BS朝日

放送内容

ザ・偉人伝
昭和歌謡のヒットメーカー 人生を変えた出会い

『試練を乗り越えて名曲を紡いだ作曲家』 作曲家・三木たかし/浜圭介――
心に染み入るメロディで多くの人々を魅了してきた作曲家・三木たかし、浜圭介。
昭和歌謡を代表する2人に共通するのは、歌手としての夢に破れ、作曲家へと転身したこと。光の見えないどん底から這い上がり、幾多の名曲を紡いで成功を収めた彼らの歴史を
辿ります。三木たかし、浜圭介の運命を変えた出会い? 運命を変えた歌とは?

 


ジャンルを超えた昭和歌謡のヒットメーカー作曲家:
三木たかし~記録より心に残るヒット曲を数多く生み出した!~

シングル総売上枚数が約2000万枚という輝かしい成功を遂げながら、常に音楽と真摯に向き合った三木は、称賛を浴びてもなお、「まだどこかにあるはずの何か」を追い求めた旅人でした。その苦難と葛藤が、ジャンルを超えた多彩な名曲を昭和歌謡史に刻みつけたのです。

 

「津軽海峡・冬景色」 型破りな演歌の誕生――世に出てすぐ大きなスランプへ。阿久悠との出会いが音楽への迷いを消した。(「みずいろの手紙」「ジャガー」「乙女のワルツ」他)

 

「時の流れに身をまかせ」 盟友との誓い――約2000曲の三木作品のうち、400曲でコンビを組んだ盟友・荒木とよひさとの邂逅。そしてアジアの歌姫テレサ・テンに捧げた三部作への道程。名実ともに歌謡界の頂点へ。(「つぐない」「愛人」「別れの予感」)

 

「さくらの花よ 泣きなさい」 桜に込めた命への想い――作曲家生活40年目に、末期の下咽頭がんと宣告される。声帯の切除を含め、苛酷な闘病生活を支えた家族の献身。再びギターを手にした三木は、万感の思いを「さくら」に託した。(「夜桜お七」他)

 

ミュージカル「異国の丘」 若き日の夢を追って――シンフォニーやミュージカルを書きたい……初志を通し、劇団四季と紡いだ舞台の数々。(ミュージカル「李香蘭」「南十字星」他)
優しく厳しい眼差しで昭和の日本を見つめ続けた三木たかし。長い旅路の果てにたどり着いた景色とは……。思い出深い名曲とともに、愛と優しさにあふれた三木たかしの人生に迫ります。

 

「夕月」 兄妹愛でつかんだ夢――音楽を支えに生き抜いた極貧の子供時代。妹・黛ジュンと作曲家・船村徹の門を叩き、その才能を見出される。(「恋はハートで」「禁じられた恋」他)

 


~「終着駅」「舟唄」「雨の慕情」「哀しみ本線日本海」…数々の昭和の名曲を生んだ作曲家:浜圭介~
人々の心を潤し、人の心を震わせる歌、いくつもの傑作を世に送り続ける浜圭介。
浜圭介がヒットメーカーと呼ばれるまでには、人知れず多くの試練がありました。
歌手を目指した青年が大作曲家に!その波乱の道のりと曲作りの秘密に迫ります!

 

歌に目覚めた少年――終戦直後、旧満州の収容所で産声をあげた浜。幼少期は
青森、北海道と凍てつく町を転々とする。15歳の時、親に内緒でダンスホールのアルバイトを始め、人前で歌を披露。歌う喜びに目覚めた浜は、翌年、歌手を目指して十代半ばながら上京する。

 

一度目の挫折――上京から2年、ようやくチャンスをつかんで牧宏次の芸名で
デビューするも鳴かず飛ばずで5年が過ぎ、歌を諦め青森へ。屋台で懸命に働く浜。
そんな中偶然見も知らぬ女性から聞いた彼女の惨めで侘しい身の上話に突き動かされ、書き上げたのが「おんなの道」だった。

 

再起から奈落の底へ――一度は捨てた歌手の道を再び歩み出し、「おんな道」は
30万枚を超えるヒットに。しかし歌の神様は、またしても浜を見放す。ヒットから
遠ざかり、先の見えない日々に陥ってしまう。浜はまたもや歌手を諦める。そして・・・・。

 

ヒットメーカーの誕生――60年代にカヴァーソングで一世を風靡した漣健児に
アメリカ旅行に誘われる。漣との旅行で運命を変える出来事が。
何気なく手にしたギター。ほとばしるようにメロディが紡がれ、大ヒット曲「終着駅」が誕生。のちに妻となる奥村チヨが歌いミリオンセラーに。

 

なかにし礼を救った曲――作曲家として甦った浜は「そして、神戸」「雨」と
ヒットを連発。そこになかにし礼から詞が届く。
作詞に行き詰る中で生まれた「石狩挽歌」だった。不遇な幼少期を重ねた詞に、
浜は壮大なメロディを付けて大ヒット。なかにしに日本作詞大賞をもたらした。

 

阿久悠との関係――順調に作曲家の道を歩み続けた浜に、スランプが訪れる。
まったく曲が書けない日々。それを救ったのは「街の灯り」でタッグを組んだ阿久の
詞だった。もがき苦しむなか出会った「舟唄」に必死で曲をつけた歌は八代亜紀の声に乗り、空前のヒットとなる。

 

スランプからの蘇生――翌年、阿久悠、八代亜紀と手がけた「雨の慕情」は
レコード大賞を獲得。そして荒木とよひさの作詞で森昌子が歌った「哀しみ本線日本海」
など、人々の心をとらえる歌を連発。押しも押されぬヒットメーカーとなり、浜圭介は国民的作曲家へと羽ばたいていく。

 

阿久から受け取った昭和歌謡のバトン――平成11年、浜圭介と阿久悠は「昭和最後の秋のこと」を発表。
歌手も決めず、ヒットも狙わず、二人がただ書きたい曲だった。阿久の逝去後、浜がテレビで熱唱したある日、阿久の妻から一通の手紙が。綴られていた言葉に浜は奮い立つ・・・・・。
試練多い浜圭介がたどり着いた浜圭介メロディ、作曲家人生とは・・・・・?