります。

上山

集合住宅が被害に遭っているというのは、何か意味があるんでしょうか。

綿井

特にキーウ市内、それから近郊の街もそうなんですけど集合住宅がそもそも多いんですよね。それで5階建てくらいのものもあれば20階建てくらいの、いわゆる高層の住宅もあるんですけど、日本で言えばマンションというかどちらかというと団地に近い雰囲気なんですが、例えばキーウなんかでもこれまで集合住宅がやられているんですが、高層階に住んでいる人ほど避難して、怖がっていましたね。高層階はやっぱり空が近いので空爆も近く感じて、音も怖いということで、低層階のほうは比較的残っている人もいたんですが、高層階の人は避難するときも下まで逃げるのに時間がかかりますので、上の階の人ほど怖がっていましたね。

撮影:綿井健陽

イルピンに関してもあちこちに集合住宅があるんですが、私が行った時は、部屋の片づけや、あるいは初めて1カ月ぶりに我が家を見て、呆然とするというような光景が非常に多かったです。空爆、ミサイルの焼け焦げた跡も多かったんです。マットレスやソファが盗まれていったと(いう証言が)ありましたけど、あれは結局、ロシア軍兵士が塹壕とか野営の場所で使うために略奪していると思われるんです。ですから金品以外の何でこんなものまでっていうというものは、ロシア軍が占拠している時に使うために奪われたんだと思います。

■前日に夫が犠牲となった女性は…

上山

綿井さんが取材したイルピンから避難してきた女性のインタビューです (3/25取材)。
「夫は空爆で4メートル吹き飛ばされた」
(通訳:名前は?)「オクサーナ」
(通訳:オクサーナ、大変でしょうが気を確かに)
「夫の遺体は床の横たわったまま…埋葬することすらできなかった」

撮影:綿井健陽

上山

本当に胸が締め付けられるような思いがするんですけれど、そういった中で綿井さんの取材に応じたのがオクサーナさん、ご主人を亡くされた翌日ということです。砲撃を受けて夫が4mほど飛んだと、その夫を弔うこともできずに現場を離れるしかなかったと、オクサーナさんの表情からも怒りや悲しみが伝わってくるんですけれども、綿井さんはオクサーナさんを取材してどうお感じになりましたか。

綿井

今の取材がキーウに入って翌々日くらいなんですが、このころ断続的にイルピンからキーウ市内に避難民が到着していたんですよ。ブチャはどちらかというと虐殺の地として知られていると思うんですけど、イルピンはずっと戦闘が続いていたので3月下旬辺りまではオクサーナさんのような方が沢山いました。

ようやく4月に入って、ウクライナ軍が制圧したということで、我々もなんとかイルピンという街に入ることが出来たんですけど、今回、首都キーウに関しては奇跡的にライフラインも含めてそれなりに保たれているんですが、逆に、こういったイルピンのような近郊の街がロシア軍の侵攻の犠牲になったという言い方も出来ますので、キーウ市内とイルピンやブチャという近郊の街の破壊のされ方、状況の落差ですね。これは非常に驚きましたね。

撮影:綿井健陽

上山

杉田さんは、こういった現状をご覧になって、どうお感じになっていますか。

杉田

現場に行った綿井さんの映像というのは本当に貴重だなと思っていまして、これまでの戦争では、精密兵器によるコンピュータースクリーンに登場する映像のほうが多くて、命中した、命中していないというような無機質な映像だったんですけども、こういう攻撃を受ける側からの実際の被害が生々しい形で出てきている。こういう戦争の現状が明らかになるというのは、ある意味、戦場が可視化されるというんですかね、世界中の人々に対して可視化されるということで、戦争そのものへの怒りが沸いてきます。戦争の現場取材の大切さを感じさせます。

上山

杉田さんは1つ疑問として、集合住宅がどうしてターゲットなんだと。

杉田

そうですね、さきほど綿井さんが集合住宅が多いということと、あと団地のようなものという話があったんですが、ここまで破壊する意図というか意思というかですね、そういうものはどのようにお感じになりましたか。戦争でここまでやる必要があるのかと。

綿井

基本的にアフガン、イラク戦争で空爆被害というのをたくさん取材してきたんですが、実際のところ街全体でいくとイルピンとかブチャの破壊のすさまじさというのはあるんですけれども、いわゆる人的被害ですよね。人的被害でいくと、空爆というのは基本的に破片、よく言うんですけど、破片でみんな死ぬので、爆弾が直撃というよりも、破片が飛び散って、窓ガラスを突き破ったりして負傷したりしていくということで、その恐怖感というものはいつも感じるんですけれど、集合住宅は、人が沢山住んでいますので、イルピンの場合は比較的事前に避難している人が多かったんですけど、人が集まるところをやはりロシア軍は狙っていると言えると思います。

■ブチャ「街全体が遺体安置所に」

上山

続いては、大虐殺が明らかになったブチャでの綿井さんの取材です。

飯村

ブチャはこちらですね。キーウの中心部からイルピンが20km。そしてブチャがキーウの中心部からは北西に24km。人口は3万7000人です。こちらもロシア軍が2月27日に占領、そしてロシア国防省3月30日に撤退ということなんです。そして、この間に410人の遺体が確認されまして、犠牲者の9割が銃殺ということです。戦闘中の死亡ということではなくて銃殺、これが世界中に大虐殺ということで大きく報じられました。

このコーナーの最初にも写真でもお伝えしましたが、街並みをご覧いただきたいんです。左側が侵攻前です。キーウのベッドタウンという話もありましたけれど、大変きれいな街並み、人気の街でした。それが右側、侵攻後は廃墟と化して、街が本当に消滅したかのような形になっています。

上山

そしてこちらなんですけれど、ブチャ中心部の地図です。これはニューヨークタイムズが作成したものです。ブチャの市内に放置されていた遺体の場所、状況、それから人数といったものが示されています。数kmの範囲内、中心部だけでもこれだけの数ということで、その多さに言葉を失うような状況です。ニューヨークタイムズの取材では、これはほぼすべて民間人だったと報じられています。

様々なケースがあります。銃殺された母親の隣に娘がいた、母子で殺害されてしまった。さらには姉妹で自宅で殺害されている様子があった。街を守るんだ、家を守るんだということでブチャの街に残った兄弟2人が殺害されていたという状況もありました。さらには、パンをもらいに出かけていた男性が銃撃を受けたというケースがありました。さらには、この辺り本当に目を覆いたくなるような状況なんですが、レイプされた女性がその後銃殺されていました。斬首された男性もいました。頭を撃たれた男性、後ろ手に縛られた男性というのもいました。綿井さんはブチャでの大虐殺が明らかになったということで、キーウからすぐにブチャに駆けつけたと伺ったんですけれど、行ってみたら民間人の遺体が放置されていた状況、まずブチャに入ってどんなことをお感じになりましたか。

綿井

地名としては3月下旬までは、イルピンが戦闘の現場として盛んに報道されたと思うんです。ブチャというのが世界的に報じられるようになったのはウクライナ軍が制圧した直後からです。大虐殺の象徴と言えると思うんです。僕が入ったのは4月5日、他の報道陣の人たちとまさに一緒だったんですけれど、その後何度も行っています。街全体が遺体の安置所のような雰囲気でした。

撮影:綿井健陽

さきほどニューヨークタイムズに地図がありましたけれども、あれが4月中旬の時点ですが、一カ所で遺体が見つかるのではなくて、あちこちで遺体が見つかって、それが集団埋葬のような形で教会のところに埋められていて、それを掘り返して検視をするといった作業が断続的に行われていました。ですからまだまだ僕は虐殺に関しては証言、それからまだ遺体が発見される可能性もあると思っているんです。

撮影:綿井健陽

したがって戦争における虐殺というのは大体首都から少し離れたところで起きますよね。イラク戦争の時のファルージャもそうですし、それから90年代のボスニアヘルツェゴビナの時のスレブレニツァの虐殺もそうですけど、首都から少し離れた場所で起きるというのはよくあります。

上山

どうしてここまで民間の方がこういった形で殺害されなければいけないのか。本当にそれに対する怒りが沸いてくるんですけれど、こういった情報は何かあったんでしょうか。

綿井

基本的にブチャというのは、イルピンは戦闘でしたけど、ブチャはロシア軍が長期間、1カ月くらい占拠、占領していた街ですよね。ウクライナ検察の検視官に聞いても、撤退直前もあれば占領直後、3月上旬くらいに遺体の状況から、特に銃殺ですね、それから拷問の跡が見られる遺体が多いということですから、これは非常に恐怖を与えるために、あるいは見せしめ、それから証拠隠滅。銃殺した後に焼いている遺体もありますから、そういった様々な形で隠滅する。自分たちの行為を隠すというような、そういった感じにも見えました。

上山

そういった状況があったということなんですね。

■「ブチャだけが例外と考える理由がない」

飯村

この虐殺に関して市民の声、綿井さんの取材です。アリオナさん、「私たちの家は無事でした。でも、他の住民は被害を受けました。ロシア軍はドアを壊して、泥棒に入り、食料や家電を奪い、車を壊しました」「学校では女性や少女が虐待されました。11~13歳ぐらいの少女が首を吊るされているのが見つかりました。男性も後ろ手に縛られ、後頭部を撃たれていました」。

撮影:綿井健陽

そしてナターシャさん、ご自身から取材してくれと言って、綿井さんに近づいてきました。「私たちは平和な国民で、誰にも悪いことをしていない。ロシア軍は私たちの家に入ってきて、滅茶苦茶にした。その場で人々は拷問され、極寒の屋外に2日間 放置され、そのあと撃ち殺されたんです」。

撮影:綿井健陽

11~13歳の女の子が首を吊るされるというような状況もあったと。綿井さん、他の戦場でもあるようなことなのか、特別なことなのか。この辺りはどうなんでしょうか。

綿井

これはさきほど言いましたが、やはり戦争の現場では民間人の虐殺というのはたびたび起きていますよね。兵士と兵士の戦闘ももちろんあるんですけれど、こういった形で特に占領、占拠の期間がブチャの場合長かったので、イルピンよりもこういった虐殺なり、拷問を受けた遺体というのが見つかっていると言えると思います。しかも残っていた人が女性やお年寄りの方達が多くて、最初はロシア兵と話をした人も多いんですよね。ところが、家の中にいて、家を出た直後に射殺されたりするケースもありますから、最初は友好的な姿勢を見せても途中からどんどん人が殺されていくというような現状でした。

上山

ブチャではこういった悲惨な状況になっているわけですけれど、そこから懸念されるのは高橋さん、ロシアが占領した地域でこういったことが明らかになってくると、今、ロシアによる支配が続いている地域で、一体どんなことが行われているのか、何が起きているのか。ここが分からないことは非常に心配なんですけれど、このあたりはどのようにお考えになっていますか。

高橋

ロシア側がある種、恐怖による支配を実現しようとしたり、無制限な暴力の行使を行っているということが、明らかになっているわけで、少なくとも略奪なんかは他の場所でも行われています。ですから、ブチャだけが例外であると考える理由がないんです。そう考えると、例えばドネツクやルハンシクでは、占領地域のウクライナの人たちが徴兵されて前線に送られていることもあるということを考えると、現時点ではエビデンスがないので想像するしかないですけど、かなり厳しい人道的な状況が生まれているというように推測せざるを得ないというのが現状だと思います。

■ウクライナの人たちが大切にする”日常”

上山

取材を重ねてきたジャーナリストの綿井健陽さんにお話を伺っています。綿井さんが今回の取材を通して強く感じたウクライナの人たちの思いがあると伺っているんですけど。

綿井

戦争は、戦闘だけじゃなくて日常も日々ありますので、特にキーウあたりだと、何と言いますか、驚くほどウクライナの人たち、きめ細かいと言いますか、あるいは清潔好きだったり、それから美しさを保つことに懸命になっていて、それは結構驚きましたね。

上山

戦時下の中でも日常を大切にすることがウクライナの人たちにとっての、心の抵抗みたいなところあるんでしょうか。

綿井

これはウクライナに限らずイラクでもそうでした。例えば空爆が始まった時に、皆さん何をしているんですかっていうイラク戦争やアフガンの時も聞きましたけども、やっぱりそういった時ほど楽しい話をするんだとかですね、子供たちと一緒に歌を歌うんだとか、そういうこと言っている人たちがいました。やっぱり戦乱、特にウクライナも2月24日から戦争状態に入ったと我々は捉えがちですけど、もうそれも2014年のクリミア併合、あるいは、その前も含めて、ロシアとの対立は長い歴史みたいなもので捉えている人が多いですからね。

上山

そういった中で、綿井さんが取材した方でキーウの中心街で花を売っていた方がいるということで、この女性65歳のマリアさんという方なのですが、綿井さんが取材を始めた時は、3月下旬、まだキーウにも激しい攻撃にあった時に、このように花を売っていたということなんですか。

撮影:綿井健陽

綿井

ウクライナ・キーウ市内に入って驚いたのが、この時はほとんどの店が閉まっていたんですよ、ところが、花屋さんだけ路上に結構あって、それで買う人もものすごく多いんですよね。ウクライナは元々、花屋さんが多いので、みんな、花が好きな人多いんですけど、これは、ほとんど人通りもない中で、こうやって花を売っている女性の方がいて、気になったので、それで話を聞いたんですね。その一カ月後の4月の28日なんですけれども、もう1回、1カ月後に再会した時は、手前の花も増えていますけど、後ろの人通りも本当に増えていて、キーウもようやく落ち着いて少し良かったなと思ったんです。

撮影:綿井健陽

ですが、この写真を撮影した4時間後、この上空をミサイルが2発通過し、200 mぐらい離れたところの集合住宅にまさに直撃して、ここでウクライナ人のジャーナリストの方が亡くなりましたたね。

撮影:綿井健陽

ですから、やっぱりなんて言いますか、キーウ少し落ち着いているとはいえ、こういった空爆とか、その戦乱の日常というのは、もうある日突然崩れますので、ですから本当にもし200m手前に空爆ミサイルが着弾していたら、さっき写っていた写真のところも血の海になっていたわけですから、だから、そうやって戦乱の日常、とにかく僕が3月に入った時から、みんな、ウクライナの人たち、兵士も民間の人たちも、とにかく長期戦を覚悟してました。とにかく、半年か1年か分からないけれども、とにかく長期戦になるということですねと言っていましたので、残念ながら、これは今もう3カ月経過していますけれども、なかなか終わりがちょっと見えづらいですね。

上山

ウクライナの人にとってみれば、この戦争というのも2014年からもずっと続いているんだということが心の中におそらくあるんでしょうね。

綿井

そこから数えると言いますか、あるいはもっと遡って話す人もいますし、ですから、これも、いつもそうなんです。イラクやアフガン行った時もそうでした、どこから始まったかという時にですね、「あなたの言う、この戦争というのはどこいつのことを言っていますか」と。その前にも、例えばイラク戦争でも、その前の湾岸戦争、イラク戦争ありましたし、結局、ウクライナに関しても、この戦争の捉えるスパンがちょっと私たちと違うと思いましたね。

■戦争の長期化…問われる“今後”

上山

今日は、ウクライナで取材を積み重ねてきたジャーナリスト、綿井健陽さんに現地の状況を伺っています。杉田さんは、ここまでご覧になっていかがですか。

杉田

こういう戦争犯罪の動かぬ証拠を第三者であるジャーナリストが現場からきちんと伝えるということがいかに大事かということはよく分かりました。綿井さんに伺いたいのは、長期戦ということを覚悟していると、ウクライナの人々ですね。一方で、例えばキーウなんかは、かなり普通の生活に戻りつつあるというようなお話を伺います。

そういう中で、長い戦争にちょっと疲弊感とか、そういうものが出てきていて、戦争が起きているのは、戦場が実際、東部や南部であると。そういう中で、キーウの人々あるいはリビウの人々、彼らはどこまでこの戦争に本当のところ、耐えて戦って行くぞという意志を持ち続けていられるのかなというところがちょっと気になるんですけれども。

綿井

特に東部が非常に激しい戦闘、起きていますよね。東部から今、キーウに避難している人も非常に多いんですけど、おそらく今後こういった格差、意識の格差、これはもう東日本大震災や福島第一原発事故の時もそうでしたね。直後はみんな割合、避難してくる人たち、一体感あるんですけれども、段々その生活に差が出てきますので、ですから今後長期化するにつれて、どんどん直接戦闘の被害を受ける人と、そうじゃない人の、やはり違いというのも、ものすごく際立ってくると思います。

一方で僕自身が思うのは、よく聞かれるんですけど、日本からどういう支援が必要ですかと聞かれますけど、日本はすべきことというのは、もちろんウクライナ支援もあるんですけれども、ロシアに対する働きかけですよね。とにかく停戦や、戦闘行為をやめる働きかけ、とにかく外交でまずやってほしいと思っているんです。

(2022年6月12日放送)